第173話 ネトゲ廃人、最後の反撃を試みる

 ヴォスクは、僕の隠れた袋の山に向かって歩いてくる。袋の隙間からでも、それは何とか分かった。たぶん、村長の家の庭には、村の人たちが放り出した松明がまだ燃えているんだろう。

 その庭で走り回っていた馬は、いったんこの納屋に突っ込んできた。すっかり昂奮していて、前足の蹄で踏みつけてきたりしたけど、ハルバードの柄と刃でなんとか防げた。

 それがぴたりと止んだのは、ヴォクスの声が聞こえたからだ。そこで固まってしまっていたのは、本当にツイてた。おかげで僕は、豆を詰めた袋の間に隠れることができたんだから。

 馬がすごすごと逃げてしまったのは、ヴォクスに怯えたからだろう。だから、1人だけ入ってきた村の人がすぐに出ていってしまったのは本当に良かったのだ。あのままここにいたら、コウモリかなんかに化けてきたヴォクスに殺されるか、血を吸われて下僕にされていたかもしれない。

 僕はというと……逃げ道はない。後ろは壁だし、袋は結構、重い。でもヴォクスの力で取り除けるのは造作もないはずだ。

 身体を覆う黒いマントの陰から、ほっそりした腕が伸びるのが見えた。全然鍛えてない僕の腕が不健康に痩せているのとは違う。そこには、普通の人間を遥かに超えた力が隠されている。

 つまり、僕の姿が見つかるのは時間の問題だった。それなら、覚悟を決めるしかない。僕は袋の隙間から見える影に目を凝らしながら、待ち続けた。

 ……来るか?

 ……いや、まだ早い。

 頭の中で、正反対のことを言う声が囁く。ヴォクスよりもむしろ、その声の方が怖くて仕方なかった。同じ言葉のやりとりを2~3回繰り返したときには、もう、豆の袋が音を立てて動かされていた。

