第115話 守護天使、異世界と現実のギャップに苦しむ
幅の広い片刃の短刀を腰の辺りに構えて、リズァークがテヒブに突進する。おそるおそる包囲の輪を狭めていた兵士たちも、長い斧を振り回して一斉に打ちかかった。
だが、惨劇は一瞬にして起こった。画面に映っているのがCGで本当に良かったと思う。R指定の付いた3Dアニメーションを見ているようなものだからだ。
まず、斧は一振りとしてテヒブには命中しなかった。打ち込むそばから地面を叩き、刃は鍬のように土にめり込んで抜けない。
テヒブは、動けなくなった兵士を片っ端から捕まえては、その首を抱えて右に、また左に捻った。その度に、ひとつ、またひとつと鉄帽子姿の影が崩れ落ちていく。
斧から手を離した兵士は腰の剣を抜いて斬りかかるが、腹への拳の一撃で、身体を二つに折って倒れる。その後から、死の瞬間に高々と吹き散らした吐血が降り注いだ。
なんとか斧を引き抜いて横薙ぎにしても、テヒブには当たらない。その高さすれすれに跳んだかと思うと、すぐさま地面を蹴った。斧を振り抜いた兵士の脇腹はガラ空きになっている。テヒブはそこに飛びつくと、兵士の身体を横から「く」の字にへし折った。
振るう武器がことごとく空を切る上に、仲間たちが次々に死んでいくのを見て、兵士たちはさすがにたじろいだようだった。テヒブに襲い掛かった時と同じように、ひとり、またひとりと斧を捨てて後じさる。
こんなときは指揮官の叱咤がありそうなものだが、リズァークの命令はおろか、その姿もない。どうやら、部下が盾になって逃がしたようだった。
これだけなら、状況としては好都合だ。これで残った兵士が後を追ってくれれば、リューナはとりあえず自由の身になる。
あくまでも、「とりあえず」だ。
もうひとつ、問題が残っている。テヒブが吸血鬼になってしまったという恐れだ。
だが、もともと言葉が通じるリューナはおろか、急に言葉が通じるようになったのを訝しんでもいいシャント…山藤さえもそこには考えが及ばなかったようだった。
リューナがふらふらと立ち上がるのを見て、俺は思わず叫んだ。
「見るな!」
足を進める先にあるのは、累々たる屍の山だ。それを見なくて済むように、俺はリューナの姿だけをクローズアップした。
服にくっきり浮かぶ身体のラインを、画面がきっちりCG処理して映し出す。俺が不謹慎にも思わず息を呑んだとき、部屋のドアが開いてオフクロが声をかけた。
「なんかやましいことでもあるの?」
下の階からオヤジが知ったふうな口調で声をかける。
「男の子には見られたくないことだってあるんだよ!」
オフクロは冷ややかな眼で俺を見た。
「何かいやらしいことしてるんじゃないでしょうね」
「ないないない、絶対ない!」
我ながら白々しいと思ったが、オフクロは黙って引き下がった。
……緊張感、削ぐなよな。
腹の中で毒づいたが、これはこれでかえって救いだった。実際、俺は画面上のリューナからも、画面の外の惨劇からも気持ちを逸らすことができたからだ。
気が付くと、もうリューナはテヒブにすがりついていた。
《テヒブさん……テヒブさん……テヒブさん……》
声は拾えなかったけど、泣いているのはセリフからも、震える背中からも分かった。もしテヒブが吸血鬼と化していたら、これほど欲望をそそる状況はなかろうとも思われた。
……逃げろ、リューナ!
自分で駆け寄ったのは仕方がない。幼い頃からの、頼ることのできるただ1人の大人だったのだから。
だが、それを止めることができるただ1人の男は、リューナに背中を向けて立ち尽くしている。
……何やってる、山藤!
