第117話 守護天使、緊急事態にあって有効に
山藤にしては、よくやったほうだった。
グェイブを縦横に、しかも素人目にも割と筋道の立ったやり方で振るってテヒブに斬りかかったのだ。
だが、それはことごとくかわされた。無理もない。所詮は山藤だ。あの速さなら、俺でもよけられるかもしれなかった。
さすがに山藤もムキになったのか、今度はヤケクソ気味にグェイブを振り回して斬り込んでいった。どっちかというと、そっちのほうがこのネトゲ廃人にはお似合いだ。
もちろん、当たらない。たぶん、テヒブがよけているのだ。
何で「たぶん」なのかというと、スマホ上の画像がブレたりぼやけたりして、テヒブが何をしているのか見えなかったからである。
オートフォーカス付きの液晶ハンディカムでは、こういうことがよく起こるらしい。子どもが出るバレエの発表会を撮影する親が、画面のピンボケでメーカーに文句を言うことは珍しくないという。
同じ理屈で、テヒブの速さをCG画面が処理しきれないのだろう。気が付くと、シャント…山藤が豪快に回転しながら倒れるところだった。
そこでテレビの選挙速報や気象警報みたいに飛び込んできたのは、沙羅のメッセージである。
〔止めて!〕
もちろん、答えているヒマなんかない。山藤もピンチなのだ。モブがいないから何もしてやれないが、知らん顔するのも気が引ける。
〔何を?〕
とりあえず、俺は短く返したが、この世界を追われたお姫様の要望はワガママこの上なかった。
〔両方〕
〔無茶ぬかせ〕
そもそも、助けるのは沙羅がやることだが、手も足も出ないから俺に振ったのだろう。確かにこのまま死なせるわけにもいかないが、今の俺には打つ手がないのだった。冷酷なようだが、こう答えるしかない。
テヒブの手が、シャントの喉元に伸びる。
……どうする?
兵士が1人でも目を覚ませば、なんとかなるのだが。
そのとき、沙羅の短いメッセージが入った。
〔分かった〕
それがどういう意味なのか、さっぱり分からない。なりゆきに任せるしかないということか、それとも自分で片づけるという意味か。
だが、沙羅がどうにかしようにも、モブはいないはずだった。何やら嫌な予感がして、画面を広域表示する。
崩れた壁の向こうには、兵士たちが投げ出した松明が、まだ燃えていた。その辺りをズームアップしてみると、小さな子どもがとことこ、縛られた大人たちに向かって歩いている。女の子がそれを追いかけ、上半身裸の男の子たちがそれに続いていた。
俺は慌ててメッセージを送った。
〔やめろよ!〕
確かに俺は子どもを動かして山藤を連れ戻したが、戦いにまでは巻き込んでいない。だが、沙羅がやろうとしているのは、その禁じ手だった。
兵士たちはもう死んでいるが、今はシャント…山藤が吸血鬼と化したテヒブと戦っている。大人たちを介入させれば、子どもたちを巻き込まないまでも、殺し合いの現場を見せることになるかもしれない。
だが、沙羅はそんなことを問題にはしていない。
〔テヒブが山藤君殺しちゃう〕
ということは、まだ手を下していないということだ。
……迷いがあるってことか?
それは、テヒブに人間の心が残っている証拠でもあった。
もっとも、沙羅にしてみれば、テヒブはこの異世界とのつながりとなる唯一の人物だ。一方で、山藤は沙羅が生死を握る人間である。
手段を選んでいられない事態だというのは理解できる。その解決に子どもを使っていいわけがない。自分でやっておいて言い訳がましいが、それだけは認められなかった。
〔子どもは使わせない〕
俺は、メッセージを送るなり、まだ縛られている大人たちにマーカーを当てて回った。もう、幼子は何人かの大人たちに触っている。その中の誰かが目を覚まして、縄をほどこうとするのはあり得ることだった。
その前に俺がマーカーで支配して操らなければ、沙羅の手引きでテヒブとの殺し合い、というより一方的な殺戮の対象にされてしまう。
運よくひとりが俺のモブになった。手足を縛られて芋虫のようになっている男だった。
だが、別の1人が目を覚まして騒ぎ出した。壁の崩れたところから、倒された兵士たちと、シャント…山藤に止めを刺そうとするテヒブの姿が見えたらしい。
《おい、起きろ! 何だあれは!》
こいつは一斉に立ち上がれないように3人まとめて縛られている男のひとりだったが、それだけに他の2人が意識を取り戻す危険があった。そうなったら、こいつらがまとめて騒いた上に、呼吸を合わせて立ち上がるかもしれない。
縄を解く方法は、1つだけある。地面に放り出されたまま燃えている松明の炎で焼き切ることだ。それができたら、こいつらはテヒブに向かって殺到するだろう。
まず、無勢に対する多勢ということがある。それに、壁の裂け目を抜ければ、今まで手にしたこともないような武器がそこいらに転がっているのだ。
あの長柄の斧は余計な自信を村人たちに与えるだろう。勢いづいてテヒブに襲いかかれば、兵士たちより簡単に返り討ちにされることになる。
俺は横たわる自分のモブの手足を、難儀して動かした。どうにか転がした先では、松明が消えかかっている。残った火を縄に移せば、壁の裂け目に立ちはだからせることぐらいはできるだろう。
だが、沙羅のメッセージが画面を塞いで、その邪魔をした。
〔テヒブが!〕
迷いを断ち切ったのかもしれなかったが、それならそれでどうにもならない。俺はメッセージを消して、モブを転がすのに専念した。
何とか松明のそばまでモブの足を寄せると、縄はじりじりと焼けて、やがてほどけた。だが、できたのはそこまでだった。
火が消えてしまったのだ。
……ダメか!
