第158話 打つ手なしの守護天使 

 CG処理された山藤の首筋辺りに、何か白く尖ったものがある。こういうファンタジー世界に疎い俺でも、さすがにそれが何であるかは分かった。

 牙の感触に、背筋が凍る。吸血鬼となったリューナが山藤を、文字通りの毒牙にかけているのだ。

 山藤は、目を見開いたまま動けない。いや、動こうともしない。リューナの微かな囁きは、俺の耳にも届いた。

《シャント……》

 スマホ越しにもうっとりするような、甘い吐息が聞こえた。生身の俺でも魂が抜けていきそうな気がする。

 とはいえ、スマホの上ではシャントとしてCG化されている山藤も、その向こうの世界では生身なわけである。

 従って、感じていることが同じでも全く不思議はない。

《このままでもいいか……》

 何か物凄く後ろめたいことで、図星を突かれたような気がした。

「いいわけねえだろ!」

 画面の中で呆けているシャント…山藤にツッコむと、俺は画面をドラッグした。

 モブ! モブ! モブ! 誰か、もう1人でいいから!

 俺ひとりじゃどうにもならない。干渉できる人間が必要だった。こいつが向かっていた塔の抜け穴を映してみたが、ムダな努力だった。

 やっぱり、人影は見えない。

 沙羅は山藤をフォローする立場なのだから、モブを動かしてくれていないかという期待はなくもなかった。だが、それを言い出したら、俺は山藤に試練を与える立場なのだ。対戦相手に助けを求めるわけにもいかない。

 結局、できるのは見守ることだけだったが、シャント…山藤は思いの外、よく抵抗していた。

 いつの間にか我に返っていたらしく、スマホの中からは、悲鳴にも近い絶叫が聞こえてきた。

《い……やだ!》

 もがいてリューナの牙から逃げようとするが、その曲線の豊かな身体に抱き留められて、身動きがとれない。

《離……して!》

 リューナの腕を引き剥がそうとするが、それを逆手に取られて、自分の腕のほうをロックされてしまった。

 いわゆる、かんぬきをかけられたわけである。

 だが、吸血鬼の圧倒的な力で身体の自由を奪われながらも、山藤はがむしゃらに暴れた。

《苦……しいよ、リューナ! 助けて……お願い……だから!》

 その哀願も、やがてくぐもった声に変わり、しまいには呻きでしかなくなった。見れば、頭を腕で抱え込まれ、顔はたっぷりとした胸の間に埋められている。

 この非常事態に何を、と思ったが、別に山藤が現実世界に戻るのをやめて、異世界での甘い生活に溺れているわけではない。

 むしろ、絶体絶命の状態だった。

「目え覚ませ、諦めんな!」

 ボクシングやプロレスのセコンドなら、まだ声が届こうというものだが、その先がスマホの向こうの異世界はどうにもならない。 

 だが、俺もシャント…山藤も唖然とさせる出来事が起こった。

《リューナ! どうしたんだよ、リューナ!》

 突然、リューナの姿が画面から消えたのだった。視点をあちこち移動してみると、地下室の床にリューナが倒れていた。

 今まで生命の危機にさらされていたはずの山藤は、それを呆然と見つめているばかりだった。

「逃げろ!」

 呼びかけても、聞こえるはずがない。やきもきしながら、それでも打つ手を探して地下室の中をあちこち拡大して回っているうちに、俺はシャント…山藤の手の中にあるものに気付いた。

 白いバラが、つやつやと輝いている。おそらく、これがリューナを昏倒させたのだろう。

 やがて、山藤もようやく我に返ったらしい。シャントは地下室の壁に開いた穴から、塔の外へ出ていった。

 だが、丸木橋の前でふと立ち止まると、地下室の床に倒れたままのリューナへと振り返った。

「ダメだ、連れていけない!」

 だが、そのムダな呼びかけは、本当にムダだったことが分かった。

《グェイブ……》

 山藤が気にしていたのは、操ることができる唯一の武器だったのだ。だが、これにしてもまた、取りに戻るべきではない。

 リューナは目の前にいても、シャント…山藤の力では持ち上げることもできない。ましてやグェイブは、地下室へ向かう階段を転落しているうちにどこかへ落としてしまったのだ。

 探してる間に、もしテヒブが来たらどうする!

