第149話 守護天使が直面する危機
リューナは毅然として、必要なことだけを口にした。
《私を連れて行って。その代わり、シャントと村の人には手を出さないで》
言葉が急に流暢になっている。吸血鬼との意思疎通は、発話能力とは関係ないようだ。
勝利の余裕たっぷりの声が答える。
《いいだろう》
闇の中で、リューナの白い身体が浮き上がる。ヴォクスが抱き上げたのだ。
今朝、朝の光の中で、冷たい流水が洗い清めた身体を。
その喉元に光る犬歯が見えたような気がしたとき、リューナはさっきとは打って変わって、甘く囁いた。
《ダメ……続きは、あなたのお城で》
好色な含み笑いと共に、吸血鬼ヴォクス男爵は答えた。
《いいだろう》
そこへ、おそらくトゲだらけであろうバラの茂みから立ち上がった者がいた。
《リューナ!》
だが、遅かった。リューナを抱えたまま、ヴォクスは疾風に姿を変えたかのように、その場から走り去っていたのである。
山藤は後を追って走りだした。手に持ったグェイブの光が照らし出しているのは、その真剣な表情だけではなかった。
もう一方の手には、白いバラの花が一輪、血の出るのも構わずに握られている。
……何考えてんだ、コイツは?
花を片手に女の子を口説いてる場合ではない。そもそも、そんなことができるガラでもなかった。
できることといえば、グェイブだけを頼りにヴォクスを倒すことだ。もう、杭や十字架を取りに村長の家まで戻っているような暇はない。戻ったら戻ったで、女の敵として白い目で見られるのがオチだ。
村人が長柄の武器や飛び道具……石ころひとつでも持っていたら、袋叩きの目に遭うかもしれない。グェイブに直接触れなければ、被害はないのだ。つまり、山藤は最大の危機に叩き込まれてしまったわけである。
その分、お膳立てをした俺にも、もはや打つ手はなかった。村人がいきなり味方についたり、置いてきた装備を届けにきたりなどというご都合主義は、山藤を異世界に留めようとする沙羅のやることだった。
実際、お節介なメッセージが送りつけられてきた。
〔大丈夫、私が面倒みるから〕
山藤が極限まで追い込まれてしまった以上、あとは沙羅のターンしか残っていない。俺が妨害者の立場ではできないことを、思いのままにやってくることだろう。だが、それを指をくわえたまま見ているという法はない。
強がりに過ぎなかったが、俺は返答した。
〔お前には任せん、連れ戻してみせる〕
せいぜい、モブを動かして村人の邪魔をすることぐらいが関の山だ。しかし、山藤に痛い思いをさせるにが、自分の力だけで戦う場面を少しでも作ってやらなくてはならない。
幸い、と言っては何だが、俺の望むどおりの展開になってはきていた。
目指すヴォクス男爵の城は、確かに木の切り出しに駆り出された山の斜面からは見えた。しかし、高い所から近く見えたものが、低い所に降りると信じられないくらい遠い所にあるというのは珍しいことではない。
この場合も、その例に漏れることはなかったのである。
村外れの崩れた壁を抜けて、山藤は暗い道を走った。もっとも、どこまでもというわけにはいかない。こいつの体力には人よりも早く訪れる限界というものがある。
案の定、山藤は力尽きて倒れた。月のない夜だが、グェイブのおかげで足元は明るい。おかしな転びかたはしなかったから、せいぜい擦り傷をこしらえるぐらいで済んだだろう。
……立て。
口に出して言ってやりたかったが、どっちみち聞こえはしないから、腹の中で言ってやる。
そのせいではないだろうが、山藤はピクリとも動かなかった。CG処理された画面の中で、倒れた姿勢のまま、身体を伸ばしてうつ伏せになっている。
顔が見えないから、起きているのか寝ているのか、意識があるのかないのかも分からない。
声を出しても仕方が無いとはわかっていたが、つい我慢できなくなって叫んだ。
「立て!」
その声が階下まで聞こえたのだろう。オフクロと親父がほぼ同時に怒鳴ったのが聞こえた。
「うるさい!」
「もうご飯だよ!」
いい年こいて何を考えたのか、クリスマス婚の結婚記念日にツリー立てて家族揃ってのお祝いなどと、もう訳が分からない。
親父に何かやましいことでもあったんだろうか。
……不倫とか。
大人の男と女のことはよく分からんが、夕食には帰ってくるから物理的に不可能だろうとは思う。
因みにオフクロに至っては、家と街とを買い物で行ったり来たりするだけだ。韓流ドラマをリアルタイムで1回見逃しただけで大騒ぎして、有料放送での再放送をチェックする性質だから、そっちのほうはもっとありえない。
……下司の勘繰りってヤツだな。
考えるのは、時間と労力のムダというものだった。俺はスマホ画面を再び確かめる。山藤が、よろよろと起き上がるところだった。
……よし、行け!
