第116話 ネトゲ廃人、苦渋の選択をする

 あんまり頭のいい方じゃない、っていうか悪いんだけど、そうとしか思えなかった。

 テヒブさんは、ヴォクス男爵に負けて、吸血鬼にされてしまったのだ。

「……ウソだろ、テヒブさん」

 そう聞いてみたけど、返事はなかった。動かないリューナを片手で抱えて、闇の中へとテヒブさんはゆっくり歩きだす。その足元には、まだグェイブが転がっていた。

 テヒブさんは拾おうともしない。いや、吸血鬼になってしまったから、もう持ち主じゃなくなったんだろう。そういえば夕べ、テヒブさんは言った。

 グェイブを僕に託す、って。

 ……そんなら!

 僕にできることは1つしかなかった。ただでさえかなわないのに、吸血鬼の力まで手に入れたテヒブさんからリューナを取り返すには、これしかない。

 全力で走って、グェイブに手を伸ばした。背が低くてよかったとホントに思うのは、すぐに拾えることだ。

 でも、自分で思っているよりもずっと、僕はトロかった。グェイブをつかんだのはいいけど、思いっきり前につんのめって、固い地面で腹を打ってしまったのだ。

 痛い、っていう声も出なかったし、息もできないくらいだった。そのまんま頭から突っ込んでいって、何かにぶつかる。

 止まったところで見上げてみれば、そこにはテヒブさんの顔があった。

「来たか、シャント」

 そう言いながら地面に寝かせた女の子に、僕はやっとの思いで絞り出した声で呼びかけた。

「リューナ……」

 そう言うか言わないかのうちに、テヒブさんは頭から怒鳴りつけた。

「立て!」

 無理だった。そうしたかったけど、肝心の足が震えていた。何とかグェイブに掴まって立ち上がったけど、声も震えている。

「勝てるわけないだろ、僕なんかが」

「勝たねば死ぬぞ」 

 テヒブさんはきっぱり言い切って身構えたけど、僕は何となく思った。

 ……負けてくれるんじゃないかな。

 死ぬ、なんて言ったけど、地面に転がってるのは、リューナを捕まえていた連中だ。こいつらのハルバードから結局は僕たちを守ってくれたんだし、そんなら勝たせてくれるはずだ。

 ……ヴォクスに操られてるふりをしてるだけなんだ、きっと。

 そう思うと、すっと気が楽になって足の震えが止まった。

 僕はグェイブを両手で構えた。教わった通りに、腰を落とす。思いっきり踏み込んで、体重を乗っけて刃を突き出した。

 その勢いで、グェイブを振り上げて斬りつける。さらに柄の端を持ったまま、長いリーチを生かして片手で横に振った。

 柄は僕の両手を伸ばしたのより長いけど、それは手首をちょっと動かすだけで、もう一方の手で掴めるってことだ。そこで今度は、柄を使ってテヒブさんの足を打つ。

 ……どうだ!

 全部、テヒブさんに習った技だ。僕なりに、全部を使って連続攻撃をしたつもりだった。勝たせてくれるんなら、せめて特訓の成果ぐらいは見せたいと思ったのだ。

 でも、それは結局、全部かわされたってことになる。受け止められもしなければ、弾かれもしない。テヒブさんは、その場にさっきと同じ格好でまっすぐ立っていた。

 ……これでもダメ?

 勝たせてくれるつもりでも、これじゃヴォクスに言い訳できなくなるかもしれない。そうなれば、テヒブさんは僕とリューナを逃がせなくなる。

 ……じゃあ、どうしたらいいんだよ!

