第137話 ネトゲ廃人、カネより大事なものを見つける

 金貨の入った袋をだまし取った男の顔は、暑い日差しの下を走っているうちにだんだんとぼやけてきた。

 ……どうしよう?

 このままでは一文無しに逆戻りどころか、金貨を預けてくれた村長に家を追い出されるかもしれない。せっかく吸血鬼ヴォクスを退治するチャンスが来たのに、それはキツかった。

 でも、僕はついていた。持ち逃げされた財布は、

 他の人が持っていたのだ。他の人っていうか……子どもが。

 さっきの男は、財布を返しにきた子どもを追い払っただけだったらしい。

 その子ども…男の子を僕が見つけたのは、財布を諦めかけた頃だった。暑いのと目まいがするのとで道がゆらゆらしている向こうに、子供が持っている財布だけはしっかりと見えたのだった。

 僕は走るのをやめて、大股に歩いて近寄ることにした。気づかれるといけないと思ったからだけど、捕まえるまでっていうのは無理だ。

 ……盗賊シーフとか忍者だったらなあ。

 ダンジョンもののRPGなら、そのクラスがあるんだけど。

 そうじゃないから、僕はあと一歩というところで気づかれてしまった。夕べ会った、あの反抗的な男の子は、ちらっと振り向くと、猛ダッシュで逃げて行ってしまった。

 ……子どもを追いかけるくらい!

 なんでもないと思ってたんだけど、現実世界でいったら高校生になってる僕の足は、小学生くらいの子どもにも追いつけないみたいだった。

 どんどん間が開いていくのを放っておくわけにはいかなかった。僕はアゴが上がるくらい全力で走ったけど、やっぱりダメだった。

 思いっきり、転んでしまったのだ。固い土の上をごろごろ転がって、思いっきりあちこち打って擦りむいて、口の中は砂でざらざらになってしまった。

 何とか起き上がって砂をぺっぺと吐いてしまったけど、もう立つのもいやになっていた。

 ……絶対に、もう追いつけない。

 すっかり諦めて道の向こうを見ると、男の子が小さな家の前で立ち止まっている。

 ……今だ!

 疲れで足がガクガク震えるのをこらえて立ち上がると、必死で残りの力を振り絞って足を前へ前へと動かす。

 やっとの思いで追いついた子どもの背中に手を伸ばすと、思いっきり服を掴んだ。

 もう、そうする力しか残っていなかった。

 もちろん、 抵抗された。男の子は振り向くと、僕の腕に思いっきり噛みついた。「痛ええええええ!」 

 日本語で叫んだのも、手を離したのも、その気があってやったことじゃない。もう、頭で考える余裕なんかなかった。

 男の子は家の戸を叩いていたが、中に逃げ込ませるわけにはいかなかった。道の真ん中に引き戻すと、その勢いでひっくり返った。

 ……こんなの、弱いものいじめじゃないか。

 小学校のときなんか、こんなこと、しょっちゅうだった。身体小さいし、力弱いし、3月生まれだし、どう頑張ったって、ほとんどの男子、下手すると女子にもかなわなかったのだ。

