第127話 守護天使、テヒブ訪問の始末をする
俺がマーカーを置いたモブは、遠くの
視点をぐるりと回転させると、この男は家路を急ぐ集団の一番後ろを歩いているらしい。
その前を歩く男たちは鋤や鎌を担ぎ、村長を先頭にして暗い道をとぼとぼと歩いていた。今日も一日中、暑かったのだ。
だが、急いでもらわないと困る。グェイブを持っているシャント…山藤はともかく、戦う術を持たないリューナやククルはテヒブとの戦闘から守らなければならない。
俺はモブを、道を外れた畑の中へと侵入させた。何が植えられているかも構わず、村長の家への直線距離を歩かせる。狭い畑だったが、その持ち主、あるいは村長からの借主かもしれない男は逆上した。
《何してやがる!》
そいつと数名がモブに掴みかかったが、俺はもうマーカーを他の男に移動させている。夕べ、伸びきったカップ麺を見て思いついた集団誘導だ。デロデロになった麺が箸からこぼれ落ちるたびにつまみ直すように、俺はひとりを捕まえては前に移動させ、追いかけてきた集団に抑えられるたびに別のモブを捕まえては前へ前へと動かし続けた。
だが、そんなことはすぐにやらなくてもよくなった。
リューナの絶叫が、錯乱した仲間に大騒ぎする男たちのところにまで届いたからである。
《アアアアアア!》
何だあれはと顔を見合わせる男たちを、村長は叱咤した。
《何をしとる、ワシの家だ、すぐ行け!》
畑の間を縫う道を外れて最短距離を駆け抜けた男たちは、すぐに村長の家の戸口にたどりついた。
ありがたいことに、そこにはもう、テヒブはいなかった。ただ、空を焦がす夕焼け空を映した水たまりを前に、村長の妻がリューナとククルを伴って、呆然と立ち尽くしているばかりだった。
《お前、何があった》
足早に歩み寄る小柄な老人に、一回り大きな身体の妻が駆け寄った。
《テヒブが……水たまりに……》
《落ち着け、何を言っとるのかさっぱり分からん》
イライラと吐き捨てる村長に、たったかと駆けてきたククルが告げた。
《映ってたの、あたしとリューナとおばさんと……グェイブだけ》
村長は妻をなだめるばかりで、相手もしない。そのうえ、男たちの中から声が上がった。
《ククル! まだ帰らなかったのか!》
《あ、お父ちゃん!》
これでは、俺にも何があったのか、さっぱり分からない。事情を知っているのは、言葉を失ったリューナしかいない。
だが、そこで男たちが騒ぎ出した。
指差しているのは、夕べひと騒動あった壁の方角だ。
《テヒブだ! テヒブが出たぞ!》
婆さんの金切り声が上がった。村長は、妻を抑えかねてうろたえる。リューナはといえば、何かに憑りつかれたように、ふらふらと庭を横切って道へ出た。
俺は使っているモブで後を追った。気付いたことが1つだけあったのだ。
……さっきまで居たヤツが、いない。
だが、後に続く村の男たちは、明らかに別のことを考えている。
手に持った農具を振りかざして口々に咆えてはいるが、これが強がりだということは見れば分かった。テヒブに向かってまっしぐらに走るというよりは、周りに合わせて小刻みに足を動かしているだけなのだ。
……気づけよ、お前らも。
男たちは、テヒブが僭王の使いと戦った跡を見ている。リズァークの軍勢が屍となって累々と横たわるのを見て、その圧倒的な力を思い知ったことだろう。
だが、村を救ったテヒブを感謝と共に迎える気もなければ、再び災難を招き寄せるお尋ね者として追い出す度胸もないのだ。
……でも、ナメられたくはないんだろうな。
そんな虚勢を張るのに精一杯の連中が、どこの馬の骨ともわからないシャント…山藤などいちいち気に留めているはずもない。暗い道の向こうからグェイブの光に照らされてやってきた小柄な影を眺めて、男たちがひそひそ話しはじめた。
《誰だ、あれ?》
《テヒブじゃねえな》
振り上げた鋤だの大鎌だのが、1本、また1本と下ろされる。とぼとぼ歩くリューナを伴って闇の中から現れたのは、グェイブを手にしたシャントだった。
その前へと、俺のモブと男たちを押しのけて村長が出てきた。