 しかし、それは取り越し苦労だった。

 思いのほか、山藤の踏ん切りは早かった。さっさと、堀の底に掛かった丸木橋に足を乗せる。平均台を渡るかのように、腕を左右にピンと張って歩きだしたが、そこは山藤だ。あっというまにバランスを崩す。

「横向き、横向き!」

 俺のアドバイスが聞こえたわけはないが、シャント…山藤は丸木橋の上でどうにか踏ん張った。

 ……よし! 

 だが、山藤のバランス感覚を当てにしてはいけなかった。見事に足下が滑り、シャントは堀の水へと転落する。

「言わんこっちゃない!」

 悪態を吐いても、俺に何ができるわけでもない。ただ、堀の水が深くないことを祈るばかりだった。

 その祈りが、どうなったかというと……。

《うわああああ!》

 悲鳴を上げるシャント…山藤の身体が、横向きに吹っ飛んだ。どうやら、神様はスマホの向こうにあるファンタジー世界にいるようだった。

 そのまま、堀の下の崖へと腹這いに叩きつけられる。山藤が堀にハマらないで済んだのはよかったが、こっちはこっちで放っては置けなかった。

「何……が?」

 そう言ってもおかしくないのにセリフのウィンドウが出ないのは、たぶん、俺と同じことを心の中でつぶやいているからだろう。

 よく見ると、その身体は崖から落ちてはいない。しばらくヒクヒクと震えていたが、やがて、手足を突っ張って、土にめり込んだ身体を自分で引き剥がした。

 当然、背中から落ちる。相当痛かったのだろう、砂地の上でのたうち回っていたが、やがて立ち上がって振り向いたときには、鼻血を垂らしていた。

 ……そんな状態で、よく頑張った。

 腹の内の褒め方がいささか上から目線なのは、自分の痛みは数秒も耐えられずとも、人の痛みは100年でも我慢できるものだからだろう。

 とはいえ、所詮は心の声だ。ましてや、スマホの向こうまで聞こえるはずもない。ここはひとつ、気持ちを切り替えて崖を登ってもらう他はない。

 いったん、退却だ。村の中でも、見知らぬ女性に狼藉を働いた疑惑があるから完全アウェーだろうが、そこら辺は俺が仕掛けた罠も同然だから、切り抜けてもらわないといけない。

 とりあえず、見守りモードはそろそろ終了だ。村に戻ればモブもいるし、シャント…山藤への罠はいくらでも仕掛けられる。

 それらを突破してこそ、リューナを救い出すヒーローとしての資格があろうというものだ。そんな思いをすれば、たとえ目的を遂げたとしても、二度と異世界転生などは望むまい。

 だが、俺の見通しは半分だけ甘かった。ある意味では都合のいいことに、仕掛けの及ばない罠が、もうひとつしかけられていたのだ。

 それはもはや、運命というヤツの手が働いているとしか思えなかった。あるいは、もう1人、俺も沙羅も超えたプレイヤーがゲームを左右しているのか。

 詮索しているヒマはなかった。だからどうすると言っても、どうしようもないが。

 山藤の見据えているものへと視点を180度回転させたとき、暗闇の中でCG処理するまでもなく、真っ赤に燃える2つの点が見えた。さらに、山藤には見えまいが、スマホの画面にはCG処理された人影が見える。

 音もなく舞い降りた、吸血鬼ヴォクス男爵だった。

 シャント…山藤は一瞬、その場に凍り付いた。不意打ちで魅入られたかと思ったが、正気は失っていなかったらしい。オタオタしながらも、手にしたものをつきつけた。

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