第112話 テヒブの帰還と新たな敵

 兵士たちは襲ってこなかった。僕を取り囲んだまま、動けない。

 でも、こっちから斬りかかることもできなかった。グェイブの刃には子どもたちの服が巻き付けてあるから、どっちみちダメージは与えられない、というか、僕に人が斬れるわけがなかった。

 ……グェイブにびびって道開けてくれないかな。

 でも、そのためには威力を見せつけなくちゃいけない。やっぱり、戦うしかないのだった。

 ……本当にやるの?

 ネトゲで無双するみたいなわけにはいかない。そんなことは分かってたけど、実際に武器で相手と向き合ってみると、手にじっとり汗が滲んでいた。

 頭で分かってるのと、実際にやるのは違うってことだ。どうすることもできなくなって、僕はその場で固まった。

 でも、そこで聞き慣れた名前が聞こえた。

《リューナ……!》

 遠くの暗がりに、テントが見える。そこから、誰かが飛び出してきた。金色の髪が見えたような気がする。

 ……ここにいたんだ、やっぱり!

 やがて、兵士たちの背中を押し分けて、見覚えのある誰かが現れた。もう、確かめなくても分かった。

「リューナ!」

 その時、ハルバードを持った兵士がリューナの前に出てきた。僕に向かって歩いてくる。グェイブが届く位置まで来たけど、刃は服を巻きつけてあるから切れないし、僕も斬りつけられなかった。

 でも、ハルバードは突き出されてくる。子どもたちの上着を括りつけたままのグェイブを、僕は吼えながら思いっきり叩きつけた。

「どけ!」

 ハルバードは吹き飛んだ。空中をくるくる回って、その辺にいた兵士たちの目の前をかすめた。

「ヒエエエエエエエ!」

 悲鳴が上がったけど、他の兵士はハルバードで突っ込んでくる。

「このガキ!」

「やっちまえ!」

 聞いてすぐ分かるようになったのは、こういう言葉ばっかりだった。ただでさえ怖いのに、意味が分かったら身体までが震え出す。

 兵士たちの向こうには、リューナの姿が見える。さっきハルバードを落とされた兵士から逃げようとはしてるけど、ちょっとずつしか後ろへ下がれないみたいだった。

 でも、僕は手から落ちそうになるグェイブを抱えるのがやっとだった。

 兵士はハルバードを拾わずに、リューナに近づいていく。このままじゃ、捕まってしまいそうだった。

 ……逃げろ!

 叫びたくても、もう言葉にならない。おまけに、リューナは兵士から離れるどころか、まっすぐ向き合って立ち止まった。

 ……逃げろってば!

 そう思うだけで、危ない所を助けにも行けない。その姿も、ハルバードを持った兵士たちの陰に、隠れてしまう。

 でも、その直前に見たものは、僕の目の前を真っ白に変えた。

「リューナ!」

 僕はグェイブから子どもたちの服を剥ぎ取った。ハルバードを持った兵士たちが、何か喚いて襲ってくる。怖いなんて思ってる暇はなかった。そんなの、目にも入らない。

 頭の中にあったのは、その向こうにいるヤツだけだった。

 ……殺す! 

 そんなこと、本気で考えたことなかった。小さい頃から結構、いじめられてきたけど、逃げるのが精一杯だった。仕返ししようなんて、思ったこともなかった。

 でも、今は違う。グェイブを振り回すことしかできないけど。

 リューナに襲い掛かったヤツの前に何か集まってるのがいるけど、邪魔なだけだった。

 ……どけ!

 兵士たちは、簡単に道を空けた。何でかよく分からない。それでも、こいつらの間を通り抜けようとしたとき、グェイブが僕の手からもぎ取られるのが分かった。

 ……しまった!

 そう思ったときだった。

 眩しい光の中で、僕の身体は何かに吹っ飛ばされた。グェイブが兵士に奪い取られたもんだから、限定魔法が発動したのだ。

 気が付くと、辺りにはショックで立ち上がれなくなったらしい兵士たちが転がっていた。

 実をいうと、僕も腰が抜けていた。それでも何とか身体を起こせたのは、何があったか分かっていて、心の準備ができていたからだろう。

 ……リューナは?

 テントの辺りで焚かれてる火と、地面に転がったグェイブの光で、起き上がったリューナの姿が見えた。

 さっきの兵士は、どこにもいない。

 いや、よく見ると、いた。夜の暗い空に浮かんでいる。

 ……え?

