第113話 守護天使、プレイヤーの気づかない裏事情を察する

 光の爆発が兵士たちを吹き飛ばすのを見て、俺はガッツポーズを取った。

 ……よし!

 山藤が腰抜けなせいで、要らない横道に逸れはしたが、なんだかんだ言って、グェイブの罠は成功したわけだ。

 予期せぬ閃光と衝撃で、目も心もやられた兵士たちはしばらく起き上がれないだろう。あとは、リューナを救い出して少しでも遠くへ逃げればいい。

 問題は、肝心のシャント…山藤がいつ立ち直るかということだった。この辺りは、俺もいちばん確信が持てない点だったのだ。ありがたいことに、何とか上半身を起こすことはできている。 

 リューナはといえば、まだスマホの画面上に横たわっている。正直、胸元なんぞは正面から見ないよう、理性を保つのが大変な状態になっていた。

 俺自身も、沙羅に変質者扱いされたのが結構、こたえていたりする。だからといって、画面を見ないわけにはいかなかった。

 ……いかん、そういうつもりで見てはいかん。

 そう思いながらも本能というのは恐ろしいもので、目はリューナの露わな胸に吸い寄せられていった。

 だが、肝心な最後の一瞬で突然、画面は俯瞰視点に切り替わった。

 ……何だ?

 アプリのバグかとも思ったが、そうではないことがすぐに分かった。松明の炎とグェイブの光を頼りに画面を拡大してみると、身体を起こしたリューナの前に、誰かいる。

 その手が首っ玉を掴んで高々と掲げているのは、さっき俺が操っていたモブ兵士だ。何が起こったか察しがついて、俺はぞっとした。

 ……死んだ?

 無生物にはマーカーが置けない。つまり、この兵士はもう、生きてはいないのだ。

 誰かが叫んだ。

《テヒブ!》

 女の声だった。ここでその名を呼べるのは、リューナしかいない。

 彼女が再びしゃべれるようになったというのは、大きな出来事だった。心の支えとなる人物が帰ってきたことが、恐怖で凍り付いた心を解きほぐしたのだろう。

 すると、この影は夕べ、ヴォクスとの闘いで姿を消したテヒブだということになる。

《何ともないか? リューナ》

 兵士の死骸を掲げたまま尋ねたテヒブは、同じことをシャント…山藤にも聞いた。驚いたことに、シャントはちゃんと返事をした。

 しかも、異世界の言葉で。

《何ともありません、テヒブさん》

 アプリが翻訳しているとはいえ、山藤にヒアリングができるというのはちょっと考えにくかった。異世界に転生して何日も立たないのに、英語のABCがやっとの学力最低空児がそんなコミュニケーションなど取れるわけがない。 

 そこで、ふと思い出したことがあった。この異世界の住人で、山藤と意思疎通ができる者が1人だけいる。

 ……ヴォクス男爵!

 つまり、人間でなくなった者となら、山藤は話ができるのだ。すると、テヒブの言葉が聞き取れた理由は、1つしか考えられない。

 ……そういうことか。

 テヒブは、もはや人間ではないのだ。そうとは知らないまま、リューナはシャントに駆け寄る。

《シャント、怪我はない?》

《怪我はないよ、リューナ》 

《よかった、シャント》

 何ともお気楽な甘いやり取りの末、山藤はリューナにしがみつかれて照れまくる。

《リューナ……》 

 いい気なものである。

 ……もじもじすんな、気色悪い!

 腹の中で毒づいたが、山藤を責めることはできない。

 吸血鬼の餌食となれば下僕にされることは、俺でも知っている。テヒブはおそらく、ヴォクスに敗れて血を吸われたのだ。リューナにもシャント…山藤にも、それを知る術はない。

