第19話 姫君の守護天使的恋愛講座

 放課後のバス停に俺たちが立った頃には、雪はまた本降りになっていた。

 当然のように寄り添ってくる沙羅は、スマホの画面を見ながら唐突に尋ねた。

「吸血鬼が苦手なものって、知ってる?」

 俺も山藤……シャント・コウをモニターしながら、聞きかじりで覚えていることを適当に答える。

「ニンニクと十字架と、太陽の光と……」

 傾いた日の差し込む部屋の床には、大きく「井」の形に格子の影が映っている。その傍らに座り込んだシャント・コウは、まだ壁を叩き続けていた。画面を親指と人差し指で弾いて拡大してみると、壁を見つめるその顔には笑みさえ浮かんでいる。

 同じものを見ているはずなのに、何を仕掛けてくるか分からない沙羅のスマホが気になった。ちらりと眺めたのに気づいたらしく、コートの胸ポケットの中にしまいこむ。慌てて目をそらすと何事もなかったかのように、俺の知識の乏しさをさりげなく指摘した。

「最初のドラキュラ映画だと、夕日を眺めてたわよ」

 俺はムッとして問答を打ち切った。

「あとは知らん」

 そう言ってしまってから、俺は沙羅がヒントをくれたのかもしれないと考え直した。つまり、弱点だと思っていると返り討ちに遭うということだ。シャント・コウ……ファンタジーRPGオタクの山藤が、そんなクラシック映画までカバーしているかどうか。

 そこまで気づかせてくれるとは思わなかった。意外な気遣いに、ちょっと素っ気なかったかと思って顔色をうかがうと、沙羅はもう俺を横目で見てにやにや笑っている。

「じゃあ、山藤君に口を割らせるしかないわね」

「そりゃ、シャント・コウの独り言でもあれば」

 あまり不愛想なのもよくないと思いながらも俺の返事が途切れたのは、別に悪意があったからではない。ただ単に、気が付いたら目の前にバスが来ていただけの話だ。

 ぷしゅうと開くドアのトロさがもどかしく、そそくさとタラップを踏む背中から、まるで俺を励ますかのような声が聞こえた。

「そうね、山藤君……シャント・コウ次第よね」

 振り向くと、細かな雪のふりしきる中で沙羅の笑顔で手を振っていた。それから目を離せないまま、走りだしたバスの中でガラガラの席を探して歩いているうちに、足がもつれて転びそうになった。

 バスの運転が荒かったせいもあるが、バスの熱で溶けた雪が貼りつく窓の向こうに、あまり面白くない光景を見てしまったからである。

 マフラーに顔を埋めて歩き出す沙羅の姿が遠ざかっていく。その後ろから何人かの男子生徒が駆け寄って、傘を差しかけていた。


 その晩を、俺はなぜか悶々とした気持ちで過ごした。

 どうも、よくない。クラスのどいつもこいつも異世界に転生してしまったという秘密を共有しているのは、沙羅だけだ。その沙羅に全くの部外者が接触してくるというのは、どうにも受け入れがたかった。それは、異世界転生の毒牙にかかる犠牲者を増やしたくないという理屈を超えた感情だった。

 それだけに、寝る前にスマホをチェックするときも俺はムキになっていた。これまでは、なんだかんだ言って山藤……シャント・コウを心配して思いっきり夜更かしをしてしまっていたのだが、今日は敢えて自己管理を意識した。

 これは、沙羅との勝負なのだ。今まではどうでもいいと思っていたクラスの連中を異世界から救い出すためには、熱くなった頭を冷やす必要がある。フルタイムで構ってなんかいられない。そこはけじめってものだ。

 そう自分に言い聞かせて、俺はスマホ画面に見入った。

 あくまでも、モニター。無事をチェックするだけだ。



《リューナ! 待ってろ、今行く!》 

 音量は最低限に落としていたが、山藤……シャントの声は力強く聞こえていた。

 全然、無事じゃなかった。

 何があったのか、監禁されていたはずのシャントは部屋の外にいた。暗闇の中で起こっていることでも分かるように画像処理された画面で見る限り、階段ぎわの廊下らしい。

 ステータスを確認してみる。


生命力…7

精神力…6

身体…5

賢さ…8

頑丈さ…4

身軽さ…5

格好よさ…4

辛抱強さ…3

階級…謎のよそ者


 かなり回復しているが、もともと弱々しくて根性なしなのはどうしようもない。

 だが、そのシャントが手すりぎりぎりまで下がり、二度、三度と肩で扉に体当たりしているのが意外だった。文化祭で、文句ばかり言って何もしなかった山藤とはとても思えない。