 もう、「まだ早い」なんて言ってられない。やらなくちゃいけないことは、いや、やることは1つしかなかった。

 うおおおお、と叫びそうになったけど、それじゃ100%負ける。隙を突かなくちゃダメだ。

 僕は袋が除けられる瞬間を狙って、ハルバードを突き出した。

 もっとも、グェイブと違って魔法のかかった武器エンチャンテッド・ウェポンじゃないから、ダメージは与えられない。

 でも、何もしないよりマシだ。やらなくたって、殺されるんだから。ちょっとでも、怖いのとか痛いのは後のほうがいい。

 そう思って攻撃をかけたんだけど、結局、僕じゃダメだった。ハルバードはヴォクスに当たる前に、持ち上げられた袋に引っかかってしまったのだ。

 袋を切り裂いただけで、ハルバードはヴォクスに片手で掴まれてしまった。

《小僧、こんなものでよくも……》

 馬の蹄でめちゃくちゃ蹴られた柄は、それだけでぼっきり折れてしまった。床に落ちた斧の部分が、キーンと鳴る。

 それを聞いただけで、身体がすくんだ。立ち上がることも出来ない。代わりにヴォクスが、喉に指をめり込ませて持ち上げてくれた。

「く……苦しい……」

《苦しいか》

 思わずつぶやいた日本語は、たぶん僕の頭の中にも浮かんだ言葉だ。それにいちいち返事したヴォクスは、更に力を込めた。

《それなら、ひと思いに楽にしてやろう》

 目の奥がじいいんとして、全身が痺れた。喉っていうか、首の中全体がぎゅううっと絞まる感じがして、思わず咳をした。ひどい風邪をひいたときよりも、もっと重い咳だ。

 口がぱっくり開いて、その奥から舌が絞りだされる感じがした。身体が、地面に向かって引き延ばされる。もう、手にも足にも力が入らない。後ろ頭がジンジンと痛み始めた。

 ……もう、ダメだ。

 目の前に、何かチカチカ光りだした。この異世界に転生してから起こったことが、一瞬で頭のどこかに浮かぶ。

 中世ヨーロッパの市場っぽいところ。一日中さまよって、いろんなとこに入っては追い出されて、ひどい目にあった。

 暗い夜道。人魂ウィル・オー・ウィプスかと思ったら松明の光だった。そこで出会ったのが、金髪の女の子。

 馬小屋。臭かった。めちゃくちゃ臭かった。手枷足枷をはめられて床に転がされた。あの女の子も、同じ目にあっていた。

 そこで見たのは、この、吸血鬼だ! 襲われていたのは……。

「リュー……ナ、リュー……ナ!」 

 やっとの思いで声を絞り出すと、ヴォクスはまた喉を掴む手に力を込めた。

《死にたくなかろう! どこにいる、リューナは!》

 知らない。どこにいるかなんて。知っていても教えない。いや、知らないほうがいい、僕は辛いのはイヤだから、最後には絶対、喋ってしまう!

 だから、いいんだ、これで。

 僕はヴォスクが首を絞めるのに任せていた。片手でも、僕なんかを殺すには充分だろう。

 もう片手には、なぜか、さっき持ち上げた豆の袋を持っている。怒りのあまり、手の中に在ることさえ忘れてしまっているのかもしれない。もしかすると、両手を使わなくていいから、捨てないでいるのかもしれないけど。

 そんなの、どっちだっていい。

「リューナ……」

 最後に、一言だけ、名前を呼ぶことにした。

 眩しいくらいに光る金色の髪を思い出す。あの暑い日に、一緒に畑へ出たこと。取っちゃいけない野菜まで取ってしまって、恥ずかしかった。

 あの土砂降りの雨。身体にぴったりくっついた服。胸までくっきり見えて……ダメだ、ここんとこは。

 襲いかかる男たちから、僕はリューナを守れなかった。助けてくれたのは、身体は小さいのにめちゃくちゃ強いテヒブさんだ。

 棒の練習。グェイブ。村人の襲撃。初めてリューナを僕の手で守った日の夕方。

 そして、初めてのキス。

 思い出したとき、柔らかい、濡れた感触が、僕の唇の上に戻ってきた。

 ……死んで、たまるか!

 もういちど、手足に力を込めてみる。ダメだ。動かない。だらんと揺れるだけだった。

 朝の水浴び。見てしまった、リューナの裸。すごく、きれいだった……ここんとこも、NG。

 思い出そう。リューナが笑っているところ。眩しい。夏の太陽の光も、リューナの髪も、あの水浴びのときの……。

 思い出しちゃいけない姿が目の奥にぼんやり浮かんだとき、何かがざあっとこぼれる音がして、その幻は消えた。

 身体が、どさっと床に落ちた。でも、思ったより痛くない。いきなり身体が楽になってすうっと気が遠くなる。

 ……ダメだ! ダメだ! ダメだ!

 自分に言い聞かせながら、手を床につく。倒れて寝てしまわないためだけど、触ったのは土でも砂でもなかった。

 手で掴めるくらいの、丸い粒。

 ……豆?

 それに気が付いたとき、目の前に人の顔があるのに気が付いた。村の人が、心配して助けに来てくれたんだろうか?

 いや、それはない。絶対にない。僕は、この村ではよそ者で、役立たずで、厄介事ばかり引き起こして、女好きなスケベ野郎ということになっている。どっちかというと、ヴォクスに殺してもらったほうがいいとさえ思われているかもしれない。

 そのうち、ずっと絞められていた喉に息が通るようになって、僕はようやく、目の前にいるのがヴォクスだと気が付いた。

 ……僕の顔を、見ていた?

 意識を取り戻すのを待っていたのだろうか? 何のために? すぐ殺せるはずなのに?

 そんなことを考えているヒマはない。反撃するチャンスだ。

 でも、どうやって? グェイブがない以上、傷を負わせるのは無理だ。

 ……じゃあ、逃げるか?

 馬はたぶん、どこかへ逃げてしまっただろう。ここに残っていたとしても、僕は乗れない。乗れるのは、荷馬車だけだ。

 歩くしかない。

 僕は立ち上がった。ヴォクスもきっと立ち上がるだろう。パワーの差はもう、問題にならないくらいだ。

 ……そんならせめて、立ち上がった瞬間の反撃くらいは!

 豆をひとつかみ、目にでもぶつけてやろうかと思っていたけど、それは掌で握りしめるだけで終わった。

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