第28話 雪とSNSと守護天使の外出
重く暗く雪の降りしきる街道を、バスは山奥へ向けて走っていた。うすぼんやりとした白い車内灯の中で沙羅とのメッセージのやりとりを終えた俺は、スマホの中の異世界で夏の西日に晒された山藤……シャント・コウが立ち上がれるかどうかをモニターしていた。
しばらくは地面に横たわって動かなかったので、生きているかどうかも心配になった。何とか起き上がったのには安心したが、見るからに傷だらけで、もうボロボロだった。
ステータスボックスを開けてみると、この状態だった。
生命力…1
精神力…2
身体…1
賢さ…2
頑丈さ…1
身軽さ…1
格好よさ…2
辛抱強さ…1
階級…ケダモノ
あれだけ血みどろにされて、よく立ち上がれたものだ。そこは感心しないではいられなかった。
バスを降りると、雪は街中よりも深く積もっていた。家までの道はもうすっかり暗くなっていたが、雪明かりというのは実際にあるもので、ぼんやりとした冷たい光の中を俺は歩いた。
田舎ではあるが、この時間帯で雪道となれば帰宅を急ぐ車がトロトロ走る。それに気を付けて道の端っこを歩いていれば、スマホを見ている暇はおろか、山藤……シャント・コウのことなんか考えている余裕なんかなかった。だいたい、寒くてしかたがなかったのだ。
それでも、俺は帰るが早いか夕食もそこそこに自分の部屋にこもった。小型の電気温風器(エアコンなどという文明の利器は与えられていない)の前に座り込んで、スマホの画面を確認する。
気になっていたのは、何でシャントがあそこまで殴られなければいけなかったのかということだ。ここで山藤がシャント・コウとして何一つしなければ、たぶんその謎は永久に解けなかっただろう。だが、こいつは怪我人のくせに思いっきりやってくれた。
何を思ったのか、さっきあれだけ警戒された上に男たちに袋叩きにされたことを忘れたかのように、リューナにしつこくつきまとったのだ。
……やめとけ! 現実世界ならストーカーで捕まるぞ!
案の定、伸ばした手を叩かれ、仕事を手伝おうという好意は無視され、水までぶっかけられて、こいつは完全に意気消沈した。やがて細々と草むしりを始める姿は惨めの一言に尽きたが、それはもう自業自得としか言いようがなかった。
諦めが悪いというのもそうだが、いちばんマズかったのはたぶん、文化の違いにまで考えが及ばなかったことだ。
日本の中でさえ秘密の県民性があるのに、異世界ともなれば常識が違って当たり前だ。もう少し、慎重になるべきだったのだ。
それを夕日を背にした山藤……シャント・コウの正面にわざわざ座り込んで教えてくれたのは、薄幸の美少女リューナだった。たぶん、生理的に怖い思いを散々させられてきたはずなのにこの寛大さだ。こいつにはほとんど聖母クラスと言っていい。
沈んでいく夕日に照らされた二人が笑みを交わしているのを確認した俺は、思わずつぶやいた。
「やるじゃねえか」
その晩、夜中にいっぺん起き出してもう一度スマホを確認したが、画面にはベッドに横たわる影が見えるだけだった。俺は再び眠り込んで、朝まで目を覚ますことはなかった。
部屋のカーテンは閉め切ってあるのに、妙に明るい光で目が醒めた。それがなぜかは、窓から外を見なくても分かる。家の屋根にも道にも周囲の山々にも雪が降り積もって、それを高く昇った太陽が照らしているのだ。
枕元に置いてあるスマホを見ると、異世界転生アプリのSNSで届いた沙羅からのメッセージがわんさと届いていた。
〔おはよう〕
これが6時頃。意外に早起きだ。こんな休日に、しかもこんなに雪が降り積もってるのに何やってんだか。
〔おはようってば〕
〔あ、朝アニメかわいい〕
それからずらずらずらっと、たいして内容の変わらない目覚ましメッセージが並んでいる。つい笑ってしまったのは、その後に続く一言だ。
〔起きてよ〕
寝てた俺が読めるわけがない。無茶言うなと思ったが、沙羅はこれが当然といわんばかりに言いたい放題カマしてくる。
〔返事は?〕
〔ちょっと、男のコが女のコ待たせるの?〕
〔無視なんてひどくない?〕
だから寝てたんだろが、とスマホに歯を剥いても仕方がない。メッセージ一覧を上へ上へと流すと、なかなか返信しない俺に業を煮やしたのか、ようやくこんなのが来た。
〔まだ寝てるの?〕
これが9時頃。たぶん、音読したら語尾は不機嫌に下がっていることだろう。その証拠に、悪態のメッセージは続く。
〔怠け者〕
〔無精者〕
〔ごくどーもん〕
極道者、って意味だろうか。