 そこへ2人の男が、それぞれカギとランタンを持ってきた。明かりがもたらされたところで、シャントは屈んでカギを開けた男を強引に押しのけて、扉を開ける。授業中はいつも寝ているネトゲ廃人のすることとはとても思えなかった。

 そのとき、人外の金切り声が聞こえた。

 ランタンの光が照らす部屋の中には、着衣の乱れたリューナひとりがぺたりと座り込んでいる。そこへ踏み込んだ男たちは、何やら探してうろうろした挙句、廊下のシャントに詰め寄った。

《何にもねえじゃねえか!》

《こんな夜中に起こしやがって!》

 シャントは弁解する。

《霧だ! 霧になって入ったんだよ!》

 吸血鬼が、ということだろうけど、それは知らなかった。そこはファンタジー系RPGオタクの面目躍如といったところか。でも、相手に通じなければ意味がない。

《夢でも見たんじゃねえか、いい加減にしろ!》

 シャントが悪夢にうなされて騒いだことにした男は、まだ怒りが収まらないのか、暗い部屋の中に向き直った。

《お前もか……》

 リューナの腕を掴み上げたのは、騒ぎの原因だと思ったからだろう。だが、シャントはそれを放ってはおかなかった。

《やめろ!》

 部屋の中に駆け込むと、後ろから力任せに殴られて倒れる。その間、リューナを床に放り出され、男に罵声を浴びせられていた。

《何でもないなら騒ぐんじゃねえ!》

 ぐったりとした少女の身体を蹴飛ばそうとして大きく振り上げられる足。それを止めようとしているのか、シャントは床に手を伸ばして這って行った。

「ダメだ!」

 俺は思わず叫んだが、そんなことで助けられるわけがない。男のサンダルがシャント……山藤の横腹を抉った。とても見てはおられず、思わず目を背けた。だが、この苦難を乗り越えた山藤を異世界から連れ戻すためには、見守らなくてはならない。救うチャンスは、必ずあるはずだ。

 手の届かないスマホの画面の中で、シャントは立ち上がった。

 ……そうだ、偉いぞ、山藤!

 もったりと持ち上がった指が、ランタンの光の中に浮かぶ窓枠の十字架を指さす。男たちが一斉にそっちを見たところで、沙羅の言葉が俺の脳裏に蘇った。

(吸血鬼が苦手なものって、知ってる?)

(ニンニクと十字架と、太陽の光と……)

 その中の2つ目がここにあったのを、シャント……オタクの山藤は異世界の住人に知らせようとしていたのだ。

 だが、その次がいけなかった。 

 リューナを指差す。歯を鳴らす。何のことだか、俺にもさっぱり分からない。ここでも、沙羅の言葉がを思い出された。

(言葉とは、それが差すものひとつひとつにあるのではなく、大きな意味のまとまりから、その人が指し示したいものを区別するものだということです)

 たぶん、このジェスチャーはその「区別」ができていないのだ。山藤がそのつもりでも、村人にはそれが伝わっていない。この異世界では、「区別」の仕方が俺たちとは違うのだ。俺と山藤で、指し示すものを「区別」する基準が違うように。

 山藤がシャント・コウとして村人に教えようとしていることを正確に伝えられるのは、この場で1人しかない。

 吸血鬼に襲われたリューナ自身だ。

 それに気づかせるには……。

 沙羅は、こう言っていた。

(都合よく意思が通じれば、山藤君、自信つくと思わない?)

 彼女の思惑通りに事が進めば、それは現実世界の山藤を、魂の抜けた優等生のままにしておくことになる。だが、今はそれでも構わないと思った。

 沙羅の説明によれば、このまま村人の怒りを買ってリンチにかけられ、死んでしまっても別の人物として別のシナリオでコンティニューができることになる。だが、そういう問題じゃない。

 目の前で危険にさらされている罪もない顔見知りを、放っておくわけにはいかない。しかも、シャント・コウこと山藤は、生死の境目にいることに気付くことなく、両手をふわふわさせて踊っている。

 ……何やってんだ、お前は!

 だが、その今がチャンスだった。男のひとりをタップして、倒れているリューナと、扉に向かって歩くシャントの間に運ぶ。男たちがシャントのタコ踊りを呆気にとられて見ている隙に、俺はコントロール下に置いたモブの手で、床にこう書いた。

〈あなたの味方を頼りなさい〉

 問題はシャントをここにどうやって導くかということだが、方法はもう決まっていた。

 いずれ、シャントは男たちの誰かの怒りを買って殴られる。その時、このモブ男をここに立たせたままでいれば、殴るほうは仲間にぶつけまいとして、シャントをその手前に倒すだろう。

 狙いは当たった。足下にシャントが転がったところで、俺はモブを移動させる。残されたメッセージが見えれば、シャントはリューナに何らかの合図を送るはずだ。

 ……ビンゴ!

