第106話 守護天使と幼子

 俺としてはものすごく心の痛むことだったが、方法は1つしかなかった。

 子どもをモブに使うのだ。判断力のない子どもを使って何かをさせるというのは、人間としてやっちゃいけないことのひとつだというモラルは、俺にもある。

 だが、そんな場合じゃなかった。なぜだか分からないが、村の反対側にある水車小屋の辺りから動こうとしないシャント…山藤を連れてくる方法は他にない。

 この異世界で、俺が自由に動かせるのはモブしかいないのだ。

 ……悪い! 助けてくれ!

 子どものひとりにマーカーを置くと、簡単に動かすことができた。囚われの家族を呆然と見ていた小さな男の子だ。

 とことこと歩き出すところを、年長の少年が見咎める。

《おい、どこ行くんだ!》

 小声で呼び止めても、男の子は歩き続ける。とうとう、面倒見のよさそうな女の子がひとり駆けだして、抱き上げようとした。

 だが、それを見て呆気にとられている子どもはまだいる。俺のマーカーはそこへ移った。さっきの男の子よりは身体が大きい坊やだったので、まだ速く動かすことができた。

《待てよ!》

 年長の少年が、それを追いかける。追いついたときには、また別の子どもが俺のマーカーで動いている。リーダー格らしいこの少年は、棒立ちになって仲間たちに囁いた。

《なんかいる! なんかいるぞ!》

 子どもには妖精が見えるというが、この場合は守護天使の存在に気付いたというべきだろう。さっきの女の子も呆然として、小さな男の子を下ろした。

 もちろん、この子には何が起こっているのかさっぱり分かっていないだろう。残酷なやり方だとは思ったが、俺はそれを利用させてもらった。

 マーカーを据えられた小さな男の子が再び動き出すと、女の子がまた抱き上げようとする。それを少年が止めた。

《やめとけ! それ、なんかやばい!》

 幼い子どもだけに、まるで何かに操られているかのような状態は神懸って見えることだろう。俺が計算したのは、そこだ。

 俺の操る小さなモブに導かれるようにして、子どもたちは大人たちの戦場を離れた。その向かう先は、村外れの水車小屋だ。

 暗い夜道をまっすぐに歩く幼子を畏れるかのように、子どもたちはその後ろに、一定の距離を置いて続いた。

 一言もしゃべらない。何かが憑りついたかのように歩く幼子を見つめながら、身体を寄せ合うようにして後を追う。

 やがて、川の流れる音が聞こえてきたころ、遠くにぼんやりとした光が見えた。

そこに映し出されているのは、小柄な男の影だ。

 ただし、立ってはいない。

 ……山藤オマエ何してる!

 寝ている場合じゃないと思ったが、力尽きて倒れているのだ。動いてくれないと、リューナは救い出せない。面白くないことだが、その点で俺とこいつの目的は一致していた。

 子どもを使って起こすしかない。俺は幼子を橋に近づけた。

 怪しげなものがあると、子どもは近づいたり触ったりしようとするものだ。そして、グェイブを放り出して寝転がっている山藤は、明らかに怪しい。突っついたり触ったり蹴ったり、いろいろやるはずだ。

 一番危険なのは、グェイブに触らせることだ。大人たちは、うかつにそれをやって衝撃で吹き飛ばされた。子どもたちを同じ目に遭わせるわけにはいかない。

 ……子どもだからなあ。

 行き倒れの山藤よりも、グェイブのほうが子どもの興味を引くのは間違いない。俺は橋を前にして考え込んだ。

 だが、その解決は山藤がつけてくれた。

 シャントは、グェイブを杖にして立ち上がったのだ。

 ……助かった。

 あとは、子どもを追いかけさせればいい。幼子が村外れを目指せば、他の子どももついてくるだろう。いくら山藤が鈍くても、この状況の異様さには後を追うはずだ。

 そう考えた俺だったが、読みは外れた。シャント…山藤は、グェイブを抱えて水車小屋の影に隠れてしまったのだった。

 ……何やってる山藤!

