第9話 守護天使視点からのフォロー開始……できません

 ……なにやってんだ、お前。

 山藤のシャウトが3回連続で吹き出しに現れる。

《シャント・コウ!》

《シャント・コウ!》

《僕はシャント・コウ!》

 それを自分のスマホでしげしげと見ていた沙羅が、声を殺してクツクツ笑い出した。

「ノってる……ノってる……これ結構イタい!」

 俺にとっては笑いごとではない。

 このままこいつが異世界ライフをエンジョイするのを、俺は黙って見ているわけにはいかないし、そうしたくもないのだった。

 しばらくして、笑いの治まった沙羅は雪明りの教室で静かに立ち上がった。

「さて……と」

 まだ机に向かったままの俺を見下ろして聞いた。

「八十島君は帰らないの?」

「俺はバスだから」

 こんな天気だから余計に、いつも通り終礼が終わったらすぐ、いちばん早いバスに乗って帰るつもりだった。俺の家は遠いのだ。この辺に公立高校はここしかないから、俺はバスで片道30分以上をかけて通学するしかないのだった。

「綾見……さんは?」

 どう呼んでいいのか分からない。昨日会ったばかりだから、これでいいのかもしれない。だが、こんな関係になってからでは他人行儀な気がして呼びにくかった。

「沙羅でいいわ」

 ドキッとした。

 確かに、心のなかではもう、そう呼んでいる。俺にとってはもう、彼女はクラス全員の魂をかけて闘う不俱戴天の仇敵なのだった。

 だが、うろたえたポイントはそこではない。

 心の中を見透かされたというよりは、ほとんど初対面の女子に、名前で呼べと言われたことが俺の心臓に直接来たのだ。

「人が聞いたら誤解するだろ、お前!」

「そうそう、それよ。オマエでOK」

 何が面白いのか、沙羅は妙にはしゃいだ。

 教室の後ろにある個人用のフックに賭けた紺色のコートをするりとまとい、複雑なタータンチェックのマフラーを首に巻いて教室を駆けだした沙羅は、慌てて戻って来た。

「何だよ、せわしないな」

 いつものバスを見送って、次がくるまでの残り1時間を寒い教室でカンヅメにされる俺は、沙羅がその原因だと思うとムカついてならなかった。

 もっとも、戻って来たほうはそんなことを知るはずもないし、たぶん気にもしてはいなかっただろう。その証拠に、マフラーにすくめた首を伸ばして告げた言葉は底抜けに明るかった。

「また明日ね、八十島君!」 

 ろくに返事もしなかったのが気になって窓の外を眺めていると、やがて真っ白な雪の中に黒い影が傘を差して、とぼとぼと歩いていくのが見えた。家はどの辺りだろうかと思って校門の外を眺めてみると、山々がかぶった雪の隙間からのぞく杉の木々は、黒い斑点のようにも見えた。


 沙羅が去った後の教室で、俺はスマホの電源を入れた。

 教員に見つかったら翌日の放課後まで没収だが、バスが来るまでの間、さっき帰った対戦相手が「シャント・コウ」つまり山藤をどんなふうにおだて上げるか分かったものではない。オタクがその気になったらおしまいだ。絶対に、「こっち」には帰ってこないだろう。

 今、スマホの中の世界は夜だ。人通りがないから叫んだってどうってことはないが、その代わり、どうすることもできない。

 だいたい、今夜はどこで寝る気だお前は。

 夕べログインして、土地勘もなければ言葉も通じないところでうろうろしていたとすると、たぶん一日中飲まず食わずの上、一睡もしていないことになる。

 日ごろの山藤がどうだったか断片的なことを総合してみると、空腹を抱えてもなお野宿するような甲斐性があるとはとても思えない。 

 ……おっと、いまはシャント・コウだったか。

 念のため、ステータスを確かめてみる。


生命力…3

精神力…2

身体…4

賢さ…7

頑丈さ…5

身軽さ…5

格好よさ…3

辛抱強さ…2

階級…何者でもない


 ……死にかかってるやないかい。

 何者でもないところを除いたら、パラメータは残らず低下している。このゲーム、疲労がたまると能力値も低下するらしい。

 寝ろ! とにかく民家を探して、馬小屋でも何でもいいから寝かせてもらえ!

