第170話 ネトゲ廃人、制御不能の馬車に乗る

《行っけえええええ!》

 山藤の一声で、馬は全力疾走を始めた。

 もちろん、あのネトゲ廃人に馬を操るような甲斐性なんぞあるわけがない。どうやって手綱を繰ったら馬車を走らせることができるのか、俺だって知らないのだから。

 ただし、手綱を使わないで済むのだったら手の打ちようはある。馬は体格の割に気が小さいというから、気の毒でもちょっと脅かしてやればいいのだ。

 何でも、かつて桶狭間で武田氏の騎馬隊が織田氏の鉄砲に惨敗した背景には、その威力というよりも山々に響いた轟音に馬が慄いて制御不能になったということがあるらしい。

 シャント…山藤の場合は、馬の大きな尻を斧の柄で突いてやればよかったのだった。案の定、馬は甲高い悲鳴を上げて、山藤の意思などお構いなしに突っ走っていく。

《追え!》

 兵士たちは口々に叫んで、走りだした。中にはもう、馬車が動く前に道を塞いでいる機敏な連中もいる。確かに、早い段階から待ち伏せて声をかければ、馬でも人でも激昂を抑えて止められるかもしれない。

 その誰もが長柄の斧を構えてはいる。だが、速度とベクトルを持った巨大な筋肉の塊りとなって突っ込んでくる馬を、そして馬車そのものを止められるものかどうかは疑わしかった。

 どっちにせよ、気の重い話なのだ。

 もちろん、山藤が捕まってしまったら、それこそタダでは済まない。落馬はするだろうし、その上から馬車が倒れてくるかもしれないし、そうでなくてもひどいリンチが待っているだろう。いや、もしリズァークが戻ってきたら、その場で処刑を命じるかもしれない。

 だいたい、マウントポジションを取って今にも命を取りにかかっている吸血鬼ヴォクス男爵を追い払ってしまったら、シャント…山藤などには何の価値もない。リューナを連れ去ったとヴォクスに思わせればこそ、囮としての使い道がある。身の危険が去ったら、いかに小物とは言っても自分に逆らった以上は、目につき次第、始末しなければ気が済まないだろう。

 かといって、山藤が逃げおおせるのにも、良心の疼きは覚えられなくもなかった。

 道を塞いでいる兵士は、道幅に対して少なくない。アプリのCG処理で見る限り、5人や6人はいるだろう。うまく馬車をよけてくれればいいが、身体を張って止められた日には、浅からぬ怪我を負う羽目になる。スマホの向こう側とはいえ、人を傷つけるのは気分が悪かった。

「逃げてくれよ……」

 俺が果たしている役割は山藤の守護天使だが、この声は兵士にも届いてほしかった。キジも鳴かずば撃たれまい、のことわざもある。

 だが、イヤな意味で期待通りに、兵士たちは揃いも揃って硬骨漢揃いだった。突進してくる馬車を前にして、怯む素振りさえ見せない。斧の長い柄を両手に構えて、腰を落とす。

 完全に、正面から迎え撃つ構えだ。たぶん、実際の戦闘でもこうなのだろう。大河ドラマなんか見ると、騎馬武者を数人で取り囲んで、下から槍で突き上げて地面に落としたりしている。馬はどうだか知らないが、山藤なんぞは斧から突き出た穂先で、一斉にめった刺しにされて終わりだろう。

 どっちに転んでも、血を見そうだった。スマホ画面上のCGとはいえ、こんな夜中に、人が無残に死傷する姿を独りで見たくはない。

 俺は思わず目を固く閉じた。スマホを頭の上に捧げ持つ。

「勘弁してくれよ……」

 ひたすら祈ったり詫びたりするしかなかった。

 だが、手の中から聞こえる怒号が、両の瞼をこじ開ける。そこで見るともなく見たのは、兵士への命令を示したウィンドウだった。

《退け! 手出しをするな!》

 山藤を助けてくれるというのは意外だった。一瞬、誰が現れたのか分からないで戸惑ったが、これまでの出来事から引き算してみると、こんなことができる立場にあるのは1人しかいない。

