第82話 後ろ手の脱出劇

 ドアが開けられないなら、この窓から出るしかない。すると、この「井」の字型の格子は邪魔だった。

 ……壊せないかな。

 掴んでガタガタやれたらいいんだけど、背中で手枷をはめられているから、どうにもならない。だいたい、窓の高さまで手が届かない。

 ……何か、踏み台になるもの!

 部屋の中をあちこち見てみたけど、机も椅子もなかった。この前、ヴォクスと最初に戦った夜に日が昇るまで寝かされたベッドが隅に1つあるだけだ。あとはがらんとしている。

 ……甘かったかな。

 僕は改めて、背が低いのを恨んだ。もっと背があったら、何か乗っかるものがなくても、格子に何とか触れたはずだ。

 ……やっぱり、諦めたほうがいいんだろうか。

 できないことを無理にやったって、結局は心が折れるだけだ。もう何をするのもイヤになってへたり込みたかったけど、一回座ったらたぶん、立ち上がるのが大変だ。

 ……あ、でも。

 壁にもたれようとして、藁の上にシーツを敷いただけのベッドが目に付いた。ここなら、座っても寝転がっても何とか床に立つ事が出来る。

 そこで気が付いた。

 ……あ、これだ。

 何で分かんなかったんだろう!

 僕は後ろ向きにしゃがんで、ベッドの端をつかんでみた。

 ……たぶん、引っ張れる。

 すごくきつい姿勢だった。

 学校の帰りに体育会系の部活で「空気椅子」とかなんとか、何もない所に座ったポーズでじっとさせられているヤツらを遠くから見たことがあるけど、帰宅部でよかったと真剣に思った。ちょうどあんな感じの格好だ。

 窓に向かってちょっと歩いてみた。じりっというくらいに何とか進んだけど、一歩にも足りない。それでも、ベッドは動いた。

 ……もう少し!

 そうは思っても、結構、距離があった。ベッドを引きずってなんとかたどりついたときには、もう汗だくで、腕の感覚がなかった。床にへたり込みそうなのを我慢してベッドに座ると、身体がぐったりして、その場に倒れてしまった。

 ……ちょっとだけ。

 うとうと眠りかかって、はっとした。

 ……こんなことしてる場合じゃない! 

 起き上がろうと思ったけど、身体が動かせなかった。金縛りとかそういうんじゃない。

 忘れていた。背中で手枷をかけられてたんだった。

 仕方なくベッドの上で90度回って、いったん床に下りた。面倒だったけど、そこからベッドに足をかけて、その上に登った。

 ぐるっと回ってみると、何かが何かにガツンとぶつかった。たぶん、手枷が窓の格子に当たったんだ。

 手応えがあったところが、みしっ、と鳴った気がする。この窓枠は、意外ともろいみたいだ。

 壊せるかもしれない。

 ……いくぞ!

 身体を思いっきり横に振ったところで、外から大きな声が聞こえた。

「……上! ……!」

 しゃがんで窓枠の外を見てみると、男が2人、こっちへ向かって走ってくるみたいだった。

 ……見つかった?

 階段をドタドタ上がってくる音がする。背中を冷たいものがつうっと滑った。

 ……絶対、ボコボコにされる。

 だって、逃げようとしたんだから。

 でも、その時、思い出したことがあった。

 ……さっきのチャンス来た!

 カギが開く音がする。ドアが開いたところに立っていれば、そこをすり抜けられるかもしれない。

 僕はドアに駆け寄るためにベッドから飛び降りようとしたけど、身体はしゃがんだ姿勢で止まった。 

 ……待てよ。

 男たちの間をすり抜けようにも、気になることがあった。

 ……絶対、手枷が邪魔になる。

 身体に引っかかったり、手でつかまれたりしたら、そこでおしまいだ。

 ……どうする?

 迷っているうちに、ドアが開いた。

 カギを持った男が1人、ベッドの上に立つ僕に向かってノシノシ歩いてくる。

 ……めっちゃ怒ってる。

 顔を見れば分かった。集会でヤンキー連中が騒いでいる時にキレて怒鳴る、生徒指導の先生みたいな感じだった。

 でも、びくついてる暇はない。ドアが開いたままってことは、逃げるチャンスがあるってことだ。

 飛び降りようとしてしゃがんだところで、廊下から隣のドアを叩く音がした。

 ……リューナ? 

