第80話 俺と姫君と美少女と

 俺と同じく、シャントに迫る危機を山藤が回避するのは無理だと察したのだろう。違うのは、ただ助けてやるか解決させるかという点だけだ。

 男たちが、女に罵声を浴びせる。

《何だ?》

《どけ》

 女は眉ひとつ動かさない。当然だ。沙羅にコントロールされたモブなのだから。カギを持って先頭に立った男がじろりと振り向くと、騒いでいた連中は押し黙った。

 その男は、おっとりとした口調で女に語りかけた。

《なあ、邪魔しないでくれよ》

 それは俺も同じ気持ちだった。操るモブが目の前に何人かいた男たちの間に手を伸ばすと、そこだけ身体が空いた。

 だが、銭湯の男はそれを察したのか、一声で叱りつける。

《おい、女に手を出すな》

 とりあえず立ち止まると、男は説得を続けた。

《たしかにまあ、あいつは子どもだけどな》

 女は答えずに、ドアを背中で押さえる。もちろん沙羅がやっていることだが、背後でひとりが声を荒らげた。

《このアマ》

 さらに片方ずつの手を差し出して足を踏み出すと、また男たちがどいてくれた。どうやら先頭の男はリーダー格で、逆らいにくい相手らしい。空気を読まずに動く俺のモブは、連中がやりたくてもやれないことを代行しているということだろう。

 モブの手を女に向かって伸ばすと、カギを手にした男が止めた。

《やめろ》

 俺は立ち止まった。まだ、「その時」ではない。この女をドアの前からどけるのは、男の説得が完全な失敗に終わってからだ。そうでないと、この男はシャントをぶちのめす前に、独断専行したモブに制裁を加えるだろう。

 カギを持っている以上、この男にドアを開けてもらわなくてはならないのだ。そうしないと、シャント…山藤へのフォロー計画は頓挫する。

 計画の要となっているこの男は、さらに女を説き伏せようと言葉を尽くした。

《これ使って暴れても困るだろ》

 その目が見ているのは、もうひとつの要だ。

 王宮の衛士テヒブが残した、凄まじいパワーを秘める長柄の武器。

 グェイブ。

 女は恐れをなしたかのように、閉ざされたままのドアに向かって立った。男は慌てなだめにかかる。

《触らせなきゃいいんだよ》

 女は恐る恐る、男に振り返った。沙羅もたいした役者……というかディレクターだ。それなら俺も遠慮はいらない。男のほうのモブを女に迫らせて、ドアに手を伸ばす。

 早い話が、すでに使い古された、いわゆる「壁ドン」だ。

 ……さあ、どうする沙羅。

 男どもは、唖然として息を呑んでいる。現代日本の基準で見ても、明らかなセクハラだ。雨の中で起こったリューナへの狼藉にあれだけ怒った沙羅が、女をこのままにしておくわけがない。

 このモブを張り飛ばして階段の下へ叩き落としてでも、女を守るだろう。そうなれば、カギを持ったリーダーもこの女への遠慮はするまい。女をドアの前から引き剥がして他の男たちに引き渡し、自分はドアを開けるだろう。

 その時がシャント…山藤のチャンスだ。1人だけが相手なら、この男を突き飛ばしせないこともない。あとは、自分かこの男がグェイブの上に倒れればいい。

 グェイブを取り返せればよし、そうでなくても、持ち主でない者に触られたグェイブが暴発するはずだ。

 だが、俺のもくろみは完全に外れた。

 女は振り向くと、おとがいを挙げて目を閉じた。

 まるで、キスでもせがむように。

 ……どういうつもりだ、沙羅。

《やめろお前ら》

 リーダー格の男が、別の意味で止めに入った。まるで恋人同士のような姿になった俺と沙羅のモブを引き剥がす。だが、女の方が男のほうにすがりついて離れなかった。

 ……この手があったか。

 色恋沙汰に見せかけて、意地でもドアの前は空けないつもりだ。こうなるともう、この女を階段から突き落とすぐらいしか方法はない。

 だが、そんなことをする気はなかった。それをやったら沙羅はゲームを降りるだろうし、それは、沙羅に自分の生まれ故郷を捨てさせるということだからだ。

 なおかつその時、沙羅がたどり着くのを待っていたこのアプリが存在する保証はない。たとえなくならなかったとしても、シャント・コウとして転生した山藤が現実世界に戻れなくなるかもしれない。シャントがヴォクス男爵を倒してリューナを守り切ったとき、山藤に選択を迫れるのは沙羅だけなのだ。

 ……どうする?

 なんとかドアの前にいる男たちの数を減らして、カギを開けさせなればならない。俺は女をどかすのをやめて、視界をぐるりと回転させた。

 画面の外にいる男たちの誰かが叫ぶ。

《そいつに触んな!》

 視点をそこに合わせてみると、男たちに両腕を掴まれて暴れるリューナがいた。何か叫ぼうと口を動かしているが、呻き声しか出てこない。それも、掴んだ腕が振りほどかれないように押さえ込むのに必死になっている男たちの声にかき消されてしまう。

 ……やっぱり、喋れないか。

 声が出ないふりをしている、という線は消えた。その気になれば、ここで啖呵を切ることもできるはずだからだ。

 シャントに指一本でも触れれば僭王の使いには何一つ喋らない、とやれば男たちを黙らせることができる。

 口が動いているのはその脅しのためだろうが、声が出なければどうにもならない。それは分かっているはずなのに、なぜここに出てきたのか。

 その理由は、リューナの足下にあった。

 グェイブ。

 これに触るな、というのは、その結果のエネルギー暴発が恐ろしいからだ。

 ……まさか。

 何というクソ度胸のある娘だろう。わざと触って、その衝撃と閃光に男たちを巻き込むつもりだったのだ。

 カギを持った男は、リューナのほうを振り向いて言った。

《ここから出すわけにゃ行かねえ……お前が王様のお使い追っ払うまではな》

 完全な開き直りだったが、リューナは抵抗するのをやめた。男たちが部屋に連れ戻そうとすると、リューナはその手を振りほどいて自分で戻っていった。

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