そのとき、駆け寄ってきた何かの足が画面に映った。それが何だか分からないうちに、画像が真っ赤な光でぼやける。やがてCGが落ち付いたとき、火のついた縄が燃えているのが見えた。
どうしてかは、すぐに察しがついた。さっきやってきた誰かが、松明の火をつけたのだ。
縄はなかなか焼き切れず、男は火だるまになってのたうち回る。その背中を、脱いだ服で叩いている小さな影が見えた。その上半身は、当然のことながら裸だ。
俺は、慌てて目をそらした。それは、さっきグェイブの光を隠すために自ら服を脱いだ女の子だったからだ。小さい子も服を脱いで真似をしているが、今度ばかりは止めている余裕がないらしい。
やっと火が消えたときには、3人で縛られた男たちも立ち上がって、別の松明に向かって歩いていた。
そこで、沙羅のメッセージが再び俺を急かす。
〔早く!〕
俺は画面を俯瞰視点にすると、モブを壁の裂け目まで動かした。もちろん、後から来る男たちを制止するためだ。
だが、壁の向こうで起こったことが見えたとき、その必要はないことが分かった。
ようやく踏ん切りがついたらしいテヒブは、シャント…山藤の喉元を掴み潰そうとしていた。しかし、いきなり悲鳴を上げて高々と宙を舞うと、はるか後ろに跳びすさったのだ。
〔何してんの!〕
2人が引き分けられたことで要望は叶ったはずだったが、沙羅からは非難のメッセージが飛んできた。たぶん、テヒブが傷を負ったとでも思ったんだろう。
だが、俺は何があったのか察していた。シャントの身体の上で、2本の棒が交差されいるのが見えたからだ。
ファンタジーやホラーにそれほど詳しくない俺でも、何が起こったのかは分かる。吸血鬼となったテヒブは、十字架をつきつけられて退散したのだ。
これで、後に続く男たちを阻む理由はなくなった。俺はモブを移動して、道を空けてやる。たぶん、先に縄を焼き切った3人は、ほかの村人の
俺はもう、余裕で沙羅にメッセージを送ることができた。
〔何か、ご質問は?〕
返事は、たいへん控えめなものだった。
〔ありがとう〕
あれだけ罵詈雑言浴びせたのだから、しゃれた文句がもう一言二言ぐらいはあって然るべきである。だが、男たちが兵士たちの落とした松明をかざして壁の裂け目を抜けたところで、そんな不平を言っていられない事態が起こってしまった。
武器の物色が始まったのだ。
男たちは兵士たちが死んでいるのを確かめると、その傍らに落ちていた長柄の斧を次々に拾っては口々に吐き捨てた。
《テヒブはどこだ?》
《あんな真似しやがって、テヒブの野郎》
男たちが武器を携えてぞろぞろ歩きだした方角には、暗い闇に閉ざされた丘がある。その物言いから察するに、村人は再びテヒブを探して山狩りを始めたのであろう。
命拾いをしたシャント…山藤は、上半身を起こしたまま立ち上がろうともしない。もう、テヒブには恩も義理も感じていないということなのだろうか。それとも、ただ単に腰が抜けているだけなのだろうか。
そのどっちにせよ、この場で俺がやるべきことは1つしかなかった。
シャントのそばには、リューナが横たわっている。
俺は後から来る他の男から見えるような位置から、わざと大げさな身振りをして、その胸辺りにモブの手を伸ばしたのだ。
当然、沙羅からは非難のメッセージが寄せられる。
〔こんな時に何やってるのよ!〕
別にやましいことなどないのだが、説明するのも面倒だった。近づいてくる男を無視して、マーカーを外す。それでも狙った通り、モブは声をかけられた。
《リューナじゃねえか?》
我に返ったかのように、モブはおろおろとした口調で返事をした。
《え? ああ、リューナだ、リューナ》
その手はもう、リューナに触れるところまで来ている。山藤なら、必ず止めに入るはずだった。それができないのなら、別のモブを使ってもう一度シャントを小突き、自己防衛を図らせるしかないだろう。
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