第105話 プレイヤー、水車小屋の前で恐怖に怯える
すっかり暗くなって、道もそうでないところも分からなくなってきた。頼りになるのは足元を照らすグェイブのぼんやりした光だけだ。
どのくらい歩いたか、全然分からない。もうクタクタに疲れ切ったころ、水の音が近づいてきて、僕の背中が寒くなってきた。
……風邪でもひいたかな?
そうかもしれない。足も重くなってきた。でも、負けるわけにはいかなかった。
リューナは、絶対にどこかへ連れて行かれている。こっちにいないんなら、反対側の壁の方かもしれない。
……でも、そっちはよけいに吸血鬼ヴォクス男爵がやってくる方に近いはずだ。
あの壁は、吸血鬼がコウモリや霧に変身できることを知らないで、村人が道をふさいで誰も外から入って来られないように作ったものだからだ。
他に心当たりがないから、歩くしかなかった。水の音がどんどん大きくなってくると、足も動かなくなってきた。
それでも一生懸命歩いていると、何かぎいぎい言う音が聞こえてくる。
……水車小屋?
やっと山道から抜けられる。僕はその音を頼りに歩き続けた。
どうにか水車小屋の前にたどりつきはしたけど、僕はそこから動けなかった。
水の音がすぐそこで聞こえるから、たぶん、そこには橋がある。渡れば村にはいれるんだけど、どうにも身体がすくんで仕方がなかった。歩き出そうとしても、つい身体が逃げてしまう。
水車小屋の前で後ずさりながら、ひとつ思いついたことがあった。
……ケルピーの呪い?
いちど自分を乗りこなした相手を、ケルピーは許さないという。今、川を渡れないのがそれなんだろうか。
水車小屋のそばの小川を渡ろうと思うんだけど、怖くてできない。渡ろうとしたところで、川から飛び出してきたケルピーが食いついてくるかもしれないのだ。
真っ暗なところでどのくらい立ち往生してたか分からない。いいかげん疲れてきて、僕はその場にへたり込んだ。
グェイブがぼんやり照らすの光の中で、小川がさあっと流れる音だけが聞こえる。
……でも、リューナを助けなくちゃ。
頭ではそう思っていても、身体が動かない。怖いのと、疲れたので、もうどうにもならないのだった。
どのくらいの間、そうしていたか分からない。いつの間にか地面で横になっていたのに気付いたとき、グェイブの光の向こうに何か動いているのが分かった。
……ケルピー?
違う。橋の向こうにいる。人間みたいだった。
いや、ヒューマノイドのモンスターかもしれない。ゴブリンとか。
僕はグェイブを杖にして立ち上がると、水車小屋の影に隠れた。臆病かもしれないけど、今の僕には戦う力なんかなかった。いや、あっても複数のモンスターなんか無理だし、コウモリは偶然に斬れても、ああいう生身っぽいものはどうもダメだ。
顔だけ出してみると、なんか橋の向こうに何体か近づいてくるのが見える。やっぱり無理だ。生身のモンスターを刃物で斬ったり突き刺したり、しかもいくつもなんて、気色悪いし、怖いし、できない。
……でも、何もしなかったらこいつらに食われちゃうんだよな。
僕は仕方なくグェイブを構えた。どうやったら勝てるのか、見当もつかない。このまま気付かないで行ってしまえばいいんだけど、ダンジョンやなんかの中に住んでいるゴブリンは、こんな暗いとこ何でもないだろうし、どうしたってグェイブの光は目立つ。見つかって当然だ。
……そんなら、やるしかない!
僕は水車小屋の壁に背中を寄せて、待ち伏せをすることにした。グェイブを振り上げて、いつでも叩きつけられるようにする。
光に気が付いたら、ゴブリンはこっちへやって来るだろう。グェイブが届くところまでのこのこやってきたら、一気に振り下ろせばいい。当たるかどうかも、斬れるかどうかも分からないけど、黙って待っているのはもう、かなりしんどい。
だけど、全然来なかった。
……いい加減にしろ、疲れるだろ!
正直、もうクタクタだった。このまま戦ったら、たとえ相手がただのゴブリンでも、疲れで倒れてしまうかもしれない。そうなったら、殺されて食われておしまいだ。
……そんなのは、ごめんだ。
僕は足がふらつくのを何とかこらえて、水車小屋の陰から外へ出た。このまま待って体力を使い果たすよりは、まだ動けるうちにグェイブを振り回してゴブリンどもを追っ払ったほうがいい。
……来るなら来い!