それはそれとして、休日の午前9時に男子高校生が寝てるのは普通じゃないかと思うが、そんな理屈の通じる相手じゃない。その辺は、お姫様だ。
こんなメッセージをいちいち見るのは時間のムダなので、どのくらい続いているのか確かめるだけにした。
リストをさーっと上に流して読み飛ばしていると、途中でメッセージウィンドウが開いた。
〔今何時だと思ってんの?〕
アプリの隅っこにあるタイマーは、11時を示している。道理で雪の照り返しが明るいわけだ。起きるには確かに遅い。
だが、沙羅にガタガタ言われる筋合いはない。いわれのないお門違いの非難に、俺はすぐさま反撃のメッセージを返した。
〔休日だからいいだろ〕
送ってしまってから見返すと、何の捻りもない。自分でもヘタクソだったと後悔していると、すぐさま姫君のお叱りがあった。
〔異世界に休日なんかない〕
今日の山藤……シャント・コウの様子を見てみると、朝から畑に出ていた。もう、力仕事ではアテにされていないらしい。
もう昼近い太陽の下には、リューナも駆り出されていた。二人がそれぞれ、腰ぐらいの高さまで伸びた作物の葉の間から何かむしっては、地面に置いた籠の中に投げ込んでいる。
画面を拡大してみると、鞘に入った豆だった。畑は広く、何人もの女たちがせっせと収穫に励んでいる。その間を恰幅のいい初老の男が歩き回っているが、女たちには腰が低い。女たち、この男が来ると身体をすくめて何やら畏まる。
《ああ、これはテヒブさん、おはようございます》
どうやら地主か何からしいが、その辺の人間関係が分かる山藤……シャント・コウではない。現実世界の感覚が働いていれば、会釈のひとつもするところだが、すぐ後ろを男が通り過ぎても知らん顔だ。
かえって、声をかけてきたのは男のほうだった。
《もし、オンシは……》
シャントは答えない。答えられるはずがない。下手をすると中学校の英語もままならない山藤が、この世界でシャント・コウとして流暢に喋れるはずがない。
言葉を喋れないながらも、リューナが口をぱくぱくさせながら慌ててフォローした。そんな彼女にこの男は一瞬ぎょっとしたようだったが、山藤には目を丸くした。
《ああ、じゃあ、オンシがヴォクス男爵を追い払った……》
どうやら、これが吸血鬼の名前らしい。もっとも、当の山藤……シャント・コウは知る術もない。ただ、この男はひょこひょこシャントの正面に回ると、いきなり抱きしめた。よく見ると、背がそんなに変わらない。それなのにこの貫禄は何だと思った。
やがて、男はリューナに済まなそうな顔で言った。
《話は聞いた。ことが事だけに、オイにはどうにもならんわい》
男がやはりひょこひょこと去っていくのを、シャントは呆然と見送っていた。その背中をぽんと叩いたリューナは楽しそうに笑うと、またせっせと豆を取り始めた。言葉が通じないことを思い出したのだろう。
だが、急に機嫌よくなった彼女に笑顔を向けられて、山藤……シャント・コウはがぜんやる気を出したようだった。急に収穫のペースが上がり、やがて女たちとリューナが自分たちの持ち場を終えたのか、畑のそばに座り込んだ頃にはもうすることがなくなっていた。
暑い中でも休めば少しでも疲れは癒されるだろうに、張り切って仕事を探しているのか、あちこちうろうろし始める。そのうち、何を思ったのか別の畑でヒヤシンスの葉っぱみたいなのを引き抜き始めた。
思い出した。あれは最初に放り込まれた馬小屋の外に干してあったニンニクだ。きっと、リューナがヴォクス男爵とかいう吸血鬼に襲われた時の用心を考えたんだろう。
だが、それはちょっと調子に乗りすぎていた。リューナが慌てて、襟首を掴んで引きずっていく。やがてシャントを向き直らせる。
ものすごい勢いで怒っているのが分かる。山藤……シャント・コウがきょとんとしているのは、リューナがこんなに怒るとは思わなかったというのが本当のところだろう。
さすがにこれには落ち込んだのか、シャントはすごすごとその場を離れ、白い花の咲く低木の茂みの近くに頬杖ついてしゃがみこんだ。メンタル弱いにも程があるが、リューナはさすがに悪いと思ったのか、そばに歩み寄った。
……放っといていいよ、そんなヤツは。
スマホ画面に精巧なCGで映し出された清楚な美少女に向かって、俺は決して届かない助言を心の中でつぶやいた。
リューナの気遣いに、シャントはきまり悪そうな苦笑いをした。あちこち落ち着きなく見回した末に、ガラにもなく花に手を伸ばした。
「やめとけやめとけやめとけ山藤!」
あまりのベタさに思わず、絶対に聞こえないツッコミが今度は声になって出た。しかも、見た感じはバラの花だ。野生種なんだろうが、似合わないものは似合わない。
