第31話 守護天使姫の意外な一面
そのときバスが止まって、俺は我に返った。窓からは、雪を深くかぶった瓦屋根の家々が見える。反対側の窓を見ると、大きなストーブと古いパイプの列が見えた。街中のバスターミナルに着いたのだ。
運転手に定期券を見せてバスを降りると、もう昼だとはいえ、風が冷たかった。身体が引き締まるといえば聞こえはいいが、来るんじゃなかったと一瞬でも思わせるだけの寒さはあった。
空が晴れたとはいえ、街中の道にはまだ雪がどっさり残っていた。バスターミナルの正面に軒を連ねる古い酒屋や畳屋、肉桂(シナモン)の飴玉を売る老舗などでは、ちらほらと出入りする地元の人々や僅かな観光客の間を縫って、店先の雪かきに励む店員や主人の姿が見られた。
俺はその跡がカチコチに凍っているのに気を付けながら、ブーツの足を滑らせないように歩いた。道はやがて、凍てつく川の流れの上に架かる橋を渡る。
ウナギの寝床とも言われる間口の狭い家々が連なる街並みに差し掛かった頃、俺はその玄関先で雪かきをしている沙羅に出くわした。
オーソドックスな黒のゴム長靴を履いて、グレーのダウンジャケットを羽織ってはいるが、着ているのは真っ赤なジャージだ。その中に何を着こんでいるのかは知らないが、それでもこの気候にはまだ薄い気がした。
現に、本人が寒い寒いと言いながらシャベルで玄関の両脇に雪をどけている。いつもの複雑に編まれている髪はほどかれて、古風な姉さんかぶりの手ぬぐいから背中にこぼれ落ちていた。
意外に所帯じみた姿に言葉を失ってぼんやりと佇んでいると、黙々と働いていた沙羅は俺に気付いたようだった。面食らったように目を見開きはしたが、それも一瞬のことだった。
「ごくどーもん」
SNSでのメッセージを、今度はムスッと口にしてみせた。どういう意味かは分からないが、悪口を言われたことぐらいは分かる。だから、抗議の意味を込めて聞き返してみた。
「俺が?」
「自分ちのはどうしたのよ」
そういえば、玄関先の雪はきれいさっぱりなくなっていた。俺は午前中、何にもしないで布団の中にぬくぬくと潜りこんだまま、安らかなる惰眠をむさぼっていたのだ。そんな俺を起こすことに諦めた両親は、自分たちでさっさと雪かきを済ませてしまったのだろう。
「親を働かせて息子は遊びに出るなんて、いい気なもんね」
沙羅の非難は、俺の良心を直撃した。昼になってのこのこ出かけていく俺には父母共に、もう言葉もなかったに違いない。
だが、俺には俺の言い分があった。
「お前だって朝は」
それを言うなら、沙羅だって午前中いっぱい、SNSのメッセージを30分に1ぺんくらいの割合でひっきりなしに送り付けていたのだ。怠け者だの親不孝だの言われる筋合いはない。
「ひとりで雪かきするの寂しかったんだもん」
沙羅は姉さんかぶりのまま、口を尖らせて甘えた物言いをしてみせる。それはそれで可愛くないわけではなかったが、わざとらしさのほうが鼻についた。
だから、俺は嫌味たっぷりに言ってやった。
「何を今さら」
もっとも、そんなものを真っ向から受け止める沙羅ではない。出会ってから1週間しか経っていないが、この女がどういう性格をしているかは嫌というほどよく呑み込めていた。
案の定、沙羅は再び、せっせと雪かきを始めた。玄関先の雪は、もうほとんどなくなっている。日はまだまだ高いので、これが済んだらゆっくり午後を過ごせるということだろう。
「彼、どうなった?」
仕事の手を休めることなく、口喧嘩を吹っ掛けてきた張本人は何事もなかったのように話をそらしてきた。もっとも、この寒いのにそんなことを突っ込むのは時間と体力の無駄である。俺は無言で、取り出したスマホを見せた。
道端に雪をうず高く積み上げた沙羅は、青のストライプが入った白い軍手から、つややかな手を抜き取った。俺のスマホを手に取るなり、しげしげと眺めてから安堵の溜息をついた。
「間に合ったか……」
画面の中では、逞しい男たちが泥水の上に転がされている。その真ん中にいるのは、小柄な田舎臭い中年の男だ。
村の女たちがテヒブさんと呼んでいた、この辺の地主らしい男である。どうやら、山藤……シャント・コウは彼によって難を免れたらしい。すると、沙羅の意味することはひとつしかない。
「じゃあ、これ」
ふふん、と自慢げに鼻で笑った沙羅は、スマホを俺に返して自分の仕事に戻った。人と自家用車とバスが踏み溜めていった路面の雪を、シャベルの先端を突きさすようにして剥ぎ取っていく。
「ヒーロー参上ってところね」
画面の向こうの異世界では、乱闘のさなかに現れて男たちを薙ぎ倒したらしい初老のテヒブが、腰を抜かした山藤……シャント・コウに手を差し伸べている。
「どうやって」
俺がそう聞いたのは、どう見ても救い主の登場が安い少年マンガのご都合主義にしか見えなかったからだ。もっとも、そう演出したのは沙羅だろうということも見当がついていたが。
「だから私は」
沙羅は面倒くさそうに、だがどこか得意げに経緯を説明し始めた。
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