 そう言いたいところだったが、あいにくとモブキャラを動かさないことには何の関与もできない俺は、シャント・コウこと山藤が1人でいる限りは手をこまねいているしかなかった。

 そのシャント・コウは独り、次第に濃くなっていく闇の中で呆然と立ち尽くしている。スマホ画面を見ている限りでは、光が足りないところの明るさや解像度が補正されるが、本人の目にはもう、ほとんど何も見えていないだろう。

 時間が経つにつれて、山藤つまりシャントも心細くなったのだろう。夜道をあっちへ行ったりこっちへ行ったりして、何度となく背伸びをしている。道の向こうから誰かやってこないか、気にしているのだろう。

 俺としても、誰か来てくれないと困る。

 暖房なんかとっくに切れた薄暗い教室で、俺は首を縮め、肩をすくめ、身体を丸めるようにしてスマホにしがみついた。

 ……来た。

 夜闇の中に、光る小さな点がぽつんと浮かんだかと思うと、それはみるみるうちに、揺れる光の玉になった。

 助かった、と俺は思ったがこいつ……シャント・コウは違った。普通なら一声かけて近づいていくところだが、こいつは慌てふためいて反対方向へ逃げ出したのである。

 何考えとんじゃ山藤……いや、シャント・コウ! 

 ああ、ややこしい……。

 光の玉はやがて燃える松明の炎となって、その下にいる人々を照らし出した。

 松明を持った男を先頭にして黙々と歩く、長いコートを頭からかぶった5~6人の集団である。手に手に、長い棒や鋤、鎌などを握りしめているのが見える。

 なるほど、これが見えたのだろう。山藤つまりシャント・コウも、あながちバカじゃないということだ。この闇夜に、松明の下で顔しか見えない連中がこんな物騒なものを持って歩いてきたら、たとえ世界最強の格闘家でも真っ先に考えるのは、全速力で逃げることだろう。

 いや、こういう時は強いヤツほど、無暗に戦わないで逃げるものらしい。

 だが、シャントの姿は道端にあった。走る気力も体力もないのか、うずくまったまま動かない。

 ……そうだ、それでいい、動くな!

 松明に照らされたモブたちはシャントに気づかないのか、その前を通り過ぎていく。このまま行ってしまったら、俺はこいつに干渉する手段がなくなるのだが、下手なトラブルでボコボコにされるよりマシである。ゲームの中で死ぬことはないらしいが、クリアには支障が出るだろう。

 モブたちの人数は、最初に気づいた分だけではなかった。その後ろにもう1人、スカート姿の人影があった。

 松明の明かりで他に見えるのは、髪の乱れと縄で両腕を縛りつけられた上半身ぐらいだったが、まだ少女だということは何とか分かった。

 その少女は男たちに縄を引かれ、よろめきながら歩く。力なくうつむいてはいるが、顔を伏せて屈みこんだシャントには気づかないようだった。何があったのかは分からないが、それほど心も身体も萎え果てているのだろう。

 だが、シャントにも俺にも、出来ることは何もない。事情が分からないのに、いや、分かったとしても、今は何もしないほうがいい。その場をよく見て、動くべき時を待つ。それが、生き抜く賢さだ。

 松明の灯は再び、小さな点となって闇の中へと消えていく。スマホ画面の中にそれを見送っていた俺は、信じられない光景を目にすることになった。

 シャントが立ち上がったのだ。

《うわああああああ!》

 叫びながら後を追うのを見ながら、俺は思わず叫んだ。

「やめろおおおおおお!」

「お前もな……八十島」

 背後から聞こえた男の声に振り向くと、担任が見下ろしていた。

「没収」

 肩越しに突き出されたごつい手を見ながら、大人しくスマホの電源を切る。

 その瞬間、シャント・コウを男たちが袋叩きにするのが見えたが、仕方のないことだと諦めた。

 平凡に、平穏に。

 ここで校則に逆らっても意味はない。それよりもルール通り、明日の放課後にスマホを返してもらってからシャント……オタク山藤の更生を考えればいい。

「すみませんでした」

 俺は担任にスマホを渡して、教室の時計を見た。

 バスの来る時間だった。窓の外は既に薄暗かったが、職員室辺りから漏れる光に照らし出された雪はまだ降りしきっていた。

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