突然、画面の中でシャント・コウが顔をしかめた。指を口に運んだところをみると、トゲで指を怪我したらしい。バラは手折られていなかった。
身の程をわきまえろ、山藤。お前に白バラは100年早い。
とはいえ、俺が早起きしてモニターするほどのことは起こっていなかった。リューナにつられて笑いだすシャントを見ながら、俺は沙羅にメッセージを送った。
〔放っとけ放っとけ、いい雰囲気なんだし〕
だが、朝のまどろみを楽しむ俺を叩き起こした張本人はいきなり、コミュニケーションの中断を一方的に宣言した。
〔あ、ごめん、ちょっと出かける〕
だから何だっていうんだろう。そのための携帯やスマホだと思うのだが……。
それでも、俺は一応聞いてみた。
〔スマホ置いてくのか〕
それならツジツマは合うのだが、それでも、何でそんなことをするのかという疑問は生まれてくる。ところが、そんな先読みをするまでもなく、返信は答えになってなかった。
〔ちょっと約束があって〕
スマホ持って出れば済むことだ。それとも、持って歩けないような相手がいるとでもいうのだろうか。何を隠しているのかは知らないが、あまりにも見え透いたゴマカシの数々に、俺はついムキになった。
〔誰と?〕
たった一言のメッセージに対する沙羅の反応は単純で、やはり一言で返してきた。
〔怒るよ〕
俺は数日前、沙羅の触れられたくない秘密に踏み込もうとして、同じような怒りにさらされたのを思い出した。余計なことは言わずに、俺はそれから10数分ほど布団の中にすくみこんでいた。
……気になる。
こんな雪の積もった日に、いったい誰とどこに行くんだろうか。町中から川の上流にあるスキー場に行けなくもないが、昨日の男子生徒たちとでも約束したんだろうか。
……ん?
何で俺がこんなことを心配しなくちゃいけないんだ? 沙羅は俺の何だ? いかんいかん、完全にこいつのペースじゃないか?
異世界転生アプリにログインさせられる直前、胸元の開いたドレスをまとったお姫様姿の沙羅から届いたメッセージを思い出した。
〈この異世界で刺激的に生きるか、現実世界であたしの下僕のまま終わるか、どっちか選びなさい〉
……完全に下僕になってるやないかい!
だが、俺は布団から起き上がって着替えはじめていた。
長袖の分厚いシャツやセーターやトレーナーを重ね着した俺は、台所に立っている母親の後ろで朝飯だか昼飯だかよく分からないパンとインスタントのスープを腹に収めて外へ出た。
真上から差す太陽を照り返す雪がまぶしい。目を灼きそうな光の中を、俺は雪の踏み固められた道をバス停へと向かった。
街中へ向かうバスの中でスマホを眺めると、シャント・コウが豆の樽を積んだ荷車を引かされていた。その間は青空の下で真夏の陽光をずっと頭上から浴びせられていたが、村長の家に戻ってくると辺りは急に暗くなった。
やがて、土砂降りの雨が降ってきた。炎天が続いているせいだろう、田畑に思わぬ水がもたらされたのを喜ばない者はなかった。ほんの数日前に来たシャント・コウまでもがはしゃいでいたのは、たぶん、これで苦役から解放されると思ったからだ。
やがて、屋根を叩く雨音の中でひとりが尋ねた。
《リューナは?》
そういえば、村長の家の広い1階に集まっている者の中に、彼女の姿はなかった。女たちのひとりが答える。
《まだ畑だよ》
《だれか迎えに行っておやりよ》
すかさず、別の女が答えた。吸血鬼に襲われたリューナを敬遠してはいるが、少なくとも嫌っているようには思えない。
だが、横から口を挟んだ男の声は不機嫌そうだった。
《一人で帰ってこられるだろ》
もちろん、このやりとりが山藤……シャント・コウに理解できたはずがない。それでも駆け出すことができたのは、こいつなりにリューナを心配しているからだろう。
雨は昼下がりになっても止まなかった。シャント・コウはさっきの畑まで戻ってみたが、そこにリューナの姿はなかった。
シャントが土砂降りの中を歩いて畑から畑へと探し続けると、遠くにリューナの後ろ姿が見えた。ただし、シャントとの間には村の男たちの集団があった。
男たちは、歩幅を広げたり縮めたりして、リューナの背後でつかず離れずの距離を保っていた。
……いったい、何のために?
念のため、ステータスを開いてみた。
生命力…5
精神力…5
身体…2
賢さ…3
頑丈さ…5
身軽さ…5
格好よさ…6
辛抱強さ…1
階級…ケダモノ
絶対に、殴り合いだけはしてほしくなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます