第103話 壁の破壊と守護天使の夕飯と

 僭王の使いが一方的につけた条件と期限は、到底守れるものではなかった。いくら人質のリューナを助けるためとはいえ、生きているのかどうかも分からないテヒブが日暮れまでに姿を見せる保証はない。

 松明の炎とアプリのCG処理でなんとか見える村人の群れから、抗議の声が上がった。

《テヒブは死んだって言ってんだろ!》

 だが、壁の向こうにあるらしい篝火を背にした隊長の影は、それを言下に打ち消した。

《それは我々の目で確かめる》

 村人たちのかざす松明が一斉に壁へと向けられたのは、何が起こるか察しがついていたからだろう。

 縄梯子が下りると同時に、人の群れが粗末な間に合わせの武器を手に、雄叫びを上げて突進する。最初の兵士が地面に足を下ろしたとき、頭やら身体やらには数人がそれぞれの一撃を見舞っていた。

 だが、いかに軽装とはいえ、鎧と名のつくものを貫通する威力はないらしい。兵士はもんどりうって倒れたものの、なおも覆いかぶさるようにして刃物を突き刺してくる村人を一蹴りで吹き飛ばしていた。

 似たようなことが壁沿いのあちこちで起こっていることは、暗い中にもアプリのCG処理で分かる。

 だから、壁を見れば、その裏で起こっている異変も見当がついた。

 どしんと振動するごとに、石と石の継ぎ目から、砂がこぼれていたのである。

 そもそもが大きな自然石を積み重ねただけのものだ。一箇所を崩すことさえできれば、あっという間に破壊できるだろう。実際に、壁のあちこちでは石がぐらついて、砂が絶え間なく噴き出しているのだった。

《壁だ! 壁!》

 どこかで村人の声が上がったが、だからといって何ができるわけでもなかった。自分たちで築いた壁をよじ登る力もなければ、工事のときに役に立った梯子を取りに行く余裕もない。

 やがて、壁を叩く振動と共に、石同士が互いにバランスを崩してぐらつき始めた。その向こうからは、兵士の叫び声が聞こえた。

《落ちるぞ!》

 それは、壁の崩壊による落石が、すぐそばで戦っている仲間の命をも奪いかねないという心配によるものだろう。

 だが、その危険は村人にも伝わったらしい。

 ほんのわずかの間に、攻める側も守る側も一切の暴力を停止した。誰もが、高さ3mくらいの石壁が崩落するのを避けて駆け出す。

《逃げろ!》

 それは、どちらが叫んだものか分からない。いずれにせよ、吸血鬼に対する無知が生み出した徒労の結晶としての石の壁は、最初の一箇所が見る間に轟音を立てて崩れ落ちた。

《捜索!》

 さっきの隊長のものだろう、命令の声が上がった。兵士たちが雄叫びで応じる。だが、守るべき壁を失った方も黙ってはいなかった。

《やりやがったな!》

 我に返った村の男が、砂塵の彼方に突っ込んで消えた。それに気付いたのか、1人、また1人と後に続く。その姿は、松明の光とCG処理でも見えないほどだった。

 それでも、たちこめる砂と土の煙が収まってくると、突進していった男たちが最後の抵抗を試みているのが分かった。

 兵士たちは武器を取る間もなく、壁を崩すのに使ったと思しきハンマーを掴まれていた。それなら手を離せばいいのだが、村人に渡して反撃に使われるのは避けたいのだろう。

 にっちもさっちもいかなくなったところで、別の兵士たちが村の男たちの背後からやってきて、槍の柄で後ろ頭やら横っ面やらを次々に張り飛ばした。

 男たちが地べたに転がったところで、槍を逆さにする。

 その穂先を今にも仰向けの腹に突き刺そうとしたとき、再び隊長の声が告げた。

《王の民を殺してはならん、捕えよ》

 思った通りだった。兵士たちは、村の人たちを殺傷できないのだ。こうなると手加減のいらない方は、戦闘訓練を受けていなくても遥かに有利だ。

 視点を動かして様子をうかがってみたが、どこを見ても3人ぐらいの兵士がたった1人の村人を持て余しているのだ。

 それどころか、むしろ反撃まで食らっている。

 俺の目の前では、村の男の鎌が兵士の喉元に迫っていた。さすがにこの現場を見せらるれると、息が詰まる。

 ……本当に殺る気かよ。

 思わず目を背けたくなったとき、怒鳴り声と共にフキダシのウィンドウに制止の台詞が並んだ。

《殺すな、あとで皆殺しにされるぞ》

 乱戦の中で誰が叫んだかは分からないが、思い出せる限りでは村長の声のようだった。

 いや、もう1人いる。

 俺はとっさにスマホ画面をあっちこっち撫でた。 

 マップを動かして壁の崩れた向こうの様子を確かめると、僭王が遣わしたあの騎士だけが、天幕の前で壁の上に向かって指図をしている。

 ……何やってる、山藤!

 マップを拡大して村の反対側へ移動すると、シャント…山藤はまだ、水車小屋の辺りでもたもたしている。

 だが、人によっては、もたついているのは俺も同じことだった

「栄!」

 部屋の戸が開けて再び俺を呼んだのは、オフクロだった。

「夕ご飯食べるの? 食べないの!」

 その目は、俺の手元にあるスマホを見つめている。怒りの視線が告げるメッセージは、さほど想像力を働かせる必要がないほどに明確だった。

 ……グタグタやってるとスマホの契約切るよ!

 昨今の高校生にとって、これ以上の脅し文句はない。俺は即答した。

「食うよ、すぐ」

 反射的に指がスマホの電源を切ったのは、食事の場までこいつを持ち込めば無言の圧力が言葉になるまでもなく実行に移されると皮膚感覚で悟ったからである。

 スマホを窓際の机に置きながら暗くなる直前の画面を眺めると、兵士たちと村人たちが殴ったり殴られたりの膠着状態に陥っていた。 

 ……チャンスだ!

 俺はオフクロに階下へ連行されながら考えた。

 壁は、ほんの一部が崩れただけだ。だが、兵士という兵士は、壁を破壊するのもそこそこに村人の捕縛で出払っている。

 ここで山藤が駆け付ければ、僭王の使いのもとにいるリューナを救い出せるかもしれない。

 ……さっさと来いよ、シャント・コウ。

 雪だの残業だので、オヤジもなかなか帰れまい。俺はオフクロとサシで、黙々と夕食を取ることになった。

 合理的なことに、今夜の料理はどれだけ煮ておいても差し支えない中部地方風の味噌おでんだった。

 テレビのBSで韓流ドラマを見ながら黙々と食事をするオフクロを尻目に、俺はさっさと食卓に手を合わせて2階へと退散した。

 2階でスマホの電源を入れると、沙羅からのメッセージが俺にシャント・コウこと山藤耕哉のフォローを催促していた。

〔何やってんの!〕

〔もう最悪の事態になってんだから!〕

〔テヒブが、リューナが助からなかったら許さないからね!〕

 そんなこと言われても、山藤1人がどうにもならないのだ。その上、あと2人なんとかしろと言われても、そのどっちも俺にはどうすることもできない。

 こういうときには、優先順位をつけるものだ。ネガティブな選択になったが、俺はリューナを選んだ。フォローの利かない山藤を探すよりも、村外れの壁で動かせる駒となるモブを押さえることにしたのである。

 村全体のマップを広げた俺は、僭王の使いによって破壊されている石壁の辺りを確かめた。

 ……万事休す。

 俺が夕飯を食う僅かの時間に、事態はかなり深刻になっていた。

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