 そうじゃない。光の中に現れた影が持ち上げているのだ。そのシルエットには、何となく見覚えがあった。

 身体はそれほど大きくない。僕とそんなに変わらないかもしれない。でも、何かこう、逞しい感じがした。頼れるっていうか、見ただけで安心できるものがあった。

 それが誰なのかは、リューナが教えてくれた。言葉が出なくても、分かる。立ち上がるときでも、その影の顔辺りから目を離さない。その場に立ち尽くしたけど、怖いからではないみたいだった。

 何だか、意外なものを見ているような感じがした。

 でも、僕にとって意外だったのは、他のことだった。

「テヒブ!」

 一瞬、誰が呼んだのか分からなかった。でも、ここに女の子は1人しかない。リューナが、テヒブさんの名前を呼んだのだ。

 答える声も、テヒブさんの声だった。

「……? リューナ」

 最初は何て言ったのか分からなかったけど、同じ言葉が僕にも聞こえてきた。

「何ともないか? シャント」

 僕もテヒブさんと話しているときだけは、この世界の言葉が分かるようになったみたいだった。 

「何ともありません、テヒブさん」

 リューナが僕に気が付いて、駆け寄ってきた。

「シャント! ……?」

 まだ、リューナの言葉は聞き取れない。でも、しゃがみ込んで僕の身体を心配してくれてることだけは分かった。ケガがないか見てるみたいだった。

 そこで、同じ言葉を使って返事してみる。

「ケガはないよ、リューナ」

 さっきのグェイブの閃光なんか目じゃないくらい眩しい笑顔で返ってきた言葉の意味も、何となく分かった気がした。

「よかった、シャント」

 横から抱きしめられると、腕に当たる柔らかい感触があった。

「リューナ……」

 ちらっと眺めると、その辺りでは服がはだけていて、大きなふくらみの谷間が見えた。

 ……胸が当たるよ、胸が!

 続けてそう言いたかったけど、まだそこまでは言葉が分からない。リューナが放してくれるのを、黙って待つしかなかった。

「強くなったな、シャント」

 影になってるテヒブさんの顔は見えなかったけど、声は嬉しそうだった。普通ならここで、「そんなことない」って言うとこだ。でも、どう言っていいか分からなかったから、言葉を真似することにした。

「強くなったな、シャント」

 テヒブさんは首を横に振った。そりゃそうだ。僕なんかまだまだだから、叱られても仕方ない。

 そんなら、僕がやることはひとつしかない。テヒブさんのすぐそばには、僕が返さなくちゃいけないものが光っている。それを何とか、言葉で伝えてみた。

「グェイブ……テヒブ」

 グェイブはもともと、テヒブさんの武器だ。僕にはやっぱり、使いこなせない。リューナを守るには、この人に使ってもらうのがいちばんいいのだ。

 でも、返ってきたのは怒ったような声だった。

「お前に託すと言っただろう!」

 そう言われてみると確かに、吸血鬼ヴォクス男爵と一緒に消えたとき、そんな声が聞こえた気がする。だけど、それはテヒブさんがいない間の話だ。グェイブを使って戦える人が持ってるのがいちばんいい。

 リューナが僕の身体を抱えたまま、心配そうに言った。

「テヒブ……シャント……」

 僕たちの雰囲気が悪いって分かったからなんだろう。ちらっと眺めると、泣き出しそうな顔で、ぎゅっとしがみついてきた。でも、はだけた胸の感触にドキドキしてるヒマはなかった。

 僕なんかまだまだと言いながら、グェイブを預ける気持ちが分からなかった。リューナを守るつもりがないっていうんなら別だけど、そんなわけがない。

 やっぱり、テヒブさんが戦ってくれなくちゃダメなのだ。

「テヒブさん!」

 もう叫ぶしかなかったけど、それを邪魔する他の声が、テントの辺りから聞こえた。

「テヒブ・ユムゲマイオロ!」

 何かよけいなものがついていたけど、吸血鬼ヴォクス男爵がそんな名前で呼んでいた気がする。

 ……あれ?

 そういえば、吸血鬼とは言葉が通じたみたいな覚えがあった。

 ……すると、また?

 僕はリューナの手を振りほどいた。足はまだふらついたけど、何とか立ち上がることはできる。おろおろした感じの声が、足もとから聞こえた。

「シャント……?」

 素手でも、僕はリューナを守るつもりだった。グェイブは、意地でもテヒブさんに使ってもらうしかない。

 でも、次にリューナが呼んだのは、知らない名前だった。

「リズァーク!」

 そこで僕は初めて、テヒブさんの前に現れたのがヴォクス男爵じゃないのに気が付いた。

 マントの下にガチガチのプレートメイル全身鎧に身を固めた騎士だった。フェイスマスク面頬を下ろして胸の前に捧げ持つのは、両手持ちのでっかいグレートソード。

 ……なんか、すごい。

 そう思いながらも、僕は鳥肌が立つのを感じていた。

 ファンタジー系の格ゲでも、こんなのを見たことがある。今、目の前にあるのはまさに、そのシーンだった。

 素手のテヒブさんと、リズァークとかいう騎士の間に、「FIGHT!」の文字が浮かびそうな気がした。ゲームと違うのは、HPのゲージがないことぐらいだった。

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