第33話 プレイヤー、初めて自分の力で

 やっぱり、僕は僕だった。

 その気になったところで、目の前で男たちに乱暴されかかっている女の子を救えるヒーローになんてなれるわけがない。

 掴みかかった相手は僕を軽く投げ転がし、ぬかるみの中で泥まみれにした。マウントポジションを取られた無様な格好でいいように殴られ、外の連中に爪先や踵で頭から足の先に至るまで散々に蹴りまくられ、踏みにじられる羽目になったが、それでも全然かまわなかった。

 リューナは、服を引き裂かれるだけで済んだのだから。

 これで怒りに任せての殴る蹴るに男たちが疲れてくれれば、彼女が何かされることもないだろう。

 そう思っていると、遠くから女たちの声が聞こえてきて、男たちの手足が止まった。畑仕事の時はキツいオバサンたちだったけど、この時ばかりは救いの神が降りてきた気がした。

 やがてオバサンたちはリューナをかばって男たちを罵り始めたけど、男たちが僕を指差して何か喚き出したところで風向きが変わった。

 オバサンのひとりに抱きしめられたリューナが何か呻いても、誰も相手にしなかった。ごっつい手をしたオバサンは、僕の顔にアイアンクローをかけながら怒鳴りつけてきた。

 かばう腕を振りほどいたリューナは僕にしがみついて、固い指から助けてくれた。でも、そのせいか、今度は被害者から一転して責められる立場になってしまったみたいだった。

 ……こいつら!

 ……逃げてんじゃねえよケダモノ!

 ……何が起こったか、見たら分かるだろババア! 

 人の話聞け、と思った。

 でも、よく考えたら、僕は事情を話すどころか、相手が何を言ってるのかさえ分からない。

 しがみついたままのリューナが、震えていた。

 怖いからなのか。

 つらいからなのか。

 悲しいからなのか。

 はっきりしないけど、たぶん、その全部なんだろう。

 僕の眼の奥が、熱くなった。どろっとした嫌な感触の泥がこびりついた顔を、涙が滑り落ちるのが分かった。僕と男たちが踏み荒らした地面が、じんわりとにじむ。

 悔しかった。リューナに何もしてやれない自分が情けなかった。

 ……ダメだ。

 ……僕なんかダメだ。

 ……何の力もない。

 ……何かやろうとしても、どうせできやしないんだ。

 このまま泣き崩れてしまわないよう、唇を噛みしめているのがやっとだった。僕がそうなったら、リューナはまた、こいつらの暴言に晒される。雨の中で男たちから逃げ回り、裸になる手前まで剥かれ、何を言われているのか分からないけど、心までボロボロに傷つけられている。

 僕をこの世界に放り込んだ綾瀬沙羅よりも、リューナを襲った吸血鬼よりも、許せないのはこいつらだった。いや、こいつらから彼女を守れない僕自身だった。

 身体の奥からあふれ出しそうなものをぐっとこらえていると、頭から降ってくる乱暴な声が急に止まった。

 今までにはなかったしゃがれ声が聞こえた。誰か別の人が現れたらしい。その場にいる男も女も、リューナまでもがそっちを見たのにつられて顔を上げてみると、そこには今朝、畑の見回りにした背の低いオッサンが杖を片手に立っていた。

 オバサンのひとりがつぶやいた。

「テヒブ……」

 それが、このオッサンの名前みたいだった。

 雰囲気からすると、みんなちょっとビビりが入ってるみたいだった。どうやら、止めに入ったらしい。

 それが気に入らないのか、男たちのひとりが、女たちが止めるのも聞かずにつかつかと歩み寄った。さっき僕をマウントポジションで殴ったヤツだった。

 何やら叫びながら胸元へと手を伸ばすのを見て、明らかに体格が違うと思った。危ないと思ったけど、リューナを助けられなかった僕が、このオッサンに何かできるわけがない。悔しいけど、黙って見ているしかなかった。

 ところが、信じられないことが起こった。掴みかかった方が、泥水のしぶきを上げてその場に転がったのだ。

 他の男たちも怒りに火がついたのか、テヒブとかいうこのオッサンめがけて次々に突進していった。でも、数人がかりでまとめてかかっても、結果は同じだった。手を触れる前にひとり残らず投げ飛ばされ、さっきの僕みたいに道の上で泥だらけになる。

 ネット上の動画で見た、柔道や合気道の模範演技みたいだった。 

 ……めちゃくちゃカッコいい。

 道理で、女たちが止めたわけだ。弱い年長者への暴力をやめさせようとしたんじゃなくて、最初からかなわないことを知っていたんだろう。返り討ちに遭った連中がバカだったのだ。

 男たちを薙ぎ倒したテヒブさんは、ゆっくりと歩み寄ってきた。みっともない話、立つと足が笑いそうでずっと尻餅をついたままだった僕は、しがみつくリューナをかばうこともできないで、目の前で起こることを眺めているしかなかったのだった。

 テヒブさんは手を差し伸べるや、ひょうきんにニカッと笑った。リューナの方を振り向くと、首を左右に振った。

 ……え? ダメってこと?

 それにしては、このオッサンはやけに親し気な顔つきで、更に手を突き出してくる。リューナは、さらに激しく首を横に振った。

 手を取ればいいのか、それとも他に何かすればいいのか困っていると、女たちがなにかヒソヒソやる声が聞こえてきた。

 ……何がまずいんだろう?

 どうすることもできずにきょろきょろしていると、リューナはとうとう諦めたのか、首を振るのをやめてがっくりとうなだれた。

 オバサンたちがなんだか喚いているが、そんなものは相手にもせず、テヒブさんは手を差し伸べたまま、じっと僕を見つめている。

 僕はリューナのリアクションに頼るのをやめた。言葉が分からない上に、意味の分からないサインに頼っていても仕方がない。だったら、自分の意思で動くしかないじゃないか。

 立ち上がることこそできなかったが、テヒブさんの手を取ることはできた。力強い腕が、僕の身体を泥水から引き上げる。僕の背中でリューナが首をやたらと振るので、文句あるかという気持ちで振り向いてみると、嬉しそうに笑っていた。どうやら、首を横に振るのは積極的OKの意味だったらしい。

 テヒブさんは何も言わず、男たちを置いて歩き出した。この人ならこのままついていけばいいと判断して、僕は黙って後に続いた。リューナが僕を追い抜いて、テヒブさんの隣に付いた。リューナの耳を撫でる仕草を見てドキっとしたが、別にいやらしい雰囲気じゃない。大人が小さな子供をかわいがる時の仕草に近いものがあった。きっと、僕たちの世界では頭を撫でるくらいのことなんだろう。

 よろよろと立ち上がる男たちを見下ろしながら追い越していくのは、結構な優越感だった。

 ……ざまあみろ。

 でも、こいつらはテヒブさんに負けたんであって、僕が勝ったわけじゃない。リューナを守ったのも、僕じゃないってことだ。

 そう思うと、仲良く並んで歩くリューナやテヒブさんの背中をまともに見ることはできなかった。

 でも、思わずうなだれたとき、またしても僕の眼には地面に書かれた日本語が飛び込んできた。

 〈真実を伝えるには、ことばしかありません〉

 確かに、その通りだ。

 テヒブさんへのさっきの態度からすると、男たちのせいで僕とリューナは女たちから何か誤解されてしまったらしい。テヒブさんは細かい事情を知らないわけだから、リューナをかばってやれるのは僕だけだ。

 何とかして、この世界の言葉を覚えなくちゃいけない。

 ……どうやって?

 言葉を話せる味方は、僕の眼の前にしかいなかった。

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