 誰か兵士をモブに使って地面に日本語を書いてやれば伝わるのだろうが、あいにくと完全に気を失っているらしく、どこにマーカーを置いても受け付けはしなかった。

 ヴォクスの下僕となっているらしいテヒブだったが、言葉は人間のものだった。

《強くなったな、シャント》

 山藤がオウム返しにしたと思われる言葉は、アプリがつじつまを合わせて翻訳する。

《強くなったよ、シャントは》

 テヒブは首を横に振る。人間でなくなっても、評価は正当だった。いや、より辛辣になったというべきか。

 ……待てよ。

 この世界では、現実世界の日本と「はい」「いいえ」のサインが逆だったはずだ。つまり、テヒブは山藤が強くなったと率直に認めているのだ。

 だが、山藤はたぶん分かっていない。

《グェイブ……テヒブ》

 アプリが翻訳できないほどたどたどしい言葉でおずおずと申し出たのは、たぶんグェイブをテヒブに返すということだろう。だが、テヒブは一喝した。

《お前に託すと言っただろう!》

 その言葉には、事実と感情との二重文脈がある。

 実際にテヒブはそう言ったわけだし、夕べヴォクスと戦った時点で人間でなくなったのだとすれば、もうグェイブの持ち主でもなくなったのだろう。だから、テヒブの武器はシャントに託されたのだ。

 それは、残されたリューナを吸血鬼ヴォクスや村人から守れるのは山藤しかいないということである。だが、こいつはその辺がどうも呑み込めないようだった。《テヒブさん!》

 泣きだしそうな声ですがるシャント…山藤を阻んだのは、天幕の中から現れた僭王の使者だった。

《テヒブ・ユムゲマイオロ!》

 意外なことに、シャントがリューナの腕をふりほどいて立ち上がった。

《シャント……?》

 やっと言葉が交わせるようになった恋の相手に、シャントは見向きもしない。現れた新たな敵に、自ら立ち向かおうとしているかのようだった。

 だが、続いてリューナが呼びかけたのは、マントの下に騎士の鎧を着込んだ僭王の使者の方だった。

《リズァーク!》

 名前を知っていても不思議はない。口が利けなかったリューナと筆談で交渉して、村人を裏切らせたのはこの騎士なのだ。

 従って、リューナにとってはどちらも味方ということになる。だが、それはテヒブが生きていても現れないということが前提だった。

 どこかに生きているはずのテヒブを村人に捕まえさせることなく、村長の家に囚われているシャント…山藤も守り抜くというのがリューナの狙いだったのである。たぶん、テヒブが見つからなければ僭王の使いも諦めて帰ると踏んでいたのだろう。

 だが、事ここに至っては、騎士リズァークと王宮衛士テヒブの対決を見守るしかない。

 リズァークが大きな諸刃の剣を身体の前に捧げ持ったのは、決闘前の礼儀のようだった。テヒブはというと、兵士の身体を放り出して身構える。

 そこへ、沙羅からのメッセージが入った。

〔止めて!〕

 この決闘を止めろと言っているのは察しがついた。マーカーを動かしてみたが、兵士は誰も動かない。密集しているところで食らった不意打ちの閃光と衝撃がよほどこたえているらしい。

〔無理だ!〕

 やっとの思いでメッセージを返すと、その間に戦いのケリはついていた。

 リズァークはもう、剣を投げ捨てていた。テヒブの方は、次の攻撃に備えて身構えていたのを悠然と解く。

《テヒブ……貴様は人間ではない!》

《それはおぬしの与り知る所ではない……そうだとしても、そうでないとしても》

 ちょっと気持ちに余裕が出てきて、俺は沙羅にメッセージで軽口を叩いた。

〔言葉遣いが違うぞ、あのオッサン〕

 さっきのキツい言葉とはうって変わって、上機嫌の返事が来た。

〔相手が宮廷人だもん〕

 そういうことだろうとは見当がついていた。この田舎でひっそりと生きていくために、泥臭い言葉遣いをしていたのだろう。

 何やらテヒブとリズァークのやりとりは続いていたが、安心しきっていた俺は調子に乗って、つい沙羅をからかってしまった。

〔もしかして、自慢してるか?〕

〔何を?〕

 沙羅にしてみれば、心当たりがないらしい。よせばいいのに、俺はよけいなことを書き送った。

〔私はお姫様です~、あなたとは違います~って〕

 それっきり、メッセージは返ってこなかった。たかがSNS上のことだから気にすることもないといえばそうである。だが、間が空いてしまうと気になるのもSNSだった。

 とりあえず、詫びのメッセージは送っておいた。

〔悪かった〕

 だが、その時にはもう、リアクションを期待している場合ではなくなっていた。

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