第3話 お姫様転生

 これでは話が全く見えないので、基本的なことから聞くことにした。

「ここ、どこだよ」

 俺が尋ねると、沙羅は唸った。

「私も知らないの」

「ここから来たって言ったろ」

「それは知ってるの」

「何で」

「私、自分が生まれる瞬間から記憶があるから」

 どんな、とは聞かなかった。保健体育の授業で出産の光景をビデオで見せられたことがあったが、あれは画面越しに他人事として見てるから感動的なんであって、生まれてきた当事者の感覚を再現されてもどうかと思う。

 代わりに、知りたいことがあった。

「つまり、生まれる前の記憶があるってことか?」

 う~ん、と顔をしかめた沙羅は突然、手を叩いて人差し指を立てる。

 目を大きく見開いて強調した。

「生まれる前っていうか、元の世界にいたときの!」

 俺はちょっと引きながら、なおも尋ねた。

「……何があったんだよ」

 沙羅は答えず、しばらく机に中肘ついて、窓の外を見つめた。すぐ目の前にあるかのように連なってそびえる山々は、薄曇りの空の下で冷たく静まり返った杉の緑をまとって凍えている。

 僕とは目を合わせることなく、何やら考え事をしていた沙羅はやがて、ふとつぶやいた。

「なんていうか、ものを知らな過ぎたのね」

 たぶん、前世というやつのことを考えていたのだろう。スマホの中で動き回るアバターの顔や仕草は、どいつもこいつもクラスの連中そのままだ。どう考えても、沙羅の前世に行ってしまったと考えるのがシンプルだ。俺一人ペテンにかけたり自分ひとりの妄想にふけったりするために、こんな手間暇かけるとはどうしても思えない。

 だから俺は、事情を確かめないではいられなかった。

「具体的に」

 短く聞いたのが不機嫌に聞こえたかとも思ったが、答えは意外と素直に返ってきた。

「知っていたのは、サラっていう自分の名前だけ」

「ファミリーネームは?」

 幼稚園児じゃあるまいし、姓名をまとめて答えられないなんてことがあるはずがなかった。

 ところが、沙羅は遠くを見ながらしれっと答えたものである。

「よその王家と会ったことないから」

 ということは、沙羅はお姫様ってことだ。それならファミリーネーム、つまり姓がないのも道理だった。ヨーロッパや古代中国みたいに王朝の交代がない限り、その国で唯一絶対の王なり皇帝なりはこれを名乗る必要がない。

 そこで、質問を変えてみた。

「国の名前は?」

 沙羅の国が世界帝国でない限りは国名があるはずだが、答えは似たようなものだった。

「知らなくてよかった。だって、よその国の人と会ったことなかったから」

 会ったことはなくても、国の名前くらいは聞いていてもおかしくはない。

 そんな経験もない環境って、いったい……。

 俺は呆れ半分で聞いてみた。

「どこで生まれたの?」

「たぶん、城の中」

「たぶんって……」

 そこまで曖昧な記憶ってあるだろうか。

 思わず言葉を失ったが、沙羅には沙羅の事情があった。

「城から出たことがなかったから」

 納得。

 家系や国と同じ理屈で、その外に出ないと分からないことはあるだろう。

 場所を聞いても意味がないのを悟った俺は、こう尋ねてみた。

「どんなとこ?」

 沙羅は眉根を寄せて、僕に向き直った。ただし、目は上を向いている。

 自称お姫様の割には、くるくると表情がよく変わる。慎みってものがないんだろうか。

 左右に小首をかしげているのは、記憶をたぐっているからなのだろう。しばらく無言の間が続いたところで、その表情は急に明るくなった。

「自分でも全部は知らないから、説明が難しいかな。だけど、この町全体くらいの広さはあったと思う」

 踏ん切りは早いが、それでも何とか質問に答えようとする辺りは妙に律儀だ。

 俺は違う角度から聞いてみることにした。

「じゃあ、どうやってここに来たんだ」

「よくは分からないけど、城が、炎に包まれてたのは覚えてる」

 即答だった。HOWをWHYに変えたのは正解だったようだ。

 その事情を聞く限りでは、偶然の働きでも送り込まれたのでもなく、逃げてきたのだと思われた。

「火事?」

 そのまんまやんけ、と自分でツッコみたくなるほど陳腐な質問だったが、断片的な情報を少しでも整理するにはこうするしかない。

 そんなんでも幸い、沙羅はちゃんと答えてくれた。

「戦争か、反乱かなんかが起こったんだと思う。今から考えると」

 その判断は、転生してから今まで学んできたことに基づいているのだろう。城から一歩も出たことのないお姫様が初めて、自分から行動を起こしたわけだ。

「どうやって逃げたんだ?」

 ここは肝心なところだ。どうやって転生したのかがはっきりしないと、こんな荒唐無稽な話、納得できたものではない。

 だが、よく見ると気品のある顔だちが急に影を帯びたのに、僕はハッとした。もしかすると、両親との別れというのは、いちばん聞いてはいけないポイントだったのかもしれない。

父王ちちおう母后ははきさきが、私を地下に連れて行ったの」

「抜け道?」

 中世オタクの同級生から聞いた話によれば、城とはそういうものらしい。

 沙羅は再び考え込む。口のなかでなにやらブツブツやっているのを見ると、言葉を選んでいるようだ。やがて、その事情ははっきりと説明された。

「地下室に何か魔法陣みたいなのが書いてあって、その上に寝かされたわ」

 抜け道じゃなかったらしい。だが、異世界からやってきた手段はどうにか見えてきた。

「転生の魔法だったってこと?」

「たぶん。一言もしゃべるなって父に言われて黙ってた時、呪文唱えてたから」

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