第24話 守護天使、図書館の攻防
俺は図書館へ向かった。教室では沙羅が正体を知られることなく、他クラスの男子生徒を侍らせていることだろう。それを思うと、昼休み一杯、書棚の陰で過ごすほうがまだマシだった。あそこは、静かでいい。誰にも邪魔されないで時間を潰すことができる。立ち通しでいるのがきついだけだ。
図書館の引き戸を開けると、カウンターには見覚えのある人影があった。
……あれ? こいつ確か異世界にいるはずじゃあ?
そう思ってよく見ると、やっぱり山藤だった。行儀よく背筋を伸ばして、本を受け取る図書館司書のオバサンをまっすぐに見つめて頭を下げる。
本人はここにいるんだっけ、と気が付いた俺は何の気なしに声をかけていた。
「何しに来たんだ?」
考えてみれば、おかしな問いかけだった。図書館でやることは本の閲覧を除けば、周囲の目を気にしてのひそひそ話くらいしかない。山藤の場合は例外のほうがありえないのだから、敢えて聞くこともないのだった。
それなのにこう言ってしまったのは、異世界にいるはずの本人がここに帰ってきたような勘違いをしてしまったからだ。
声をかけられた山藤は振り向いたが、その身のこなしは、普段からは想像もつかないほどしなやかだった。
何でもないといえば何でもない動作だが、異世界転生する前の山藤は、こんなことでも足をもたつかせていたのだ。たいした進歩というか、変化というか成長というか、このまま帰ってこないほうが本体は幸せに暮らせるはずだ。
もっとも、それじゃ全く意味がないんだが。言葉も習慣も違う異世界のあちこちで、本人は差別されたり、人間関係の衝突に苦しんだりすることだろう。
山藤の本体は、抑揚の少ない声で淡々と答えた。
「今日が返却期限なんだ」
司書が、山藤の返した本をカウンターの奥の棚にしまいこんでいる。その背表紙を見ると、どうやらファンタジー系の本のようだった。
「で? 今度は」
魂の抜けた山藤の本体が本人と同じ趣味を持っているかどうか、そんなことは俺にとってどうでもいいことのはずだった。それなのに、どうしても異世界の山藤と話しているような気がして仕方がない。
答える声は、ネトゲ廃人とは思えないほどしっかりしていた。
「もう来ない。勉強遅れてるし」
言い切るなり、山藤はさっさと図書館を出ていった。あまりに堂々としたその態度にしばらく呆然と突っ立っていた俺を、司書のオバサンが現実に引き戻してくれた。
「はい、お次は?」
「あ、別に……」
「順番つかえてるんだけど」
声音は優しいが、どこかトゲがある。ちらと後ろを見ると、本を手にした2、3人の女子が並んでいる。もっとも、それほど急いでいるわけではないようで、何やら噂話をしていた。
「知ってる? あの」
「ああ、確か綾見……」
その一言で、一休みすべく本棚の向こうに向かおうとしていた俺の足は、はたと止まった。続く名前を確かめておきたかったのだ。
答える声は、予想通りの名前を告げた。
「綾見沙羅」
なるべくゆっくり歩いて、とりとめのない会話の行き着く先を聞いておくことにする。女子たちは、いささか不機嫌そうな声で沙羅への忌憚のない評価をぶちまけ始めた。
「来て早々何、アレ」
「男漁り激しいよね」
それだけ聞けば充分だった。俺はいつ果てるとも知れない沙羅への悪態を遠く背後に聞きながら、図書館中央に並んだ座席の奥にある本棚へと向かった。
ざまあみろ、綾見沙羅。昔から言うだろ、壁に耳あり障子に目あり、天知る地知る人が知る、って。お前がいい気になってやってることを、同性はちゃんと見てるからな。
そんなことを腹の中で思ったが、何故か胸が痛む。それでも気を取り直した俺は、狭い本棚の間を通り抜けて、図書館の隅っこに立った。
棚には、大型の本が並んでいる。浮世絵の画集や古い地図、城郭の写真集、そういったものに興味を持つ生徒はそんなにいないらしく、ぼんやりとしたダウンライトの下に人影はない。
チャンスだ。
俺はこっそりスマホを見た。
あの悠然と歩み去った優等生は、本来の魂が異世界に去るという、普通に考えたら不幸な事態の賜物だ。オタクの山藤が消えたままなら、今までより遥かにマシな男子高校生が残るわけだ。
だが、そんなのはやっぱりおかしい。放ってはおけない。
とりあえず、身の安全を確かめてやるつもりでスマホの電源を入れた。画面の中に、草の上に寝転がる山藤……シャント・コウの姿が映し出される。かなりふてくされているようだったが、それは本人が悪い。
一応、ステータスを確認する。
生命力…6
精神力…5
身体…4
賢さ…6
頑丈さ…4
身軽さ…6
格好よさ…2
辛抱強さ…1
階級…
辛抱強さ「1」って何だよ! 本当に折れやすいな、お前は!