きっと僕を取り囲んでくるだろうと思ったけど、もうやぶれかぶれだ。暗い所でもよく見えるように、足を踏ん張って腕を大きく広げた。
でも、餌食を見つけたゴブリンたちがキイキイ言いながら突進してくることはなかった。橋の向こうからは確かに声が聞こえるけど、キイキイというよりはキャアキャアという感じだ。
……子ども?
幼稚園と保育園とか公園で騒いでいる声に近い。よく分からないのは、こんなに暗くなってから出歩いていることだ。
僕が小さい頃なんか友達のところでゲームやってて、ついうっかり日が暮れてから帰ろうもんなら、自分のゲーム機を親に破壊されても文句は言えなかった。
だから僕はよそん家には行かなくなって、ネトゲをやるようになったのだ。
……でも、今よりマシだ。
ネトゲの世界で無双するのとはわけが違う。橋の向こうに渡るのも怖いんだから。
心底、帰りたくなったけど、もうそんなわけにはいかない。
……リューナ!
放って帰るわけにはいかなかった。じゃあ帰れるかどうかっていうと、帰る方法わかんないんだけど。帰れないんなら放っておいちゃいけないし。
……帰れたって、放っておくもんか!
だったら、まず、この橋を渡らなくちゃいけない。でも、やっぱりケルピーが怖かった。
……根性ないな、僕。
いい加減、自分で自分が嫌になったときだった。
「アアアアア!」
橋の向こうで悲鳴が上がった。はっと見れば、子どもが橋から落ちそうになっている。
橋のへりに手をかけて必死でつかまっているのが、グェイブの放つぼんやりした光の中でも分かった。その足元には、小さくても深く、流れのはやい川がある。
その子がぶら下がっている橋のたもとでは、他の子どもたちが右往左往している。
……どうする?
考えるまでもなかった。ケルピーがいたら、確実にいいエサだ。
それは分かっていたけど、やっぱり足がすくんで動かなかった。子どもがどんな目に遭うか想像するのも怖かったし、そう思うとよけいに、さっき溺れかかったときのことが頭に浮かんできたのだ。
もたもたしているうちに、子どもたちは僕に気付いたらしい。
「グェイブ!」
テヒブさんの武器だったのが、いつの間にか僕のものってことになっているみたいだった。嬉しくはあったけど、心からは喜べなかった。
そのテヒブさんも、生きているのか死んでいるのか分からなかったからだ。あの崖っぷちの洞窟の様子だと、生きているような気もするけど。
それならそれで、僕が持っていちゃいけない。だいたい、使いこなせていないんだから。
でも、そんなことを考えてる暇はなかった。
子どもたちが橋を渡ってくる。川の中に落ちかかっている友達を助けようとしてるんだろう。僕も行こうと思ったけど、何か胸騒ぎがして、足が止まった。
どこかで聞いたような音がしたのだ。
それはついさっきのことで、と言っても昼過ぎのことだけど、どうも思いだせない。何となく分かってるんだけど、考えたくない。
川の流れの音が速くなる。忘れたいことが、頭の中でだんだん形を取ってくる。
それが何だかわかる前に、僕の身体は駆け出していた。
何人がかりかで、橋のへりから友達を助け出そうとしている子供たちがいる。それを放っては置けなかった。
……来る!
冷たい水しぶきを上げて、川の中からケルピーが跳ね上がった。それと同時に、足もとの子どもたちが叫ぶ。
「グェイブ!」
僕は無我夢中で、テヒブさんが託してくれたポール・ウェポンを薙ぎ払った。目の前には、下半身が魚の尻尾になっている馬が、前足を上げて腹を見せている。
……当たった!
……ような気がする。
また水しぶきが上がった瞬間、子どもたちは友達を橋へと引きずり上げた。
それからしばらくして、僕はすっかり疲れ切って歩くこともできない子どもを抱えて、田舎の道をとぼとぼ歩いていた。
道端で泣く子供もいれば、うずくまってしまう子どももいる。
家がどこかも分からないし、置いていけば、またどんな目に遭うかもわからない。
仕方なく連れて歩いていると、遠くに何か光るものが見えてきた。子どもが僕を見ながら、そっちを指差す。
「……リューナ!」
その先では、何かの光がこっちに向かって差し込んでいる。
まず、子どもはリューナがそっちにいると伝えたかったのだろう。でも、僕はあの光が何なのか気になって仕方がなかった。
いや、そんなんじゃない、もっと明るい。いったい、何が起こってるんだろうか?
壁のある方角だということは分かる。僕は小さな子どもを抱えたまま、ついてくる足の速さに慌てて先を急いだ。
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