第122話 ネトゲ廃人の前で美少女が現実と向き合う

 

 次の日の夕方、僕は村長の家の台所で、グェイブを背負ったまま料理の手伝いをしていた。

 男たちは暑い中、まだ畑仕事に出ている。僕のほうは一日、家の中の掃除ばかりしていたけど、男たちが集まる昼ごはんの前だけは、台所であっちへ走らされたりこっちへ物を運ばされたりして、何となくそういう仕事をする立場になっていた。

 外で働くより楽だったかというと、そうでもない。

 村長の家は2階建てで割と広かったから、掃除する場所も多かった。それに、昼間は女たちが庭でいろんな手伝いをしていたから、藁クズとか豆の殻とか、散らかるものもたくさんあったのだ。

 何で僕がそんなことを始めたかというと、リューナが自発的に働きはじめたからだ。

 夕べ、僕は前に閉じ込められていた部屋に自分から入って、ドアの前にベッドを動かした。誰も入って来られないようにするためだ。グェイブを抱えて寝転がった床は固かったけど、眠ってしまうのは早かった。

 目が覚めたのは、ずいぶん明るくなってからだった。

 誰かがドアを叩くから、グェイブを片手に持ったままでベッドを必死で動かすと、リューナがバケツと雑巾を持って部屋に入ってきた。窓を開けてくれたから、掃除してくれるのかと思ったけど、そのまま道具だけを置いて出ていったのだった。

 仕方なく部屋の掃除をしながら、ふと窓の外を眺めると、リューナが荷車いっぱいの豆を、籠に入れてはせっせと運んでいた。

 夕方になって、その豆は今、鍋の中でぐつぐつ煮えている。

「暑い……」

 さっきむいた豆の殻を拾っては、かまどで燃やす。

 それが僕の仕事になっていた。

 結構きつい。もうすぐ日が暮れる頃の家の中といっても、夏に火の番というのは暑いに決まっている。

 だけど、それを文句もいわずにこつこつやっている子供がいた。

 名前を、ククルという。

 夕べ、グェイブの刃を隠そうと真っ先に服を脱いだあの女の子だ。昼頃に母親らしい女とやってきて、そのまま僕を手伝い始めたのだった。

 村長の奥さんらしいお婆さんが何度も呼ぶから名前をおぼえてしまったのだけど、なんだかそのたびに、リューナの機嫌が悪くなっていった気がする。

 だからって、追い返すわけにもいかない。それに、子どもがまとわりついているせいか、村の人たちも夕方になって帰るまで、僕につらく当たったりはしなかったのだ。

 つらく当たるといえば、村の人は今日一日、リューナに何もしなかった。今までは手枷をはめたり閉じ込めたり、あれだけひどいことをしたのに、態度が全然違う。

 わけが分からなかったけど、何も起こらないのはいいことだ。今だってリューナは僕に知らん顔して野菜を洗っている。僕はそれを見上げながら、豆の殻を拾い続けた。

「腰痛い……」

 グェイブを背負ってしゃがむのは、普通に座るよりも面倒臭かった。縄で身体に縛り付けた長い柄が、かまどとか壁に当たって邪魔になる。身体の小さいククルのほうがよく働くくらいだった。

 水仕事よりは、たぶんマシだった。水道なんてないから、何か洗うたびに水を捨てては井戸で汲んでこなくてはならないのだ。

 昼間は僕がやっていたので、いつの間にか「水」という言葉を覚えてしまった。床にしゃがむ仕事を村長の奥さんに言いつけられてからは、リューナがこれをやっていた。

 その奥さんはというと、今では料理を全部リューナに押し付けて、台所の隅に置いた椅子の上で居眠りをしている。

「いい気なもんだよな……」

 ひとりごとを言うたびにククルが振り向くけど、日本語でしゃべってるから、意味は伝わってない。その度にニコッと笑うから、僕も笑い返す。ときどきリューナがそれに気づいては、目をそらした。

 そんなことを繰り返しているうちに、手元が暗くなってきた。明かりがないと、もう豆の殻を拾うのは無理だった。

 しばらくしてから、ククルが立ち上がって何か言ったのも、薄暗くなったからだろう。異世界で聞いた言葉をいろいろ思い出してみて、意味が何となく分かった。

 ……「もう帰る」かな?

