第150話 ネトゲ廃人、倫理規定ギリギリの体験

 村長の家の裏にも、リューナはいなかった。

 ……どこかへお使いに出たのかもしれない。

 待っているつもりで勝手口の前に戻って、手斧で木の枝をちょうどいい長さに切った。

 十字架に組んでみると、勝手口の戸を開けたククルがじっと見つめている。

「グェイブ、……」

 よく聞き取れなかったけど、赤ちゃんがときどきやるみたいに、何か指差している。こっちに向いた指の先を確かめてみると、十字架に興味があるっぽかった。

「じゅうじか……クロス」

 日本語と英語で言ってみる。異世界の子供にはどっちでも同じかなと思ったけど。

 子どもが口でマネするみたいに自信なさそうな言い方で、ククルは繰り返した。

「ジュージカクロス」

 同じものの名前つなげただけなんだけど、まあ、いいか。異世界でどんな名前がついたって、著作権なんたらにはならないんじゃないだろうか。

 まだ十字架から目を離さないでいるククルに、僕は日本語で説明した。異世界語はなんとか聞き取れるようになったけど、まだまだ話すところまではいかないからだ。

「リューナ……助ける」

 日本語のほうはやっぱり分からなかったみたいで、ククルは名前だけを繰り返した。

「リューナ?」

「……リューナ」

 そう言って僕が首を横に振ったのは、この十字架はリューナのためのものだと言いたかったからだ。これがどう伝わったのか分からないけど、ククルはいきなり勝手口から飛び出すと、村長の家の裏に回った。

 何が起こったのか分からなかったけど、ふと気付いたことがあった。

 ……心当たりがあるんだろうか? どこへ行ったかっていう。

 後を追ってみると、ククルは勝手口からそんなに遠くないところにある井戸のそばにいた。

 その上には屋根があって、屋根の下には何かロープのかかった輪っかがある。ロープには桶がついていて、ククルはそれを井戸の中に放り込む。ぼちゃんという音が聞こえると、ロープを掴んで一生懸命、引っ張り上げる。

 ……しょうがないな。

 そろそろ暑くなってきたから、喉が渇いたのかもしれない。重そうだったから、十字架にするための2本の棒をその場に置いて、井戸へと歩いていった。ククルは桶を引っ張り上げるのに夢中で、僕に気が付かない。

 頭の上でロープを掴んでやると、あっという顔で僕を見上げた。えへへと笑って、僕と一緒にそれを下へ下へと動かす。割とずっしりきたけど、水のいっぱい入った桶を何とか持ち上げることができた。

 台所に持って行くほうの桶に水を移そうとしたら、ククルは僕の手を引いて止めた。意地でも自分で持って行こうというんだろう。そこは何か、かわいいと思った。

「無理しないで」

 日本語でしか言えなかったけど、僕が手を引っ込めれば気持ちは分かるだろうと思っていた。でも、ククルはちょっと乱暴に水の桶を奪い取ったかと思うと、いきなり頭の上でひっくり返したのだ。

 ずぶ濡れになったククルは、服を脱ぎ始めた。

 ……ちょ、ちょっと!

 まずい。人に見られたら強烈にまずい。夕べ、リューナにいやらしいことしたって疑われたばっかりなのに、今度は幼女となれば、完全に犯罪者だ。

 僕は現実世界じゃちゃんと、そういうエロゲ的な何かと、やっちゃいけないことは区別できてるつもりだ。それなのに、どうして異世界ではこういうギリギリのラッキースケベに出会うんだろう。

 いや、僕がそういうのに興味あるのは2次元だけでリアルは全然……っていうか、何考えてんだ僕は!

 ハッと気付いたときは、もうリューナは上半身すっかり脱いで、スカートにまで手をかけていた。

 ……まずいまずいまずいまずい!