 男たちがシャントを抱き起して殴ろうとしたとき、リューナが起き上がった。震える腕で身体を支えると、馬小屋での出来事を再現した時のように、襲い掛かる吸血鬼の様子を演じてみせた。

 何ておぞましいヤツが現れたんだと思った。押し倒した相手の首筋を舐め上げた上で、牙を立てるなんて!

 リューナの口に光る2本の犬歯が見えたとき、俺はぞっとした。この娘はもう、吸血鬼になり始めている。男たちが呆然としているシャントにしがみついているのは、誰もがそれに気づいているのを意味していた。

 まずい……ランタンの光は床を照らすばかりで、窓の十字架には当たっていなかった。誰かが気づけばいいのだが、俺にはそのヒントを与える方法がない。

 いや、モブの手をランタンに伸ばせばいい。それを持ち上げるだけで、十字架が闇の中に姿を現すはずだ。沙羅と同じご都合主義でシャント・コウ……山藤を救うことになるが、背に腹は代えられない。

 だが、その必要はなかった。床に手足を突いたリューナが大笑いしたかと思うと、シャントに這い寄っていったのだ。何が何だかさっぱり分からない。

 男たちが逃げ出すと、リューナは床に転がされたシャントを抱きしめる。そのとき、聞き取れないほど微かな山藤の声がして、吹き出しにはこんな文字が並んだ。

「シャント……シャント・コウ」

 何が何だかよく分からなかったが、やるじゃねえかと思って、俺はそこでスマホの電源を切った。その先を見届ける必要はないという気がしたからだ。

 異世界から転生した山藤がシャント・コウとして伝えようとした吸血鬼の弱点はたぶん、村人たちに伝わってはいない。理解されたのは、リューナが再び襲われて、その危機を得体の知れない他所者が知らせたということだ。

 シャントが自分の名前をつぶやかなければならなかったのは分からなかったが、それはもう、どうでもいい。とりあえず、転生者の安全は当面、守られたわけだ。

 だから今夜は、これ以上の干渉はしない。俺は、寝る。

 横になると、心地よい疲れがどっと押し寄せてくる。眠りに身体を委ねた俺だったが、ひとつだけ気になることがあった。

 リューナの部屋の窓格子が、「井」の字じゃなかった理由だ。

 それを考えたとき、沙羅の言葉が耳元で囁いているかのように思い出された。

(吸血鬼が苦手なものって、知ってる?)

(映画だと、夕日を眺めてたわよ)

 それで分かった。あの十字架は、村人がリューナを閉じ込める準備の間に、沙羅が仕掛けておいたのだ。たぶん、モブを使って木材を持ち去らせるかなんかしたんだろう。してやられた、とは思ったが、腹も立たなければ敗北感もなかった。

 

 面白くなかったことといえば、次の朝のことだ。

 教室に入ってみると、相変わらず魂のない品行方正なクラスの連中に紛れて、他クラスの男子が数名、沙羅に群がっていた。気後れしたように見えるのも嫌だったので、敢えて窓際に近寄って行ったら、椅子に掛けた沙羅の方から声をかけてきた。

「あ、八十島君、おはよう!」

 俺に嫉妬の視線を注いだ男子たちそそくさと教室を出ていったのを確かめてから、沙羅に聞いてみた。

「夕べの見たか?」

「見たよ……なかなか隅に置けないね、山藤君」

「何だそれ」

 見直したのはそういうポイントじゃなかったのだが、沙羅はわざとらしいため息をついた。

「分かってないな……だからモテないんだよ」

 窓の外には、前日からの雪が降り続けている。傘を差しかけられた沙羅の姿を思い出して、何だかムカついた。

「関係ないだろ」

 不貞腐れる俺に、保留したままだった問題がつきつけられた。

「何でシャント・コウが名乗ったと思う?」

「どうでもいいだろ、そんなこと」

 山藤が自分から行動を起こしたことの方が俺には大きかったのだが、沙羅は口元でチッチッチと指を振ってみせた。

「声に出さなくても分かったのよ……リューナの名前が、息と唇で」

 そう囁く彼女自身の唇の艶やかさに息を呑むと、椅子に座ったままくるりと向けられた背中から、冷ややかな一言が放たれた。

「あの男子たちを見習ったら、ちょっとはその辺が分かるかな」

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