もちろん、俺の心の声など聞こえるわけがない。だが、それに応じるかのように、何者かの呼びかけが、どこからか語りかけていた。
《そのまま連れて来い》
テヒブにそれを命じる者がいるとしたら、それは1人しかいない。
もう、間違いなかった。
吸血鬼ヴォクス男爵だ。やはり、テヒブは夕べ、闘いに敗れて吸血鬼にされてしまったのだ。
その逞しい両腕が、リューナの腰に回される。背の低いテヒブは、彼女の豊かな胸に顔を埋める形で抱き合うかに見えた。だが、その腕の中にいるリューナは、何か異変を感じたようだった。
逃げようとして身をよじらせるが、テヒブの腕はしなやかな身体を抱え込んだまま動かない。
それでもリューナは、もがきながら叫んだ。その声の先にいるのは、テヒブによる殺戮と、リューナによる他の男の抱擁から目を背けていた山藤である。
《シャント!》
ここで動かなければ男ではない。俺もそれほど男気にあふれているわけではないが、そんなことくらいは分かる。
では、山藤はどうだったか。
《リューナ!》
そう呼んで振り向きはしたが、足を踏み出すことはできなかった。その先にいるのは、ひとりの小男にすぎない。しかも、それが吸血鬼の餌食にしようとしているのは、かつて親代わりとなって育ててきた少女である。
だが、呆然とした様子でシャント…山藤はつぶやいた。
《……ウソだろ、テヒブさん》
返事はなかった。リューナはといえば、疲れたのか、それとも絶望のせいなのか、両腕で抱えられたまま、ぐったりとしている。
その身体を片手で抱えたテヒブは、シャントに背中を向けた。その姿をぼんやりと照らしているのは、天幕の前でまだ燃えている篝火と、さっき地面に転がったグェイブである。
その光の向こうへと、テヒブは背中を向けてに消えていこうとする。そこに向かって、シャントは弾丸のように飛び出した。あのネトゲ廃人のどこにそんな力があったのか、山藤は凄まじい勢いでグェイブに飛びつく。
当然、それを拾って前回り受身を取るなどという器用な真似ができるわけもない。鈍く光る武器をを手にしたところでもんどりうって転ぶ羽目になった。立ち上がることもできずに、そのまま勢い余ってヘッドスライディングをかける。
その先はどこだったかというと、あろうことかテヒブの足元だった。真下から照らされているせいか、その顔は青白く、化物じみて見える。
《来たか、シャント》
一言つぶやいて山藤を冷ややかに見下ろすなり、テヒブはゆっくり屈んだ。リューナの身体を、まるで等身大の陶器でも扱っているかのような慎重さで地面に横たえる。
《リューナ……》
かすれた声でつぶやく山藤を、再びまっすぐに立ち上がった影が叱咤した。
《立て!》
山藤は、呻きながらグェイブを杖に立ち上がる。膝がガクガクと笑っていた。声も震えている。
《勝てるわけないだろ、僕なんかが》
そんなことは、こいつに言われるまでもなく分かっている。それを敢えてやれと言っているのだ。
俺も、テヒブも。
代わりに闘えるものなら、俺が転生してもいいくらいだった。だが、これは山藤の闘いだ。仮にグェイブが振るえなくても、リューナが好きなら自分の手で守るのが男というものだ。それを人にやらせて平気でいられるなら、こいつはただのクズにすぎない。
テヒブの方はどういうつもりなのか、それは分からなかった。既にヴォクスの力で操られているのならば、叱りつけないで絞め殺してしまえばいいのである。グェイブを持っていたとしても、立ち上がる前なら、兵士たちを相手にするより簡単なはずだ。
それなのにわざわざ対等の勝負を、かつて自分が持っていた武器を持つ相手に挑むのは何故か。
……まだ、人間の感情が残っている?
一瞬だけ閃いた答えを、腰を落として身構えたテヒブの言葉が裏付けた。
《勝たねば死ぬぞ》
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます