第186話 転生姫の贈り物と、新たな戦い
ネコ型幼稚園バスを降りたバスターミナルから、俺は冷たい年末の川風が吹く橋を渡って、雪の降りしきる田舎町を全力で走った。
2、3回すっ転んだ後、午後6時半きっかりにカラオケ「ひまわり」の前にたどりついたときには、店名の田舎臭いロゴを描いたガラス扉が閉まるところだった。
異世界転生アプリを開いて沙羅へのメッセージを送ってみると、画面上では村外れの壁を境に、リズァークとテヒブが罵り合っている。
〔性懲りもなく、またやってきおったか! 僭王の犬めが!〕
〔貴様こそ陛下の兵をあれだけ殺めて、ただで済むと思うな!〕
〔ヴォクスがオイを操ってやらせたことだから知らん顔もできんが、その吸血鬼もオイも仕留められなんだオンシを、僭王はどう
〔逆賊テヒブ・ユムゲマイオロを捕えて帰ればすむことよ!〕
その声を合図に、兵士たちは狭い壁の穴から、また、高い壁の上から、攻めかかってきた。
だが、その出口や降りてくる足下に、剣や槍で武装して待ち構えていたのは、駆け寄ってきた村人たちだった。
闘いが五分五分になったところを見とどけて、俺はスマホをポケットにしまった。
沙羅が、目の前に立っていたからだ。
「遅かったじゃない。危うく……」
息を呑んだところで、妙な間ができそうなのを感じた俺は、すかさずツッコんだ。
「何だよ」
「何でもない!」
沙羅は強引に、腕を絡めてきた。
「さ、どこでも連れてって!」
雪の街中を、俺は沙羅を連れて歩いた。
「ちょっと、女の子とは並んで歩くのがエチケットなんだけど」
親父が家に帰るまでに、路線バスに乗って家に帰っていなくてはならないからだ。
脱走がバレないうちに、沙羅を家まで送ってさっさと帰るつもりだったが、1つだけ聞いておかなければならないことがあった。
「俺も山藤も来なかったら、どうするつもりだったんだ?」
たぶん、何とかするだろうとは思っていた。だが、もしものことを考えると、どうしても気になって仕方がなかったのだ。
不意に、俺の身体が結構な力で引き寄せられた。
耳元で、甘い息が囁く。
「だって、来るって思ってたから」
「答えになってないだろ」
腕を強引に引き剥がすと、沙羅はムッとした。
「怖かったんだからね、私も! これからここで暮らしていくのに、ああいうの断るとめんどくさいし。他所でもその、そうなった子、いたし……そうならないように、心配してくれてたんでしょ、八十島君も!」
「そりゃ……」
その通りだったから、言葉に詰まった。沙羅はさっさと、俺を追い越して歩きだす。
「もういい」
その先にはもう、沙羅の家の紅柄格子が見えた。
「待てよ」
呼び止めてしまってから、自分でもそれを不思議に思った。
自宅の前まで来ると、沙羅はくるりと振り向いて、俺に告げた。
「でも、来てくれて嬉しかった。やっぱり……」
外套や店の明かりを滲ませて、雪が絶え間なく降りしきる。
沙羅が、くすっと笑った。
「……私の山藤君」
「何だよ、それ」
ムカッときて詰め寄ると、沙羅はささっと後ずさった。
「だって、すっごくカッコよくなったもん。恋って、男の子を成長させるものね」「じゃあ、俺は?」
問い詰めてみると、今度はそっぽを向いてみせる。
「最初に私、何て聞いた?」
異世界転生アプリをダウンロードしたとき、胸元の開いた純白のドレスをまとって大剣を持った、戦乙女の姿で沙羅が迫った選択だ。
「この異世界で刺激的に生きるか、現実世界で下僕のまま終わるか」
答えてしまってから、やられたと思った。
沙羅は勝ち誇る。
「山藤君は異世界に行ったけど、残った八十島君は私の下僕になることを選んだの。だから……」
そこで、俺のポケットでスマホが鳴った。取り出してみると、オフクロからのメールだった。
〔そろそろ家の中に入りなさい〕
クリスマス婚記念パーティーのための手の込んだ夕食が、一段落ついたのだろう。さっさとバスに乗らないと、まずい。
だが、このまま沙羅の下僕になることを認めたまま、年を越すのも嫌だった。
「帰らなくていいの?」
からかうような眼差しを正面から受け止めて、俺は言い切った。
「まだ、いい」
ウソだった。これで、アリバイ工作は失敗だ。だが、沙羅は満足そうにうなずく。
