第39話 ヒーローの自覚を促す一芝居

 ……さて、モブをどう使うか。

 リューナの前でいいとこナシ、すっかり落ち込んでしまったシャント…山藤には、自信と名誉回復のチャンスをくれてやらないと。

 別に俺はこいつを痛めつけようとしてるわけじゃない。異世界転生を生き抜いて、現実世界に帰るほうを選んでくれればそれでいい。

 たぶん、帰る方法はこいつを転生させた沙羅が知ってるんだろう。でも、このまま凹んだままのスネオ君を決め込まれては、現実に帰るどころか、この世界を生き抜くこともままならない。

 俺の選んだモブが黙々と豆を摘んでいるところに、テヒブは小柄な身体でせかせかとやってきて声をかけた。器用なアプリが、異世界の言葉を怪しげな方言に翻訳してくれる。

《あんまり根詰めなくてもええ。明日もあるやろて》

 もうすぐ日が暮れるという焦りもあるんだろう。だが、本当は思うようにならないシャント…山藤が心配で仕方がないのだ。

 そう考えると、実にいい人なわけだが、それだけに山藤ごときに気を遣わせているのが申し訳ない気がした。この人の手を煩わせることなく、山藤をシャント・コウとして立ち直らせてやるのは俺の使命だという気がした。

 要は、リューナの前で出番を作ってやればいいのだ。つまり、こいつでもなんとかなりそうなピンチだ。

 まず、今、ここにテヒブがいるということは、家にはシャント…山藤とリューナの二人きりだ。でも、都合よく地震でも起こらない限り、リューナを守らなければならない事態にはならない。

 夕暮れ時だから、もうちょっと待てば吸血鬼が現れるかもしれないが、そのときはシャント…山藤ではどうにもならない。テヒブがいても撃退できるかどうか。だが、まだ起るかどうかも分からないことは考えても仕方がない。

 とりあえずは、テヒブがいないうちにこのモブを使って、山藤でも解決できることでシャントを活躍させてやればいい。

 ……何だ、簡単じゃないか。

 俺はテヒブが通り過ぎるのを待って、モブを移動させた。念のため、収穫を急ぐ他のモブを動かして、その女とテヒブの間に配置する。

 その上で女を向かわせたのは、シャントとリューナのところだ。テヒブとの間を隔てるモブは何人もいるので、その陰に隠れて動かせば気づかれないだろうと思ったのだが、そこは甘かった。

《おい、帰るにはまだ早いぞ》

 無理をしなくてもいいとはいえ、時間いっぱい働かなくてはならないのは異世界も現実もそんなに変わらないらしい。サボリを咎めて振り返ったテヒブは、現場を放棄した女がどこへ向かっているか気付いたようだった。

《そっちへ何しに行く》

 間の何人かをすり抜けようとするのを、マーカーを動かして他のモブで通せんぼする。テヒブの家に向かう女は、はっと我に返ったように辺りを見渡すと、畑にもどった。俺に動かされていても、テヒブが呼び止める声は聞こえていたのだろう。

 ……まずい。

 動かす駒がなくなってしまって慌てた。

 テヒブを留めているモブから一番近い、他の女を動かす。足はそんなに速くないようで、移動がけっこうもたついて焦った。それでも、何とかさっきよりも距離を稼ぐことができた。

 だが、テヒブのフットワークは意外に軽かった。何が起こったのか分からずにうろたえている女たちは邪魔になるはずなのだが、俺の思惑に反して、テヒブはその間をあっさりと駆け抜けてしまった。

 考えてみれば、昼間にリューナを売女呼ばわりして罵り倒した女たちだ。家で彼女に何をされるか分からないと思ったんだろう。テヒブは俺の動かした女に追いすがると首根っこを掴んで、ものすごい剣幕で怒鳴りつけた。

《リューナをどうする気だ!》

 捕まった女はおろおろと答える。

《あの……あたいは……》

 自分でも何でそこにいるのかは分からないだろう。俺は既に、マーカーを畑にいる別の女に移して、移動を始めていた。それを目ざとく見とがめたテヒブは、大急ぎで駆け戻る。

 だが、その女をテヒブが詰問し始めたときには、もう別のひとりが動き出し、やがて同じように止められた。

《おめえら……いったい、どういう……》

 畑の土の上に息を切らしてへたりこんだテヒブを、女たちはおそるおそる遠巻きにして眺めた。

 無理もない。女たちにしてみれば、テヒブの行く手を遮った覚えなどないのだ。何やら急にいきり立った老人に、一方的に追いかけ回されたように思えたことだろう。

 村では一目置かれていたらしいテヒブには悪いが、ここは哀れなネトゲ廃人を更生して現実世界へ戻すために泣いてもらうしかない。

 最初に俺が動かした女だけが、何が起こったのかまだ呑み込めないでおろおろしていた。テヒブの家へ向かわせるなら、このモブだ。他の女たちからも離れているから、この場を去っても目立つことはないだろう。