 その腕を慌ててしゃがんで押さえたところで、僕の後ろから子どもの声が聞こえた。

「ククル!」

 顔面に、飛び蹴りが来た。頭が一瞬、ツーンとする。

 後頭部からぶっ倒れたとき、僕はあの男の子がククルに駆け寄って、自分の服を手渡すのが見えた。

 ククルのほうはすっかり男装して、パンツみたいなの一枚になった男の子に何か言っている。

 男の子は、首を縦に振って言った。

「リューナ……来る」

 何とか聞き取れた言葉と「いいえ」のジェスチャーから考えると、「リューナは来なかった」と言ってるんだろう。

 ククルは僕を見下ろすと、遠くを指差して言った。

「グェイブ、リューナ……行く!」

 パタパタ走りだすのを追いかけようとした男の子が走って戻ってくる。僕は腕をつかまれて引き起こされた。

 さっき聞いた言葉が繰り返される。

「……行く!」

 そう言うなり、男の子は子ども同士でかけっこでもしているみたいに、すぐククルに追いついた。

 何をしようとしてるんだろう?

 ……僕、リューナ、行く?

 ちょっと考えて、もしかしたらと思った。

 男の子が「リューナは来なかった」と言ったのは、来たかどうかククルに聞かれたからだろう。

 じゃあ、そのリューナを僕が、助けに、行く、ってことなんじゃないだろうか。

 村長の家の角で立ち止まった子ども2人が、僕をじっと見ている。たぶん、僕の考えたとおりなんだろう。僕が近寄ると、ほとんど裸の男の子はククルの手を引いて走りだした。

 庭中の人が、男の子を眺めてどっと笑う。

 豆を運んできた男は口笛を吹き、籠を前にした女は、何か言ってはやし立てた。でも、僕が子どもたちについていくと、やっぱり痛い視線があっちこっちから突き刺さる。

 それがいやで、僕は子どもたちを追い抜いて、道へと駆け出した。

 どこへ行けばリューナに会えるのか分からなかった。でも、村中を走りまわってでも探すしかない。

 といっても、僕にはそこまでの体力はない。すぐ息が切れて、暑い日差しの中で立ち止まった。

「グェイブ!」

 手にしている武器の名前で呼ばれて振り返ると、小さなククルが男の子の服を見せびらかすように立っていた。後からやってきた裸の男の子が、その手を引いて道を引き返す。

 それを見て、行こうとしていた方には石の壁があるのを思い出した。か弱いリューナが、わざわざ村を出て吸血鬼の城に向かうはずがない。僕は男の子のあとについて歩きだした。

 で、その結果はどうだったか。

 もちろん、ハズレだった。子どもは妖精が見えるっていうけど、リューナは人間だ。あてずっぽうで探して見つかるはずがない。

 その上、男たちが働く豆畑の周りをうろうろしたもんだから目立ったらしい。ククルは夕べ見た父親に連れていかれ、男の子も、それを追って姿を消した。

 本当なら、幼い娘を連れ回した不届きな男には、父親のゲンコツ一発くらい当たり前なんだろう。それがなかったのは、もちろんグェイブがあるからだ。これがある限り、誰も僕に手を出そうとはしないし、近づこうともしない。

 ひとりで取り残された僕は、豆を取る手を動かし続ける男たちにじっと見つめられて固まった。

 ……ええと。

「すみません!」

 慌てて逃げ出そうとして、足がもつれた。

「うわっとっとっと!」

 身体のバランスを崩して草の茂みに転がりこんだら、顔や腕や手がいっぺんにちくちく痛んだ。

 ……何だこれ?

 手を引っ掻いたものをみると、トゲのいっぱい生えた枝だった。

 ……きれいなバラにはトゲがあるっていうけど。

 周りをよく見ると、あちこちに白いバラが咲いていた。確か、リューナと一緒に畑に出たときにも見た気がする。

 すると、ここがその畑なのだ。

 異世界転生して10日くらいしか経っていないのに、もうずいぶん昔のことみたいな気がする。 

 現実世界にいたときのことのほうが、夢なんじゃないかって気がしてきた。

 ……ここで生きていかなくちゃいけないんだろうか。

 ネトゲ廃人ってバカにされていたときよりも、ずっとキツい。リューナがいなかったら、ここには絶対にいたくない。

 僕はあっちこっちバラのトゲに引っかかれながら、立ち上がる。枝が何本か服に引っかかったから、杖にしたグェイブの刃で切った。

 ……つまらぬものを斬ってしまった。

 なんて心の中でつぶやいてみたけど、本当はこんなものを切るのがやっとだ。こんなんじゃ、リューナを守れない。

 それどころか、守る相手がどこにいるかも分からないのだ。

 ……探そう。

 僕は村の男たちの視線を感じながら、バラの枝の茂ったところを離れた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る