 そう思ったとき、遠くで、戸を叩く音がした。リューナは料理の手を止めたけど、村長の奥さんは、椅子にもたれてまだ寝ている。

 リューナは一瞬だけ目を合わせたけど、僕が立ち上がる前に包丁を置いてその場を離れていた。鍋はまだ、音を立てている。

 ……吹きこぼれたらどうしよう?

 現実世界で、母さんに「台所見てて」と言われたことがよくあるけど、その度に鍋を吹きこぼして怒られた。火力を変えられるIHでさえそれなんだから、かまどにかけた鍋をどうにかしろって言われても困る。

 でも、そこで台所を離れたのはリューナじゃなかった。村長の奥さんが急にふらっと立ち上がって、すたすた歩きだしたのだ。

 そこで、戸口のほうから声がした。

「……リューナ」

 僕はハッとして、奥さんの後を追うリューナを止めた。空になった椅子がひっくり返る。

 そのとき、僕の目には椅子のひじ掛けについていた傷がこう見えた。

〈あなたが行きなさい〉

 この異世界に転生したときによく見た、あの日本語だった。

 ……あの婆さんが?

 まさかそんなはずはないけど、考えているヒマはなかった。ちょうど、倒れた椅子が邪魔をして、リューナは動けない。僕は台所を飛び出した。

 廊下をちょっと走っただけで、家の戸を開けるおかみさんの背中が見えた。外はもう、だいぶ暗くなっていたけど、外に誰かいるのが見えた。

 村長の奥さんが、その名前を呼ぶ。

「……テヒブ」

 でも、戸口の前の影は何も言わなかった。動きもしない。その隙に、僕の頭の中ではファンタジー系RPGの知識がフル回転していた。

 まず、テヒブさんはヴォクス男爵にエナジードレインを食らって吸血鬼にされた。たぶん、マスターを倒さない限り、元には戻らない。

 吸血鬼は早くても、日暮れにしか動けない。マスターなら霧になったりコウモリになったりできるけど、下僕サーバントは歩いたり、馬車を操ったりすることしかできない。

 吸血鬼がこうやって訪ねてくるときは、確か……。

 村長の奥さんは、テヒブさんの前で黙りこんだままだ。たぶん、家に入れていいかどうか迷っているんだろう。

 ……いけない!

 僕は異世界語でとっさに叫んだ。

「リューナ! 水!」

 廊下の奥から、ぱたぱたいう足音が聞こえてきた。どうもリューナっぽくないから振り向いてみると、ククルが危なっかしい手つきで桶を運んでくる。あまりにも遅いから僕が受け取りに行って、猛ダッシュで走って戻った。

 おかみさんを押しのける

「こいつ……ヴォクス!」

 吸血鬼なんて異世界語は知らないから、そこだけ名前で呼んでみた。それでも奥さんは分かったみたいで、ひいいと悲鳴を上げた。

 これで、テヒブさんは家に入って来られない。吸血鬼は、家の人に「どうぞ」と言われない限り中へ入れないのだ。

 さらに、僕は水のたっぷり入った重い桶を思いっきり後ろへ振る。ぶっかけてやるんじゃない。流してやるだけでいい。

 吸血鬼は、流れる水を渡れないからだ。ちょっとでも水を流してやれば、逃げ道をふさげる。

 でも、僕の手はそこで止まった。振り向くと、そこには奥さんの声が聞こえたのか、リューナが桶をつかんでいた。

「離せ、リューナ!」

 これも異世界語で言ったけど、通じたのか無視されたのか、リューナは桶を渡してくれない。悪いとは思ったけど、力を入れて奪い取るしかなかった。

 それがいけなかったみたいだった。僕もリューナも手が滑って、桶はその場にひっくり返ってしまったのだ。

 水はバチャンとはねたけど、そんなもので吸血鬼がひるむわけがない。テヒブさんなら、なんてことないだろう。

 こぼれた水がちょろちょろ流れていく先は、外じゃなくて家の中だった。もう、テヒブさんに帰ってもらう方法は一つしかない。僕は背中のグェイブを外へ突き出すと、家から駆けだそうとするリューナをもう一方の手で後ろへ押しのけた。

 グェイブが、廊下をぼんやりと照らす。足下で、こぼれた水が反射でじわっと光った。

「アアアアアア!」

 僕の耳元で、リューナが悲鳴を上げた。足下を見つめて、ガタガタ震えている。でも、僕はちっとも慌てていなかった。

 ……やっと分かったんだな。

 吸血鬼は、鏡に映らない。

 グェイブの光を反射する水たまりには、僕とリューナと奥さん、そしてククルの姿しか映っていなかった。

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