第81話 ヒーローが気づかなかった沈黙の結末
男たちは、再びドアの前に戻った。
……まずい。
これで脱出のチャンスはなくなった。男たちの人数が多すぎる。たとえ男がカギを開けても、強行突破の末にグェイブを奪還するというのは無理だろう。
……どうする?
このまま放っておくのがシャントの身の安全のためなのだが、山藤のためにはならない。このネトゲ廃人には自分で苦労させて、現実世界のほうがマシだと思わせなくてはならない。
その対極にいるのが、異世界から来たお姫様の沙羅だ。この女は現実世界の人間に異世界でいい思いをさせて帰る気をなくさせようとしている。さっきドアの前に女を1人、モブとして引っ張ってきたのも、山藤に痛い思いをさせないためだ。
ところが、思いもよらないことが起った。
俺の操るモブにドアへ押し付けられた形になっていた女が、その腕をすり抜けて階段を下りていったのである。
……え?
沙羅の肚が読めずに、一瞬戸惑った。ここでドアの前を空けてしまえば、怒り狂った男たちは中に踏みこんで、シャント…山藤を袋叩きにするだろう。
むしろ、邪魔になっているのは俺の使っているモブだった。
……待てよ。
カギを持った男だけをドアの前に残す方法が、たった一つだけあった。
俺はモブの手を伸ばしたまま、女の後を追って階段を下ろした。
スマホ画面上での手足の操作は煩雑だった。だが、俺がいるのは、真っ向から吹き付ける吹雪の中をのろのろと走るバスの中だ。時間と余裕は充分にある。
男の手が女の肩にかかったとき、男たちの誰かが声をかけた。
《どこ行くんだよ》
決まっている。女の行くところだ。
さっき女に襲い掛かった男がその後を追って行けば、何か狼藉を働こうとしているように見えるのが当然だ。
案の定、男たちはモブを追って階段をドタドタと下りる。
沙羅は何を思ったのか、女を外へ逃がした。俺もモブ男に後を追わせる。
その結末は、予想通りだった。
《きゃあああああ!》
沙羅のコントロールを外れた女が、背中にもたれかかったモブ男に気付いて悲鳴を上げた。背後に迫った男たちが、モブ男を引きずり倒す。
《何しやがんだ、この野郎!》
俺がマーカーを外したところで、モブ男も我に返った。
《何だ? 何だ? ここどこだ? ちょっとお前何すんだよ!》
男たちはよけい逆上する。
《そいつはこっちのセリフだ!》
《しらばっくれんな》
俺がマーカーを置いた別の男の視野に入ったのは、リューナを集団で脅した仲間から袋叩きにされる、たいして罪もないモブの姿だった。用は済んだので、もう構うつもりはなかった。か弱い婦女子を、男が集団に加担して威圧した罪は重い。自業自得だ。
新しいモブの視界では村長の家が、熱いくせに妙にすがすがしい夏の朝特有の光に照らされていた。
この中では、もうシャント…山藤が反撃に転じているはずだ。モブを踏みこませて確かめようと思ったとき、バスはいつの間にか町中のバスターミナルに着いていた。俺はアプリの画面を閉じて、斜めに降りしきる大粒の雪の中へと降り立った。
待合室の中は、外の天気のせいか、寒々と薄暗かった。俺はいつもだったら間もなくやって来るはずのバスを待ちながら、ストーブの前に座ってスマホのアプリを起動した。
沙羅から、メッセージが入っていた。
〔さっきの貸しだからね〕
売店にかかっている時計を見ると、ちょうど休み時間だった。スマホを使っても、見つかる危険性は低い。
……貸しだの借りだの、またかよ。
この女の貸借表は複雑すぎて、もう何が何だか分からない。分かったところで気にする気もなかったが、一応は聞いてみた。
〔何のだよ〕
わずかな休み時間でも、他クラスの男子は沙羅の周りにかしづいていることだろう。勝手にしろ、田舎者ども。
場末のお粗末な逆ハーレムの退屈しのぎか、沙羅はすぐさま返答をよこす。
〔山藤君守ってあげたじゃない〕
いらぬお節介をしておいて、恩着せがましいことこの上ない。俺は即座に反論した。
〔あの後戦ったんだよ〕
〔誰が?〕
白々しい。あの流れで言ったら、ひとりしかいないだろう。トボけられないように、はっきりと言葉で示してやった。
〔山藤が〕
〔誰と?〕
……もしかして俺、バカにされてるんだろうか。
まともな対話もできないほど、沙羅もバカではないだろう。だが、そう思うと何か不安になってきて、俺は恐る恐るメッセージを返した。
〔さっきのカギ持ったのと〕
〔戦ってないよ〕
事実だけを告げた短い一言で、不安は一気に現実となった。それでも俺は諦めきれずに食い下がった。
〔ドアの前にいた奴とだぞ〕
あの後、カギを開けてシャント…山藤にヤキを入れに行ったんじゃなかったのか。
その疑問に、沙羅は頼みもしない答えを返してきた。
〔さっき八十島君のモブ、ボコボコにした奴等の中にいたでしょ〕
さっき、と言っても俺はスマホを見ていない。完全にブラインドを突かれたわけだ。どうやら、山藤の心配をすると歩きスマホの危険を冒さなければならなくなるらしい。
素直に失策を認めざるを得なくなった俺に、異世界の姫君は温かい言葉をかけてくださったものだ。
〔早くおいで。待ってるから〕
メッセージには、仰々しくハートなんか付いてる。
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