言葉にしても通じないことを心の中でつぶやいて、俺は夕食を取るために階段を下りた。
俺が台所に顔を出すなり、親父は大真面目な顔をして、テーブルに着くように手で合図した。
「ちょっと、ここ座れ」
「何だよ」
子どもの頃は、つまらない悪さをしてはこんなふうに叱られたことがある。だが、俺もいい年だから、そんな心当たりはない。
そこで、さっき考えたことが頭をよぎった。
……まさかな。
オフクロの顔を見ると、夕食の準備をする手を止めて俺を見つめる目つきは、結構、真剣だった。
悪い予感がしたところで、親父は話を切り出した。
「実はな」
いつになく重々しい口調に、俺は思わず息を呑む。本当に家庭の一大事が起こったのかもしれなかった。
「……何だよ」
俺も精一杯、平静を装った。声は多少、裏返っていたかもしれない。オフクロも、一瞬だけ顔を背けた。
張り詰めた雰囲気の中で、親父は言葉を続ける。
「部長に昇進してな」
頭の中が凍り付いた。意外とかそういうのではなく、ただ、あまりの不条理に脳がついていかなかっただけだ。
目をそらしたままのオフクロは、吹き出しそうになるのをこらえている。どうやら、俺が素っ頓狂な声を出したのがよほどおかしかったらしい。
ようやく事態が呑み込めた俺は、とりあえず祝辞を述べた。
「……よかったじゃん」
実をいうと、あまり興味はなかった。悪いことではない。収入も増えるだろうから、家計も安定するだろう。それはとりもなおさず、俺の高校生活の平穏につながる。
そこで納得できたのは、今年に限って異文化圏のお祭りを家で盛大にやる理由だ。
……昇進祝いかよ。
心配して損したわけだが、いいことばかりではなかった。うなずいた親父は、俺をまっすぐに見て言ったものである。
「引っ越さんといかん」
「……はい?」
問題はそこだったらしい。俺はちょっと言葉に詰まった。
普通に考えたら、一家で引っ越すということになる。たぶん、昇進に伴って、他所の支社かなんかに移るのだ。
そこで俺が真っ先に心配することは、1つしかない。
「じゃ、学校は?」
単純に考えれば、転校ということになる。沙羅みたいに。
その後の言葉は、オフクロが継いだ。
「栄も来年は3年生でしょう? 受験でしょう?」
考えたくもなかったが、大きな問題だった。いきなり学校を変わって、進学対策ができるかどうか。平穏も平凡もあったものではない。
とりあえず、俺は聞いてみた。
「いつ?」
引っ越すんなら、遅くとも来年の3月だろう。だが、親父が一息ついてから言ったのは、その辺では答えなかった。
「別に、単身赴任すれば済むことだ」
それなら、俺は慌てなくていい。ちょっと安心したが、今度はオフクロが口を挟んだ。
「すると、栄が進学して下宿でもしたら、ここに独り? 私だけで?」
それを回避するためには、俺は地元から通えるところにしか進学できない。正直、この田舎から出られないのは不本意だった。
台所が静まり返って、鍋だけがカタカタ鳴っていた。どうやら俺は、人生の一大転機に直面したらしい。それも、俺の意思だけではどうにもならないことに。
沈黙を破ったのは、オフクロだった。
「まあ、ここで結論が出るわけでもないしね」
たった一言で、切り替えも早く夕食の準備を再開する。
こういう性分は、この場合、大変にありがたかった。親父は前祝いだとか何とか云ってビールを飲みだし、俺は俺で何事もなかったかのように夕食を済ませることができた。
ただ、問題が保留されても、間違いなく言えることがあった。
12月24日の夕食は、強制参加だということだ。
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