《逃がしたか、やはり》
それで、何があったかは察しがついた。
理由はよく分からないが、シャント(山藤とは思いたくない)はグェイブを片手に、逃げるテヒブを追って暗い道を駆け出したのだろう。
……キャラに合わんことを。山藤のくせに。
戸口になぜ水たまりがあったかは、村長のねぎらいの言葉で分かった。
《あいつは、水に弱いのか》
シャントはゆっくりと首を横に振ったが、これは異世界で「はい」という意味だ。村長も同じ仕草を返すと、恭しくも左胸に手を当てて言った。
《女房を助けてくれたそうだな、礼を言う》
それを聞いて、村の男たちがざわつきはじめた。
《このガキが?》
《テヒブを?》
《そう言えばグェイブ持ってるぞ、夕べから》
《何で吹っ飛ばされないんだ?》
死に物狂いで戦ったのに随分な言われようだが、山藤だから仕方がない。いや、もっと言いたい放題でもいいくらいだ。
だが、男たちの中傷はある一瞬を境にぴたりと止んだ。グェイブの放つ淡い光の中から、まっすぐな眼をしたリューナに見つめられたからだ。
……まさか、吸血鬼化?
俺は山藤がネトゲ廃人らしく劣情に駆り立てられて、眠るリューナにキスしようとしたときのことを思い出した。
凄まじい力で首根っこをつかまれたかと思うと床に叩きつけられ、喉首を押さえられたまま指で目をえぐられるところだったのだ。
……もし、暴れだしたリューナが村人たちを襲ったら?
山藤はどうするだろうか。どうひいき目に見ても、リューナをグェイブで斬るなどという非情な決断ができるとは思えない。村人たちを守るどころか、あえなく自分も捻り殺されてしまうことだろう。
だが、リューナは唇を固く引き結んだまま、うつむいてしまった。男たちは気まずそうに、顔を見合わせる。やがて、1人がおずおずと口を開いた。
《何だ、その目は》
やると自分からは言いづらいことでも、誰かが手を挙げるとしゃべりやすくなるものだ。開き直りや責任転嫁の言葉が、次から次へと浴びせられる。
《ヴォクスに襲われたのを拾ってやったのに》
《僭王の使いなんぞに俺たちを売りやがって》
《またあいつらが来たらお前のせいだ》
リューナは反論しようにもできない。それを知りながら、男たちは罵詈雑言の限りを尽くしている。俺は本当に天罰が下せないかとさえ考えたが、あいにくとこのアプリにそんな機能はついていない。
これを止めたのは、いつの間にかこっちへ出てきていた村長の妻であった。
《大の大人が子供相手に情けない真似するんじゃないよ!》
男たちの頭を後ろから、1人、また1人と張り倒していく。その恨みもあってか、非難の矛先は美少女から老婆に向けられた。
《裏切ったんだぞ、この女は!》
《さっさとヴォクスにくれてやれ!》
《そうだ、追い出せ! このガキと一緒に》
不信と憎悪に満ちた叫びが、すっかり暗くなった夜道に響き渡る。その上に集まった人影だけが、男たちに向かって動き出したグェイブの光にぼんやりと揺れていた。
《待て、待て待て! ああ……若いの》
村長が、その妻に詰め寄る男たちと、足を一歩踏み出したシャントとの間に割って入った。名前を呼ばないのは、知りもしなければ今まで知ろうともしなかったからだ。
だが、村長に妻の命の恩人として認められた以上、山藤はもう、どこの馬の骨とも分からない流れ者ではなかった。口ごもりながらの呼びかけに応じたのは、名前を聞かれているのを察したからだろう。
《シャント……シャント・コウ》
山藤の割には堂々とした名乗りだったが、その場にいる男たちは振り向きもしなかった。だが、その反応の薄さは、別にシャント…山藤が気に食わないからではない。
さっきの小柄な女の子が、父親の膝にしっかり取り付いていたからである。
《お父ちゃん……喧嘩しないで》
すすり泣く少女の涙声に、男たちはさっきまでの毒気をすっかり抜かれて、呆然と佇んでいた。
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