第83話 ギャラリーからモブへの奇妙な同情

 家の建て込んだ町中とはいえ、やや吹雪いている川沿いの道は車が走りにくいらしい。

 このペースで行くと、2時間目の途中でのこのこ入っていくことになる。遅刻はどうにもならないし、不可抗力だから文句を言われる筋合いはない。俺は開き直ってスマホを見た。

 相変わらず、村長の家の前は人の出入りが多い。夕べもそうだったが、明るくなった分、余計にせわしなくなった気がする。

 僭王の使いが来たという事態は、現場となっている村はずれの壁と、いわば対策本部になっている村長の家の間を、人が夜っぴて連絡に往復しなくてはならないほど切羽詰まっているということだ。

 だが、ここを窓から見下ろした今朝と比べると、残っている人数はどうも少なくなっている気がする。俺の見間違いでない限り、出ていく人数のほうが明らかに増えているのだ。

 さっき沙羅がアプリのメッセージで言っていた「カギを持ってた男」も、もうここにはいなかった。村外れの方から戻ってきたのが1人いたが、別人である。

 この息せききって走ってきた男は、待機していた男たちには目もくれずに、村長の家の裏へと走っていった。しばらくすると戻ってきたが、顔から胸にかけてはずぶ濡れだった。井戸から水を、汲んだ桶に口をつけて直接飲んだのだろう。

 その慌てぶりに、待っていた男たちはざわざわしていたが、その中のひとりがおずおずと尋ねた。

《おい……何があった?》

《今日中だとよ》

 汗とも井戸水の名残ともつかないものを顔から滴らせながら、戻ってきた男は荒い息の中、やっとそれだけ告げた。

 待っていた方は、もどかしげに尋ねる。

《だから何が》

《テヒブを出せとよ》

 僭王の使いがしびれを切らせたのだろう。別の声が情けない声で吐き捨てた。

《だからいねえよ》 

 だいたい、この村でテヒブを引き渡そうという気がないのは2人しかいない。

 まず、リューナは夕べから、堂々たる非暴力不服従の態度で抵抗の意思を示している。

 一方でシャント…山藤はといえば事情さえ理解できていない。

 村人全員がその気になれば山狩りでも何でもすればいいのだが、そこまでする気はないらしい。戦って勝てる相手ではないのだから、当然といえば当然である。むしろ、死んでいてほしいというのが正直な気持ちだろう。

 だが、それでも納得するかしないかは僭王の使いとやらの胸三寸だ。

 その使いの言葉を告げた男は、同じくらい哀れっぽい声で答えた。

《向こうが聞かねえ》

 別の男が、意気消沈した一同を奮い立たせようとするかのように声を荒らげた。

《そこをなんとか分からせねえと!》

 戻ってきた方の男は舌打ちして、ヤケクソ気味の口調で尋ねた。

《リューナは?》

《ごねてる》

 投げやりに答える声に、不機嫌な問いは続く。

《あのガキは?》

《閉じ込めた》

 質問を打ち切って、男は村長の家に向かって歩き出した。

《連れて行くぞ》

《無駄だ》

 その場にいた何人かの男が一斉に押しとどめる手を振りほどきながら叫ぶ声は、ほとんど半狂乱だった。俺も怪しまれないように、一応はモブをそっちへ動かしてやる。

《娘が死んだって言えば信じるだろ》

《まあ、そうだが》

 納得の声が上がっても、リューナを引っ張り出そうとする男は解放されない。ふてくれされた様子で座り込むなり、ぼやいた。

《村長が人質に取られた》

 トップが拘束されたにしては、あまり深刻そうに聞こえない。その理由は、リアクションで分かった。

《あのジジイは死ね》

 早い話、人望がないということだ。すると、緊急性は他のところにあるわけだが、それを見てきた男は、力なくつぶやいた。

《テヒブを出さないなら男は全員来いとよ》

《何で?》

 首をかしげるひとりに、報告をもたらした者はガキの使いよりも無責任な答えを返す。

《知らねえ》

 男たちはしばらくの間、その場にひっくり返った男を見下ろしていた。そのうち、ひとり、またひとりと、壁のある村外れに向かって歩き出す。

 最後に、ひっくり返っていた男が起き上がった。俺にマーカーを置かれて呆然と突っ立っているモブを睨みつける。

 男からすれば、1人が動かないだけで僭王の使いに逆らったことになる。交代制の連絡役にすぎないのに、村の命運を担わされてしまったわけだ。

 あくまでも「その他大勢」に徹するつもりだったが、俺もまた当事者として判断を迫られている

 ……行かざるを得ないか。

 はっきり言って面倒臭かったが、仕方がなかった。

 相手は最高権力者の代理だ。このモブを動かさないことが、シャント…山藤や、リューナの安全に関わらないとも限らない。

 俺はモブを移動させた。マーカーをドラッグさせながら動かしているので、どうしてもスマホ画面の端っこで指が止まる。その度にモブも足を止めた。

 僭王の使いから命令を預かってきた男は、立ち止まったモブをせっつくかのように、その背後につく。

 ……気の毒に。

 背負いたくもない責任を背負わされて、やりたくもない監視役を務めざるを得ない。その気もないのに当事者にされてしまった俺は、この男に何となく同情した。

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