腹の中でツッコんでいると、さっきの女たちがやってきてシャントを追い立てた。
《何やってんだい!》
《男だろ! 力仕事もできないくせしてさ!》
《いっちょまえにメシは食うくせにさ!》
《ほら、立ちな!》
そこで駆け寄ってきたのは、リューナだった。
シャントのそばにしゃがみこんで、片腕をかざして女たちの手をさえぎったり、両手を宙に掲げてばたばたやったりしてかばう仕草に、女たちの怒りの矛先が変わった。見下ろしたり、同じ目の高さに座り込んだりして、リューナを罵りはじめる。
《甘やかすんじゃないよ》
《いい仲だかなんだか知らないけどさ》
最後の一言を、リューナは慌てて手を振って打ち消した。
ちがいます、そんなんじゃないです、と必死で弁解しているように見えたが、それはあながちシャントのためばかりではないだろう。照れ臭いのか、やっかみが怖いのか。
だが、女たちは容赦なかった。これも嫉妬のひとつなのだろうか。
《色気づいちまってまあ……》
《油断も隙もあったもんじゃない》
《だから餌食になったんだよ》
女たちのひとりがそう言いながら妙なしなを作って自分の首筋を撫でてみせると、他の数名が笑った。うつむくリューナの肩が震えている。涙をこらえているように見えた。
最後の一言は、俺も許せなかった。リューナは、何にも悪くない。不幸なだけだ。強いて言えば、山藤……シャント・コウのバカさ加減は許しがたいが。
女たちはやがて、身体を強張らせて動かないリューナと、地面にしゃがみこんでモタモタしているシャントを残して、自分たちの持ち場に去っていく。
だが、画面の向こうの出来事に歯がゆい思いをしながらも、俺にできたことが1つだけあった。しゃがみこんだ女のひとりを使って、地面に一言だけ書き残しておいたのだ。シャントが、それに気付けばいいのだが……いや、山藤は気づくはずだ。男だったら。
その結果を見届けることはできなかった。背後から、スリッパが床の絨毯をこする音が聞こえてきたからだ。俺は慌てて電源を切ったが、何をしていたかは一目瞭然だったろう。
「はい、没収」
耳元で聞こえた勝ち誇ったような囁きは、沙羅の声だった。俺は自分のやっていたことを棚に上げて非難した。
「バレるだろ」
相手の弱みを握った喜びに酔いしれているかのように、沙羅は上機嫌で契約の成立を宣告した。
「貸し1ね」
甘い。腹の中で思ったことではあるが、前言撤回だ。自分のことを棚に上げているのは、沙羅も同じことだ。
「俺だって」
沙羅が休み時間や放課後の校内でスマホを使っているのは、今のところ俺だけが知っている事実だ。だが、返ってきたのは負けを認めた謝罪の言葉ではなく、図々しい開き直りだった。
「あ、そういうことする?」
いかにも俺が卑怯な振る舞いをしているかのような物言いだが、「目には目を、葉には歯を」の精神からすれば当然のことだ。その上、俺にはもう1枚のカードがあった。
「フェアプレーはどうした」
このゲームを持ちかけてきたとき、沙羅が自分で言ったことだ。
クラスの連中を一方的に転生させておいて、それに納得していない俺に何一つ手出しさせないのはフェアじゃない、と。
そこを突かれた沙羅は一瞬だけ口ごもったが、すぐに妥協案を提示してきた。
「じゃあこれでチャラ」
俺に実害がなければいい。スマホ使用をお互いに密告して、双方とも没収を食らったら目も当てられない。リューナは再び吸血鬼の餌食となり、山藤……シャント・コウもまた、村人たちからのリンチは免れないだろう。
だが、その一方で沙羅も放ってはおけなかった。
「気をつけろ」
「何を?」
きょとんとした顔で沙羅が問い返す。無邪気と言えば聞こえはいいが、裏を返せば人の心や評価に無頓着すぎるのだ。さっきの女子生徒たちの噂話を教えてやろうかとも思ったが、本人への悪い評判を敢えて聞かせてやるのも大人気ない気がした。
「いろいろ言われてんぞ」
最短時間で考えを巡らした末、ここ数日の行いへの反省材料として沙羅に与えてやれる最小限の情報が、コレだった。遠回しな言い方で混乱されたらどうしようとも思ったが、直接的なことを言って傷つける心配の方が大きかった。
だが、沙羅の返事は軽いものだった。
「知ってるよ、そんなの」
何でもない、と言っているかのようにも聞こえたが、その声にはどことなく諦めきったような、寂しく、それでいて重苦しくもない響きが感じられた。
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