第145話 異世界姫の悩みとラッキースケベ第2弾
震える声を遮って、誰かが悲鳴を上げた。漠然と抱えていた恐怖が、言葉となって形を取ったからだろう。村人全員がすくみこむ中で、リューナだけは毅然として立っている。その眼差しに臆することもなく、ヴォクスは宣言した。
《殺してはならん。傷つけることも許さん。もし、無傷で差し出さなければ、この村に住む者ども、女子供年寄りに至るまで、命はない……》
聞いているだけで腹が立ってくるような、身勝手で傲慢な命令だった。山藤が咆えるのも無理はない。
《うおおおおおお!》
グェイブを投げつけそうになったので、俺はマーカーを男に移動した。女をモブにして突進させるのは、さすがに抵抗があったからだ。
もっとも、男でもグェイブに触らせはしない。あくまでも、投げるのを止めるだけだ。ヴォクスがリューナをさらいに降りてこないのは、グェイブを警戒しているからにほかならない。
計算通り、山藤はモブ男ともつれあって転ぶだけで済んだ。再びシャント…山藤が立ち上がった後、もうヴォクスの声はしなかった。
そこで、独りで歩きだしたのはリューナだった。追う山藤を村人たちが遮ったが、グェイブで脅されて道を空けた。だが、そこまでしても、山藤はリューナから相手にされなかった。
無理もない。ヴォクス自身から獲物であることを改めて宣告されたのだ。普通の女の子なら、心が折れて立ち上がることもできないだろう。こうして歩いていられるのは、リューナだからだ。
その分、心の中は恐怖や絶望と戦うので精一杯だろう。それ以外のものを受け付ける余地などないのだ。ましてや山藤ごときが踏み込めるものではない。
独り歩くリューナを少し離れて山藤が追い、身体をすくめた村人たちがそれに続く。
やがて、リューナが誰の許しを得ることもなく村長の家へ入っていくと、山藤は気遅れがしたのか、庭の真ん中で立ち止まった。ちょっと迷ってドアに駆け寄ったが、村長夫婦が背後に迫るまで開けることはできなかった。
だから、俺が今朝、ドアに書いた文字はグェイブの光で見えたはずだ。
<これは、あなたのための闘いだ>
それっきり何も起こらないまま、俺はいつも通り帰宅して、いつも通りの夜を過ごすことになった。
違うのは、沙羅のことが気になって仕方がなかったことだ。
……何で、あれからメッセージよこさなかったんだ?
山藤があれだけのピンチを迎えているのに、何の干渉もしてこなかったのはワケが分からない。
今まで、あれだけ俺の邪魔をして、山藤にはさんざん手を貸してきたのに、今日はいったいどうしたんだろうか。
そんなことをあれこれ考えていると、つまらないことを幾つもしでかす。
夕食のときは定番、醤油とソースを間違えるだけならまだしも、茶碗に味噌汁を張り、汁椀に焼きサバを突っ込み、飯をしゃもじで食おうとしてオフクロに頭をゲンコツで張られた。風呂に入れば一番風呂の栓を抜いてオヤジにドヤされ、着替えてみればなぜか制服を着ている始末だ。
どうも、おかしい。ようやく寝間着に着替えて布団に潜ったが、眠れなかった。これで次の日が平日だったら、睡眠不足と朝寝坊という学校生活には致命的な状態で、朝を迎えることになるところだ。
リューナに冷たくあしらわれた山藤が気になってスマホを眺めてみると、やはりベッドの中でゴロゴロ転がっている。
俺はそんな何の変化もない画面を見つめながら、退屈が眠気を引き起こすのをひたすら待ち続けた。
それでも俺はいつの間にか寝入っていたらしく、ふと気が付くと、もう部屋のカーテンが朝日に白く光っていた。
……もうちょっと寝よう。
休日の朝寝を楽しもうとした俺だったが、それを思いとどまったのは、スマホが異世界転生アプリのメッセージ到着を高らかに告げたからだ。
布団から飛び起きて読んでみると、いかにも中途半端な文面だった。
〔前の学校の友達の話〕
だから何だっていうんだろうか。続きを待ってみたが、一向に送られてこない。聞き返そうと思ったが、機嫌を損ねられる恐れもあった。
とはいえ、沙羅の感情をいちいち気にするのもバカバカしい。俺はとりあえず判断を保留して、朝食まで異世界の様子を確認しながらメッセージを待つことにした。
山藤は霧のたちこめる朝早くから村長の家を出て、村外れの水車小屋までたどり着いた。
橋の前で、身体をすくめて立ち止まっていたが、これは
……何する気だ?
