第126話 異世界姫と守護天使の復活
境内の隅にあるベンチに並んで腰かけて、俺たちはそれぞれ、自分の弁当を貪り食った。傍目から見れば仲の良い恋人同士と誤解されたかもしれないが、ここは杉の巨木だけが佇む無人の境内だった。
道端には誰がいるのか分からないが、それは鳥居の外からも俺たちの姿が見えないということだ。誰に見咎められることもなく空腹を満たすと、やっとゆっくり話す余裕ができた。
沙羅は一日中ボサボサだった髪をかき上げてみせると、カラ元気いっぱいに聞いた。
「私、怖い顔してるでしょう?」
「ううん、全然」
沙羅の転校前に担任が授業で暗誦してみせた、宮沢賢治の『無声慟哭』の一節を思い出しながら答えてみせる。
あの詩を引用しているわけではないが、本当にそんなことはないのだ。今朝はどこの怨霊かと思うほどに泣き腫らしていた目が、すっかり元の小生意気な輝きを取り戻している。
「夕べ、寝ないで泣いてたんだ」
実を言うと、こっちがどう聞こうか迷っていたことだった。それをあっさり言ってくれると、かえって拍子抜けする。だが、理由は察しがついていたので、かえってためらうことなく聞けた。
「テヒブ?」
「吸血鬼なんかになっちゃった」
苦笑してみせるのが、何だか哀しかった。沙羅にとっては、こっちが転生した異世界なのだ。それなのに、スマホの向こうの故郷で唯一、彼女が覚えている相手はもう人間ではない。
「戻れるんだろ、人間に」
確か、ボスを倒せば吸血鬼化は解けるはずだ。TV放送されてる洋画やなんかを何となく見ただけだからよくは知らないが、ホラー映画なんかだと、それっぽい展開が多いみたいだ。
少しずつ薄暗くなっていく空の下で、沙羅は目を伏せてつぶやいた。
「ありがと」
余計なことを言ったかと思って、俺はスマホの画面に目を戻した。シャント…山藤が豆ガラを拾う台所は、随分と暗くなっている。
《もう帰るね》
そう言ったのは、ククルだ。立ち上がった小柄な影を山藤はしばし見上げていたが、微かにうなずいたのは意味が伝わったからだろう。
だが、その時、戸を叩く音がした。料理の手を止めたリューナが、出迎えのためか、包丁を置いて台所を離れようとする。山藤はといえば、暗いのをいいことに、下働きの手を止めていた。
……働け、ネトゲ廃人。
だが、こいつの尻を直に叩く術はない。俺が動かせるのは、モブだけだ。今、ここに残っているのはククルか、村長の妻だけだ。
俺は、うとうと居眠りしている婆さんのほうにマーカーを置いた。完全に寝てはいなかったのか、動かすことができそうだった。
このまま動かしてシャント…山藤を追い立ててやってもいいが、ククルを怯えさせてしまう。いや、シャント(あくまでも山藤とは言いたくない)に気があるらしいこの子は、健気にも庇いだてするかもしれない。
……急がば回れ、だ。
婆さんの手元を拡大してみると、暗い中にも椅子の肘掛けがCG処理で明確に浮かび上がっている。俺は急いでその指を動かして、木目の上に山藤へのメッセージを書いた。
〈あなたが行きなさい〉
リューナが台所を出る前に、俺は村長の妻を動かして行く手を遮った。その場から慌てて後ずさるリューナを置いて、モブを操るマーカーを廊下へと滑らせてやる。山藤の目には、村長の妻が急に立ち上がって歩きだしたように見えるだろう。
……さあ、気づけ!