「よし……では、ついてまいれ!」
大仰にそう言うと、沙羅は自宅の前から、のっしのっしと雪を踏んで歩きだした。
橋を渡った俺たちは、バスターミナルとは逆の方向へ折れた。前後から来る車を避けながら歩く先には、あの神社がある。
沙羅の後に付いて足を踏み入れると、暗闇の中に杉の香りが漂っていた。
そんな静謐な空間の中で、沙羅の声だけが、さっきの答えを囁きかける。
「下僕が主人に付き従うのは、当たり前でしょ」
「そんなことを言うために、お前は……」
それ以上、言葉が続かなかった。思いつくこともなかった。考える前に、俺の唇が塞がれたからだ。
沙羅の唇で。
甘く濡れた感触に、頭の中が真っ白になる。
ポケットの中で、スマホが鳴った。そこで理性を奮い起こして、俺は一歩引いた。
「な、なにをいきなり……」
「姫が下したクリスマスの贈り物を、下僕が拒む気?」
ふざけているようでもあり、真剣でもあるようだった。どんな顔をして言っているのかと訝しんでいると、きょとんとした顔が闇の中に浮かんだ。
俺も沙羅も、同時に同じ言葉を発した。
「え……?」
光源へと目を遣ると、そこには2枚のレンズの鈍い反射がある。
聞き覚えのある、低い声が聞こえた。
「何をしている?」
LED懐中電灯を手にした、長い顔の担任だった。
沙羅がとっさに答える。
「先生こそ、こんなところで何を?」
「質問を質問で返すかね?」
凍てつくような冬の神社の空気が、ますます張りつめた。どこかで、杉の木の上から雪が落ちる音がする。
「補導、お疲れ様です。それじゃあ」
俺は沙羅の手がある辺りに見当をつけて引っ掴むと、境内を飛び出した。
低い声が、低いままで遠ざかっていく。
「気をつけろ……あまり深入りするものではない」
さっき来た雪道を逆方向に歩く俺たちを、車がのろのろと避けて追い越していく。タイヤが雪を削る音に紛れるかのように、沙羅が尋ねた。
「さっきの……見られたかな?」
「さあな」
素っ気なく答えたが、沙羅は腕を絡めてくる。今度は正面から、車が来た。逃げると危ないので、俺は腕を解けなかった。
沙羅が俺の型に頭をもたれさせたまま、囁いた。
「さっきは、ありがと」
「当然だろ、下僕としては」
皮肉たっぷりに返すと、走ってくる車の前に放り出されそうになった。
「危ないな!」
「そういうところを助けてくれてありがとう、って言ってるの!」
二度とこんな目に遭わされないように、俺のほうから沙羅の腕を抱え込んだ。
バスターミナルに着くと、人でいっぱいだった。それに加えて、自宅の方角へのバスが、満員で待っていた。何かあったのだ。期待を込めて、さっき届いたスマホのメールを確かめる。
〔雪で父さん遅くなるって。もう入っていらっしゃい〕
こんなに暗くなるまで、息子が外で雪かきをしていると思っている。血も涙もないのを通り越して、能天気だというより他はない。
ついでに異世界転生アプリを開いてみると、村人たちが勝鬨を上げていた。村の独立は守られたらしい。
それを覗き込んだ沙羅が尋ねた。
「で、次はどっち?」
忘れていた。「守護者」グレイバス・アンミルトンこと不破久作と、「探索者」ユーリイ・ベルアーラこと永井百合の、どちらの魂を争うか。
「どっちでも、受けてやるぜ」
もう、沙羅に振り回されることはないだろう。さっきのキスには、不覚を取ったが。
バスのドアが開く。乗り込もうとしたところで、沙羅が答えた。
「じゃあ、両方」
そう言うなり、頬に不意打ちが来た。
柔らかい、唇が。
「おい……!」
人が見てるだろ、と罵ろうと思ったが、振り向いたところにはもう、沙羅の姿はなかった。
運転手のクラクションに促されてバスに乗り込むと、アプリがメッセージの着信を告げる。
開いてみると、沙羅の挑戦状だった。
〔よいお年を……と言いたいところですが、守護天使に年末年始はありません〕
現実でも異世界でも、俺と沙羅の戦いは、しばらく続きそうだった。
転生したクラス全員を救い出すまでは。
(完)
クラス全員が転生して俺と彼女だけが残された件 兵藤晴佳 @hyoudo
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