 腹の中で何度目かの悪態をつきながら、視点を水車小屋の上に移動してみる。何のことはない、壁際に顔を突き出して、子どもたちの様子を伺っている。

 ……どこまで気が小さいんだよ。

 だが、その動作を見て、俺はちょっと焦った。グェイブを身体のそばに引き寄せて、身構えたのだ。このままでは、子どもに橋を渡らせても怪我をさせるだけだ。

 シャント…山藤は待ち伏せをすることにしたのか、水車小屋の壁に背中を寄せてグェイブを振り上げる。いつでも叩きつけられるようにというんだろう。

 そんなことをさせるわけにはいかない。俺は橋の前で幼子を止めた。子どもたちも止まる。

 冷たい音を立てる夜の川を前にして、幼子の後ろに立つ子どもたちは呆然と橋の向こうを見つめている。

 やがて、リーダー格がこわごわとつぶやいた。

《どうしたんだ……何があったんだ?》

 女の子はそれに答えた。

《わかんない》

 目では幼子を見たまま、そちらに問いかける。

《……ねえ、どしたの?》

 もちろん、俺に操れていては幼子も答えようがない。じっと見つめているかのような先には、グェイブの放つ鈍い光がある。

 リーダー格が言った。

《お化け……かな?》

 女の子が、急にはしゃぎだす。

《妖精かもしれない! 光るっていうし》

 リーダーとは別の男の子が言った。

《そうだね、小さい子にしか見えないっていうし》 

 すると、リーダー格はそれなりに慎重な反応を見せた。

《じゃあ、どうして今、俺たちには見えるんだろう?》

 女の子がすぐさま答えた。

《私たちにも姿を見せてくれたのよ!》

 いささかご都合主義と言えなくもないが、夢見る女の子というのは、どこの世界でもこんなものかもしれない。

 その勢いに呑まれたのか、リーダー格は考え込んだ。

《そうかなあ……》

 山藤は、どっちでもない。俺としては、迷って立ち止まってもらっては困るのだ。こいつを水車小屋の向こうから引っ張り出して橋を渡らせてもらわないことには、リューナを救い出すことはできない。

 やむをえない。

 俺は甚だ胸が痛んだが、幼子を動かして橋を渡らせた。女の子が気づいて叫ぶ。

《あ! あの子!》

 はっと我に返ったリーダーが飛び出して、幼子を捕まえようとする。ここで止められては、山藤をおびき出すことなどできない。危険がないと分かれば、子どもを連れて親元へ戻そうという知恵ぐらいは働くだろう。

 俺は幼子を動かして、リーダー格の少年をかわした。女の子が、橋の上へと駆け出す。

《何してるの!》

 その言葉は、少年と幼子のどちらに向けられたものかは分からない。よほど焦っていたのか、少年の脇をすり抜けようとする。

 それが良くなかった。暗いところで橋の縁すれすれを走ったせいだろう、足を滑らせたのだ。

 少年が手を伸ばす。

《危ない!》

 あっと叫ぶ女の子を抱き寄せた少年は動揺したのか、慌てて身体を引き剥がした。

《ご……ごめん》

《あ、あの……ありがと》

 俺は思わず、モブの幼子を操作するのを忘れた。

 ……子どもが何ラブコメやってんだよ。

 そうツッコまないではいられないベタな状況ではあったが、それはそれで微笑ましくもあった。

 だが、こういうのを見て冷やかすガキはどこにでもいる。ついてきていた男の子たちが冷やかした。

《や~い、女とひっついてやんの!》

《女房にすんのか、女房にすんのか?》

 女の子が、真っ赤になっているのが闇夜にも分かるほど、恥ずかしそうにうつむいた。

《ちょ、ちょっと、やめてよ……》

 少年も、女の子を突きのけるようにして前に出た。

《そ、そんなんじゃねえよ、やめろ!》

 この年頃の少年の例に漏れず、相当うろたえていたようだった。それは女の子も同じことだった。

《バカ!》

 男の子をその場に置いたまま、橋のたもとへ駆け戻る。残されたほうも慌てるあまり、足下がどうなっているか、気にもならなかったらしい。

 ……まずい!

 そうは思ったが、操っているモブが幼子ではどうしようもなかった。

「アアアアア!」 

 橋の向こうで悲鳴が上がった。冷やかしていた連中も、事の重大さに気付いたらしい。

 少年は橋の縁を踏み外して、小さいとはいえ凄まじい速さの流れが音をたてる中へと落ちていったのである。

 俺は子どもたちが現場へと駆け寄るのを見て、幼子を橋の上へと戻した。こうしないと、事態がどうなっているのか近くで見られない。

 もっとも、見られたってどうすることもできないが。

 唯一それができるヤツは、この大変な時に水車小屋の影に隠れて、子どもを張り倒そうと得物を振り上げている。

 ……何やってんだホントに山藤は!

 少年は、何とか橋の縁に掴まっている。だが、そこまで近づいた俺のモブは、いきなり抱き上げられた。

《グェイブ!》 

 幼子を抱えた女の子が叫んだのは、テヒブが残した長柄の武器の名前だった。その方向へ視点を動かしてみると、水車小屋の陰から顔を覗かせたシャント…山藤がこっちを覗いている。

《……グェイブ?》

《グェイブ! グェイブ!》

 同じ言葉を口にするのが聞こえてくる。そっちに目を転じると、子どもたちが橋を渡ってくる。

 どういうことかと考えて、はたと思い当たった。

 ……山藤をアテにしてる。

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