 リズァークだった。

 森の向こうで炎上する城を前に、その主たるヴォクス男爵と一騎打ちを演じてからどうしていたのかは知らない。あの大きな鎧人間を倒したのか、それともすり抜けてきたのか。

 とにかく、リーダーが戻ってきた以上、兵士たちにも統制が戻ると考えていい。面倒なのが増えたといえばそうだが、この場としてはありがたい限りだった。

 リズァークが何を言うか、何をするかに注意していれば、ここから先、何が起こっても対策がしやすい。

 だが、どこにでも跳ねっ返りはいるものだ。道を塞いでいた兵士たちは一瞬で道端に並んだが、兵士が1人だけ、動こうともしないのだ。これには、俺も参った。つい、スマホ画面にかじりついたりもする。

「やめてくれよ……」

 わざわざ、人が1人轢かれる残酷な場面を見たくはない。だからといって、目をそらしていれば済むという問題でもない。元はといえば俺がモブ兵士を使って馬の尻を突っついたのが原因なのだから、知らん顔をするのも後ろめたかった。

 ここは逃げてもらわなければ、今後の寝覚めが悪い。

「どけ!」

 叫んだ声がハモって聞こえたのは、画面の中で山藤が叫んだからだ。

《どいてよおおおおお! 危ないんだからあああああ!》

 パニックに陥った馬が、そんなことで止まるとも思えない。実際、山藤がいくらめちゃくちゃに手綱を引いても、いや、引き方がめちゃくちゃだからこそ、馬は余計に暴走するのだろう。

 この妙に意地の強い兵士にマーカーを置いて動かせないかと思ったが、性根が座っている時のモブは、モブであってモブではない。何としてでも自力で馬車を止めようという、断固たる意志に燃えていては、俺が助けてやることもできなかった。

 そうこうしているうちに、シャント…山藤の馬車が兵士の鼻先まで迫る。本人も、俺も何もしなければ、その場には無残な轢死体が1つ転がることになる。

 スマホ画面に浮かんだウィンドウ付きで、悲鳴が聞こえた。

《轢いいいいいちゃううううよおおおお!》

 山藤の顔も、恐怖に歪んでいる。こいつにしてみれば、自分が乗っていながらコントロールできない馬のせいで、人間ひとり殺してしまうわけだ。やってしまったが最後、もしかすると、立ち直れないかもしれない。

 ……しゃあねえなあ!

 それが原因で、現実世界に戻れないなんぞと言い出したら面倒が増える。山藤についても俺についても利害が一致したところで、俺はそこらにいるモブの頭に片っ端からマーカーを置いていく。

 最後の最後で、なんとか他のモブを捕まえることができた。

 ……まだ間に合う!

 道の真ん中までモブの脚をドラッグして、身体の重心を見当外れの方向へと思いっきりずらしてやった。当然のことながら、モブの脚は前へとつんのめる。その先には、馬車を待ち構える兵士の姿があった。

 ……そこだ、頼む!

 俺の捕まえたモブは、もんどりうってその兵士を突き飛ばしたかと思うと、抱き合うような形で一緒に道端を転がった。間一髪、山藤を御者台に乗せた馬車は、凄まじい勢いで通り過ぎていく。

 ……助かった。

 それは、たぶん、俺も含めて「その場」にいる全員が思ったことだったろう。何にせよ、誰も死ななかったのだから。

 だが、山藤にそんなことを考える余裕はない。馬は身悶えしながら、真っ暗な道を駆け抜ける。馬車の先に乗った身体は何度となく跳ね上げられ、いつ落馬させられるか分からない。このアプリにしても、こんな走り方をしている馬車を、よくもまあ相対速度ゼロで撮れるものだ。

 とにかく、シャント…山藤はどうにか、馬車を奪って逃げることはできた。あとは、どうやって安全に降ろすかが問題だ。

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