 もう1人の男が、リューナにドアを開けろと言ってるんだろうか。

 そう思ったとき、ドンドン叩く音はドアから壁に移った。

 リューナが叩いているらしい。

 ……何があったんだろう?

 そっちに気を取られている隙に、僕の方にも男は駆け寄っていた。

 慌てて、勢いをつけて身体を起こす。 

 その時にはもう、僕は男が伸ばした両手に抱え込まれそうになっていた。

 ……しまった!

 僕を捕まえるために、男もちょっとしゃがんでいる。

 その頭は、僕の腰の辺りにあった。

 ……閃いた!

 僕は身体を回転させた。

 背中の腕をちょっと持ち上げる。

 手枷が、何かにガツンと当たる感じがした。

 床で音がしたから、たぶん、男の頭にヒットしたんだろう。

 ちょうど一回転したところで、のたうち回るそいつの手元にカギが転がっているのが見えた。

 ……今だ!

 ベッドから飛び降りて、カギを拾おうとした。でも、背中に手が回っているから無理だった。

 ……でも、これさえあれば!

 手枷を壊さずに外せるかもしれない。

 どうしようかと思っていると、男が頭を痛そうに押さえて身体を起こした。

 カギに気が付いたみたいで、手を伸ばしてくる。僕はとっさに、そのカギを蹴飛ばした。

 体育でやったサッカーでは、ボールに近づくこともできなかった。たまにボールが転がってきても、蹴ったその先は、ラインの外とか、走ってきた相手チームの足もとだった。

 味方から罵声を浴びたことしかない。

 でも、このカギは勢いよく床を滑った。

 しかも、ドアの方へ。

 ……行っけえええええ!

 ドアの外には、グェイブがあるはずだ。その辺りで止まってくれれば、カギと両方が手に入る。

 そう思ったけど、カギは開いたドアの外で見えなくなって、下の方で小さい音がした。

 チャリーン、と。

 ……あ。

 一瞬、ポカンとした。

 隣の部屋からリューナが壁を叩く音ではっとする。

 ……落ちちゃった。

 2階の廊下から、玄関辺りに。

 でも、がっかりしてる暇はなかった。

 ……逃げなくちゃ!

 ドアに向かってダッシュした僕は、思いっきり前に倒れた。

 ……え?

 何かが足をつかんでいる。そっちをちらっと見ると、床に座り込んだ男の手が見えた。もう一方の手は、まだ頭を押さえている。

「離せ!」 

 思いっきり足を引くと、すっぽり抜けた。立とうにも立てない僕は、必死で床を這った。

 男の手が足首に触ったのが分かった。でも、身体は前に進む。何とかつかまれずに済んだらしい。

 ヘコヘコと這う僕を、床を叩く手の音が追ってくる。僕はひたすら逃げた。なんとか廊下に出られれば、そこから動いていないはずのグェイブを手に取れる。

 開いたドアは、目の前まで来ていた。

 ……もう少し!

 でも、そこで身体は止まった。どれだけ身体をよじっても、足首を掴んだ手は離れない。耳元に響くのは、リューナが叩く壁の音だ。

 ……負けるかああああ!

 力を振り絞って這うと、ちょっと前に進めた。頭が半分、ドアの外に出る。

 思った通り、グェイブは夕べの場所にあった。その向こうでは、男が1人、リューナの部屋のドアを背中で押さえている。ときどき身体が前に揺れるのは、中から押されているからだろう。

 僕は叫んだ。

「リューナ!」 

 揺れていた男の身体が止まる。壁を叩く音もしない。静かな廊下に、クスンクスン泣く声が聞こえた。部屋の中にいるリューナだ。

 ……ありがとう。

 僕のために泣いてくれているんだと思うと、胸が痛かった。心配をかけたのだ。いや、脱出できなかったのが分かって、がっかりしているのかもしれない。

 どっちにしろ、そんなリューナの気持ちを思うと、頭も冷えた。

 足首は、まだ男に掴まれている。グェイブを拾うチャンスは、たぶん、もうない。

 ……完全アウトだな。

 そう覚悟を決めたとき、階段を上ってくる足音が聞こえた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る