水車小屋の奥の壁には、大きな斧が1丁立てかけてある。それをグェイブと取り換えた山藤は外へ出ると、今度は山道に入っていった。
……大丈夫か?
グェイブと比べると、相当重いはずだ。わざわざ取り換えて、何をする気なのか。
しばらく歩いてから川沿いの林の中に入った山藤は、比較的低い木の下で、斧を振り上げた。
手ごろな大きさの枝が落ちてくる。それを2本拾ったところで分かった。この枝を削って、十字架に組もうというのだろう。
夕べあんな誤解を招いた以上、もうどこでも働かせてはもらえないに違いない。代償を求めることができないのなら、必要なものは自分で探すしかない。こんな朝早くから歩いて回ったのは、すぐには見つからないことを見越したからだろう。
山藤にしては、よく考えた方だ。充分な大きさの枝は思いのほか早く見つかったが、これも「早起きは三文の得」といったところか。あとはさっさと帰って十字架を作ればいい。
だが、そこで山藤は凍り付いた。俺もその場で硬直した。流れの速い川の中から、水しぶきを跳ね上げて現れた者があったのだ。
……ケルピー?
真っ先に考えたのはそれだったが、木の幹の間から見えたのは、川霧の中でもはっきりとわかる、金色の髪の輝きだった。
俺たちの目を釘付けにしたのは、早朝の冷たい川で沐浴していたリューナの裸身だったのだ。
その場にいない俺でさえ慌ててスマホ画面から目をそらしたのだから、山藤がうろたえたのは言うまでもない。
《ごめん!》
山藤がわざわざ、気持ちの伝わるわけもない日本語で詫びたのは、画面を見なくても声で分かった。
……黙ってろ!
恐る恐る、といっても白状すれば「已むを得ない」と自分に言い聞かせながら、画面を見てみる。
だが、その瞬間、沙羅からのメッセージが通知音も高らかに届いた。
敢えて無視したが、遅かった……というか、間に合った……というか。
山藤が声を挙げなければ分からなかったかもしれないのに、慌てて振り向いたリューナが豊かな胸を手で覆うところだった。
……見えた? 見えなかった?
そんなことはどうだっていい!
正気に返って山藤の動きを追うと、リューナに背を向けたまま、山道へと駆け出すところだった。木の枝と斧をかついでいても、その足は思いのほか速い。よほど狼狽しているのだろう。
やがて水車小屋まで戻ってくると、扉を開けて中に隠れた。そのうち後から来るリューナをやりすごそうというのだろうが、どっちみち村長の家に帰ってしまえば顔を会わせることになる。そのときは、さぞかし気まずいことだろう。
扉は開けられないが、小屋の中はグェイブの光でぼんやりと照らされている。壁際に積まれた袋の間に隠れるようにして、山藤はすくみこんでいた。
……落ち付けよ。
そうは思ったが、俺が冷静を取り戻したのは、以前にリューナの裸身を一瞬だけ見たからかもしれない。それを考えると俺のほうが鬼畜外道なことをやっている気もする。
そのうち山藤は、扉へとすり寄って、耳を近づけた。リューナの足音を確かめようというのだろう。スマホでは拾えない音だったが、山藤には分かったらしく、扉を小さく開けて外を眺めると、グェイブと木の枝を手にそそくさと出ていった。
斧はといえば、入ってくるときに放り出したまま、戸口に転がっていた。元の位置に戻しておいたほうが無難なのだが、そこまで山藤に要求するのは無理というものだろう。
一段落ついたところで、俺は沙羅からのメッセージを確認してみた。
〔告白されて、困ってた〕
何のことだかさっぱり分からなかったが、とりあえず、当たり障りのない返信をしておいた。
〔それで?〕
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