 頭の上にマーカーを置いて女を移動させていると、テヒブの家の窓からリューナがこちらを見ているのが分かった。怯えたように身を隠したのは、昼間に見た女たちの豹変ぶりを考えれば仕方がない。

 ……いや、利用させてもらうか。

 俺もずいぶんスマホ上の操作に慣れてきたもので、女は家の戸を引き開けるなり、戸口にあったホウキを引っつかんだ。後ずさるリューナに迫ると、シャントは身体をすくめて部屋の隅に逃げた。

 本当に根性なしやな、コイツは! あとでステータスを見てやろう。キャラクタークラスに何て書いてあるだろうか。

 むしろ、ささやかながら抵抗したのはリューナのほうだった。俺の操る女に壁際へと追い詰められながらも、テーブルに置きっぱなしだったハタキを手に取って身構える。

 ……何やってんだ、山藤!

 本当にリューナを傷つける気なら、台所に見えていた包丁を使っている。敢えてホウキを選んだのは、万が一の事故を避けるためだ。怯えて逃げるほどのこともない。

 逃げられては困るのだ。リューナをどうこうする気もない上に、ホウキ対ハタキでは、ドツキ漫才にしかならない。いくら何でも、山藤…シャントが割って入るほどのピンチにはならない。

 ……戦えよ! 怪我しない程度に!

 俺はホウキで床を叩いてみた。リューナはへっぴり腰で両手に掴んだハタキを突き出しながら、身体を強張らせて再び退く。

 だが、それがよくなかった。その一歩で壁際に追い詰められて、窮地に陥る。それはリューナだけではなく、俺も同じことだった。

 ……次の手がない。

 これで武器を振るう刺客を使っているなら、たとえ山藤への脅しであっても、リューナにとどめの一撃を加えるところだろう。だが、そこらのオバサンのホウキでは緊迫感のかけらもない。こんなところへ死に物狂いで止めに入ったら、ただのバカである。

 だが、山藤はそっちの人間のようだった。

《……やめろ!》 

 リューナをかばって女の前に立ちはだかる山藤…シャントの肩は大きく上下していた。それなりに、勇気をふりしぼったのだろう。荒い息をついているのは、恐怖と闘っているからだろう。

 ……まあ、合格点をやるか。

 ここで退いてやれば、山藤のメンツも立つし、自信もつくだろう。どうにか、目的は達したわけだ。あとは言葉を学ぶのも吸血鬼と戦うのも、自分で解決するのを見守ればいい。

 そう思って女を家の外に出そうとしたとき、俺はシャントの手に光るものに気付いた。

 ……包丁?

 リューナが台所に置き忘れていたものだ。いつの間に掴んだのか知らないが、ホウキとハタキの喧嘩に、それはやりすぎだろう。試しに画面を拡大して、シャント…山藤の目つきを確かめてみると、完全に目が座っていた。

 キレたオタクに刃物とは、最悪の組み合わせだ。引っ張ってきた女をさっさと逃がすに越したことはないが、追ってきたらどうしようかと心配になった。

 これをかわすには、シャントと女の間に入れるのに、最低もう1人は必要だ。

 ……いったい、誰を?

 考えている場合じゃないのに、考えを出さなければ人死にが出るかもしれない。平凡に、平穏に生きてきた俺の手に余る事態に手も足も出ず途方に暮れていた、その時だった。

 戸口から駆けこんできた者がいた。途中で斜めに跳んで、テーブルを足場にまた高く飛び上がる。再び着地したときには、俺を(つまり、村の女)を背にして、刃物を手にしたシャント・コウと向き合っていた。

《逃げろ》

 俺の動かすモブに囁きながらその手に構えているのは、先端に反りを撃った刃物のついた何やら長い棒のようなものだ。

 何が何だか分からなかったが、テヒブがシャント…山藤を止めてくれていることだけは間違いなかった。

 ……恩に着ます!

 そんな恩は絶対に返せないだろうと思いながら、俺の頭の中で深々と一礼した。三角錐マーカーのついたモブ女を、なるべく不自然のないようにドラッグして動かして、外へ出す。

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