 それを思うと、つい、手が止まる。いや、それどころか、助け起こさなくちゃという気にさえなる。

 でも、このまま金貨を失うわけにはいかない。上から覆いかぶさって、腕を押さえ込むしかなかった。

 それでも、男の子は財布を離さない。手首をつかんだ指に力を込めるしかなかった。ただ、その加減は分からない。やられたことはあっても、やったことはないからだ。

「アアアアア!」

 ものすごく痛かったんだろう。子供は悲鳴を上げて泣き出した。僕も、思わず手が緩む。

 それが甘かった。足と足との間に、声も出せないくらいの激痛が走る。男の子に、股間を蹴り上げられたのだ。

 押さえ込むのは、もう無理だった。僕は地面でのたうち回りながら、男の子を放してやるしかなかった。

 でも、逃げなかった。ぐったりして、財布を放り出す。その気になれば拾えたんだけど、拾えなかった。

 蹴られた股間が痛かったっていうのもあるけど、やっぱり自分より弱いものを一方的に力ずくでどうこうっていうのはやっぱり嫌だったのだ。

 男の子は道端で横になったまま、僕をじっと見上げて何か言った。

「……!」

 昔の僕を見てるみたいな、眼に涙をいっぱいに溜めた半泣きの顔だった。何か必死で頼んでるみたいだったけど、何を言っているのか分からない。

 絶対にOKできないと思って、首を横に振ってしまった。

 ……しまった。

 意味が逆だってことに気付いたときには、もう遅かった。男の子は喜んで金貨の袋をつかむと、ぱっと立ち上がって家の中へ駆け込もうとした。

 これじゃ、お金が取りもどせない。

 慌てた僕は、男の子がドアを開けたところで、金貨の袋を持つ手を後ろから捕まえて引っ張った。

 さっきみたいに暴れられるかと思ったけど、別にそんなことはなかった。

 ただし、困ったことが起こった。

 男の子は、財布をつかんだ手をしっかり握りしめたまま、その場で大泣きに泣き出したのだった。 

 ……これじゃ僕が悪者じゃないか!

 近くに他の家はなかったけど、誰が聞いてるかわからない。僕は男の子の手を引っ張って眼の前の家に飛び込むと、急いでドアを閉めた。

 金貨が落ちて転がる音がする。男の子が袋を放り出したのだ。

 家の奥に向かって、何か叫ぶ。

「……!」  

 答える声は、奥にあるベッドから聞こえた。

「……、……!」

「……!」

 男の子が僕に腕をつかまれたまま、めちゃくちゃ明るい声でまた何か言うと、ベッドの上で、のそっと誰かが動いた。

 でも、薄暗くて、よく見えない。思わず引いた。

 後ろはドアだけど、カギがかかってないから逃げられる。僕は男の子の手を離して、背中でドアを押した。

 外の光が、さっと入ってきた。ベッドを下りて歩いてくる人の姿が分かる。

 ものすごく痩せた女の人だった。男の子が駆け寄ってしがみついたから、たぶん、母親なんだろう。

 子どもの頭を撫でて離れさせると、女の人は僕の方へと歩いてきた。膝をついて、額に僕の手を持っていった。

 ……ありがとう、って意味かな?

 指がすごく細かったから、きっと病気なんだと思った。そこで、男の子が金貨を持って行ったわけがやっと分かった。

 ……治すのにお金がいるんだ。

 男の子は、床に転がった金貨をじっと見つめている。下手に拾って、また力ずくで取り返されるのはいやなんだろう。

 僕は急いで床にしゃがんで、散らばった金貨を拾い集めた。男の子が手伝おうとしたけど、先に僕が全部拾ってしまった。男の子がお金を拾って歩くのを見るのは、何だか格好悪いことのような気がした。

 まだ膝をついている母親に金貨を渡すと、僕は家を出た。まだ外はカンカン照りで暑かったけど、僕の気持ちはすっきりして、身体にも力が湧いてきた。

 でも、これで装備調達はできなくなった。お金はもうないし、バレたら村長もカンカンに怒るだろう。

 ……どうしようかな。

 困ったけど、不思議と気は楽だった。あてにするものがない分、何とかしなくちゃいけないという気になってくる。

 とりあえず、さっき放り出した杭と十字架と木槌を拾いに行くことにした。来た道を戻ると、道端の畑でニンニクを土の中から抜いている人が見えた。

 ……これもいるんだっけ。

 吸血鬼にニンニクは定番だけど、もう買うお金がない。黙って見ているしかなかった。

 でも、手に入らないものは諦めるしかない。さっきの家に向かおうとしたら、畑にいる男が声をかけてきた。

「……!」

 手に持ったニンニクを振っている。僕がそれを指差すと、首を横に振った。

 ……まさか、くれるの?

 駆け寄って取ろうとしたら、ぱっと身体ごとかわされた。僕を睨みつけて、畑全体に向かって指を動かす。

 ……全部抜いたら、1つやるってことか。

 畑を指差して、男の持ってるニンニクを指差す。さっき聞いた言葉を真似してみた。

「……。くれる?」

 日本語でも言ってみた。別の言葉が返ってくる。

「……。」

 男が僕を呼んだ言葉が「やる」で、僕に返したほうが「くれる」なんだろう。

 僕は首を横に振って「分かった」のポーズをすると、しゃがんでニンニクを抜くことにした。

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