この異世界にいる限り、こいつに食っちゃ寝の生活はない。
自発的に婆さんを引き留めて、自ら村長を迎えに出られるくらいの要領があるなら、それでいい。それができないのが、山藤だ。
何とかして、椅子に書かれた文字を見せてやる必要がある。できれば至近距離から、そこにグェイブの光を当ててやりたい。だが、そのためには、シャント…山藤を椅子のそばへと引き寄せなければならないのだった。
……さて、どうするか。
山藤の尻を叩けないなら、そこに火をつけてやればいい。もちろん、ものの喩えだ。動かないではいられないような事件を、こちらで仕組んでやるのである。
だが、俺の操る婆さんは、もう廊下に出ている。策を講じるには、もうひと手間かけなくてはならない。
だが、事態はその前に動いた。戸口の方から、男の低い声が聞こえたのである。
《……リューナ》
聞き覚えのある声だった。俺のすぐそばで、沙羅がつぶやいた。
「テヒブね」
一瞬、ギクッとした。沙羅がいちばん口にしてはならない名前だ。だが、その声は落ち着いていた。
「どうする? 八十島君」
リューナもテヒブの声に気付いたらしく、村長の妻の後を追って小走りに台所を出ていこうとしていた。
だが、ここはシャント…山藤がテヒブを迎え撃つべき場面だ。それも、こいつの意志によらなければならない。
一方の沙羅は、挑発的な口調で提案した。
「ククルちゃん貸してくれるんなら、なんとかしたげる」
モブの候補に上げられた純粋無垢な幼女は、何が起こったのか分からないという様子で、かまどの前に立ち尽くしている。こんな子供を、吸血鬼化したテヒブとの戦いに巻き込むわけにはいかない。
だが、既に村長の妻をモブに使っている俺には、打つ手がなかった。
「この子に触るな」
そう言うのが精一杯だったが、沙羅は昼前まで見る影もなかったのがウソのように俺をからかった。
「気の多いことで結構ですね、八十島君も山藤君も」
「そんなんじゃない」
ネトゲ廃人の山藤はともかく、だ。
だが、沙羅はなおも、食い下がるかのように畳みかけてくるの。
「セクシーなリューナちゃんといい、ロリ系ククルちゃんといい……」
俺は黙って、スマホ画面を操作した。吸血鬼化したテヒブの出現でつらい思いをしているのは、リューナだけではないということだ。
沙羅を肘で制した俺は、村長の妻である婆さんを立ち止まらせた。
迎えに出て然るべき者が現れなければ、テヒブ自身がリューナをさらいに家の中へと乗り込んでくるだろう。そうなれば、山藤は自らグェイブを振るって戦わなければならなくなる。
俺はそこまで読んだのだが、思わぬ一言で肩透かしを食らった。
《ダメだ!》
けたたましい音が聞こえて、俺は椅子が倒されたのを察した。山藤が、重い腰を上げたのだ。
……見えたか、見えないか。
山藤が俺のメッセージに気付いたのは、シャントが台所から飛び出してきたことで分かった。
だが、テヒブはまだ、家の中へ踏み込んではいない。山藤に、自分からグェイブを振るって戦う度胸があるかどうか。
……もう一押しだ。
俺は気が咎めたが、再び婆さんを動かして、戸口まで歩かせた。手を動かして、戸を開けさせる。モブを吸血鬼の前にさらすのは気が引けたが、シャント…山藤に戦う決断をさせるには、こうするしかなかった。
小柄な男が、夏の夕暮れを背にした影となって佇んでいる。
果たして、戸口に立っていたのはテヒブだった。その向こうには、遠くで揺らめく松明の灯が見える。男たちが畑仕事から帰ってきたのだ。
……しめた!
台所には、リューナとククルがいる。俺…というか、シャントつまり山藤ひとりではフォローしきれない。人が増えれば、それだけ守りやすくなる。使えるモブも増えるから、俺にしても沙羅にしても、打つ手の幅が広がる。
シャント…山藤がテヒブ相手にどこまで戦えるかは心もとなかったが、どっちみち、こいつ地震でなんとかするしかない。俺は迷わず、婆さんの頭の上にあったマーカーを、遠くの男たちに移動した。
視界が夕闇の中を一気に駆け抜けると、松明を持った男が1人、モブとして捕まっている。だが、村長の家で拾ったセリフはまだ、スマホ画面の上に残っていた。
それはたぶん、村長の妻が戸口を開けた瞬間、我に返って思わずつぶやいた一言だったろう。
《……テヒブ》
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