 もう、めちゃくちゃでも思いっきり斬り込むしかなかった。さっきはきっと、テヒブさんに技を見せようとしてたからぬるい攻撃になったんだろう。本気出してなかったのがいけなかったんだ。

「うおおおおおお!」

 本当に斬るつもりで、僕はグェイブを振り回した。でも、ダメなものはやっぱりダメだったみたいだ。

 テヒブさんの姿は、まるで幻みたいに全部の攻撃を素通りさせた。全部当たったけど、一発もダメージになってないみたいだった。

 もしかすると幻影魔法かもしれないと思ったけど、それは間違いだったってことは次の一瞬で分かった。

 どこから飛んできたのか分からない右フックで、僕はグェイブを持ったまま、くるくる回って倒れたのだ。

 ……テヒブさんは、勝たせてくれる気なんかない。

 それどころかさっきの一発で、僕はもう立ち上がる気力も体力もなくしていた。暗くて冷たい地面に寝かされたリューナの姿が、グェイブの光とテントの辺りに掲げられた炎で、ぼんやりとにじんで見える。

 顔を上げると、またテヒブさんが見下ろしていた。どんな目をしてるか、よく見えなかったけど、ものすごく冷たい気がした。

 怖かったけど、聞いてみた。

「……殺すの? 僕を」

 もし、そうなら。

 すぐ手の届くところで寝転がっている兵士が武器を放り出しているのは、死んでいるからってことになる。

 そう気付いたけど、僕はもう力がすっかり抜けていて、ぞっとすることもできなかった。グェイブで触れれば吹き飛ばせるかもしれないけど、そんな力も出なかったのだ。

 テヒブさんは短く答える。

「もはや、敵味方よ」

「……分かったよ」

 返事をするまでちょっと間があったのは、苦しんでいるふりをして、こっそり手を伸ばしていたからだ。

 ハルバードを掴んだときには、もうテヒブさんの手が喉元まで伸びている。でも、別にこれで斬りつけようとしたわけじゃない。

 首をつかまれたとき、たぶん死んでる兵士みたいに、思わずハルバードを手から離しそうになった。

 ……苦しい!

 ぐっと我慢して、手首で長い柄のほうを動かす。もう一方の手に持っているグェイブの柄と、なんとか重ねることができた。

 十文字に。

 その瞬間、耳の奥が破裂しそうな叫び声を上げて、テヒブさんが吹き飛んだ。

 グェイブの力じゃない。

 吸血鬼が、十字架から逃げたのだ。

「テヒブ……さん」 

 何とか身体を起こしたときには、もうテヒブさんの姿はなかった。どこへ行ってしまったのかは分からない。ただ、その様子を見ていた連中がいたのは間違いなかった。

 いつの間にか、村人たちが縄を解かれていたのだった。

「……!」

「テヒブ……!」

 壊された壁の向こうに、男たちが地面に転がった松明を拾いながら、喚き声を上げてやってくるのが見えた。

 でも、そいつらはこっちへ入り込んだところで、倒れている兵士たちを見ると動けなくなったみたいだった。後ろから来る男たちも立ち止まって、身体を寄せ合って固まる。

 しばらく黙ってじっとしていたけど、男たちはそのうち、そろそろと兵士たちのそばに寄って、しゃがんだり、頭とか足とかを突っついたりしはじめた。

 やがて、そのひとりがなにか叫んだ。

「……!」

 同じ言葉が答えるのを聞いて、僕はそれが「死んでるぞ!」って意味なんだろうと思った。

 やっぱり、全員、テヒブさんに殺されたのだ。

 人が、死ぬということ。

 途端に、僕は気持ちが悪くなった。その場で肘とか膝を突いて、ゲーゲー吐いた。何にも出てこない。黄色い液体だけだ。これが、理科で習った胃液なんだろうと思った。

 そのすぐそばを誰かが通り過ぎて行ったので見上げてみると、兵士が落としたハルバードを持っている。

 そいつだけじゃなかった。男たちはみんな同じように武器を持って、暗い丘の方へと向かっている。

 口々に言ってるのは、やっぱり同じことだ。

「テヒブ……」

「テヒブ……」

 僕はグェイブを杖にして立ち上がった。まだ力が出ないけど、これは止めなくちゃいけなかった。

 こいつらは、テヒブさんを探そうとしている。兵士たちが殺されて、自分たちが助かった途端に。

「卑怯だぞ!」

 叫ぼうと思ったけど、声が出ない。みんな、僕を無視して行ってしまう。その上、後ろから男2人の声が聞こえた。

「リューナ……」

「……リューナ」

 振り向くと、そこにはまだ気を失って倒れているリューナがいた。

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