第159話 守護天使、やっとモブを獲得する
それは、白いバラだった。確かに、間違った方法ではないが、この場では適当でない。
「近寄れないだろ……」
正しいことと、適当であるということは別の評価だということだ。そんな俺のツッコミを、ヴォクスは行動で示してくれた。
マントの一閃で、突風が巻き起こる。シャント…山藤は何とか踏ん張って、倒れるのをこらえたが、これで察しがついた。
さっき、水に落ちるのを未然に防いでくれたのは、皮肉にもヴォクスだったのだ。顔面から崖に叩きつけるのが本来の目的だったのだろう。
山藤にしてみれば、いわゆる怪我の功名というヤツだが、そんなものは二度も期待できない。
唯一の武器である白いバラは、惨めにも一瞬で吹き飛ばされてしまった。
《甘いな、小僧》
ウィンドウに現れたセリフは、確か山藤にも聞こえているはずだ。異世界の言葉はほとんど理解できないのに、吸血鬼とだけ会話できるのは、たぶん、頭の中にでも響いているからなんだろう。
《ヴォクス!》
山藤が宙を仰いで叫ぶ。その視線を追って画面を動かすと、高い襟のマントをまとった吸血鬼が闇の中に舞い上がったところだった。
崖を背にした山藤に、逃げ道はない。
……これで、ゲームオーバー?
突然の窮地に、俺の思考も停止した。これまで何度も「万事休す」と覚悟したが、どうもこれが最後らしい。
だが、画面の外でいきなり聞こえた水の音が、働くのを諦めた頭に喝を入れた。堀の水面に視点を移動すると、ぽかりと浮かんでくるものがある。
シャント…山藤の頭だった。ヴォクスが飛びかかってくる前に、敢えて水に飛び込んだのだ。
泳ぎは得意でないのか、もがくたびに水が渦を巻く。これも流水といえなくもない。その中に吸い込まれるように、ヴォクスの身体が落下してくる。
……まさか、こんな罠を?
ホッとすると同時に、たかが山藤に先を越されてムカっとした。自分のバカさ加減に腹が立ったのだ。
それだけに、シャントの脳天をヴォクスが踏んでいったときには、拍子抜けすると同時に、そら見ろという気にもなった。
……さて、次に打つべき手は、と。
モブを動かせない俺に何ができるわけでもないが、さっきの悔しさもあって考えてみる。
ヴォクスは砂地に立っていて、シャント…山藤は水の中だ。丸木橋につかまれば、なんとか対岸まで逃げられるだろう。
だが、その気になればヴォクスはコウモリにも霧にも変身できる。堀を越えるのは造作もない。
それに、水から上がったところでテヒブが現れたら?
……おしまいだ。
つまり、やっぱり山藤に逃げ道はない。
そう判断しても、俺はスマホの画面から目を離せなかった。万策尽きたのが納得できないからではない。
「死ぬな……!」
どう考えても、俺に非はなかった。全て山藤のバカさ加減が招いたことなのだ。だいたい沙羅の話では、別のキャラに転生してリトライできるということだった。
つまり、ここでシャントが死んでも何ら気に病むことはないのだが、それでも顔見知りの最期を前に、そんな太平楽を並べてもいられなかった。
山藤もまた、諦めてはいなかった。丸木橋に取りつくと、対岸へ向かって泳ぎだした。
「ムダだ……山藤!」
絶対に聞こえないと分かっているのに、力の抜けた声でもかけてやらないではいられなかった。俺にできるのは、もはや健闘を称えてやることしかなかった。
その上、山藤も岸に上がる前に力が尽きたらしい。丸木橋から手を滑らせると、再び水の中に沈んだ。
そういえば、こんな光景を以前に見た気がする。確か、あの山の中で渓流にハマったときだ。
「ケルピー《川馬》?」
あの澄んだ水に棲んでいた妖魔が、こんな淀みにいるはずがないが、ああいう災難を連想しないではいられなかった。
ヴォクスはと見れば、崖の下の砂地に立ったまま動かない。じっと、シャントが上がってくるのを待っているかに思われた。
「……すると、生きてる?」
微かな期待を胸に水面を眺めていると、場違いの河童か何かのような手が、ポチャリと上がってきた。何かを掴もうとじたばたしているようだったが、やがて固い地面を掴んだ。
「バカかお前は!」
よりにもよって、ヴォクスが立っている砂地の足元を。
水面から出てきた顔を見なくても、分かった。このバカさ加減は、間違いなく山藤だ。
張りつめていた気持ちは緩んだが、同時に絶望した。窮地の中でどれだけ助け舟を出そうと、それらをことごとくひっくり返すのが、山藤なのだ。
「死なんと治らんのかお前のバカは!」
頭のてっぺんに、ヴォクスの手が伸びる。そのまま握りつぶすくらいの握力は、吸血鬼ならあるかもしれない。
「沈め、もっぺん沈め!」
息をつくのがやっとの山藤に、そんな余裕があるはずもない。待っているのは、見るも無残な最期のはずだった。俺にできるのは、名前を呼んでやることぐらいしかない。
「……山藤!」
だが、どうやら、この世界に神様というのは確かにいるようだった。いや、もう1人のプレイヤーとでもいうべきか。
暗い水面に、ぽつ、ぽつ、ぽつと明かりが灯った。
「え?」
人魂か何かじゃないかと思って身体がすくんだが、よく見れば松明の光のようだった。崖の上から堀の中を照らしているようだった。
しかし、さっき見た限りではモブなんかいないはずだった。いや、もしかすると、沙羅が村人たちを動かすのに成功したのかもしれない。
期待を込めて崖の上へ視点を動かしてみると、確かに松明を片手に掲げて堀を見下ろす無数の人影があった。
もう一方の手には、長柄の斧。胸と背中を覆う、見るからに金属という光を放つプロテクター。
「……リズァーク?」
戻ってきたのだ、あの軍勢が! 何でそこに気づかなかったのだろう。さっきスマホの俯瞰視点で画面の隅っこに見えた松明の群れは、捲土重来、農民風情にコケにされた復讐に燃えるリズァークの率いる兵士たちのものだったのだ。
どっちと戦うかは、ヴォクスとしても考えるまでもないだろう。俺としても、とりあえずはそっちのほうが望ましい。シャント…山藤に反撃の機会が生まれるまでは。
砂地を蹴ったヴォクスは、揺れる松明の光に照らされて、兵士たちの頭上高く舞い上がった。
たちまちのうちに、二度、三度と風を切る音がする。間を置かずして、何人もの兵士が堀に転落した。そのまま上がって来ない者もあれば、太い矢を胸や腹に刺して、ぽっかりと水面へ仰向けに浮いてくる者もある。
俺は吐き気を覚えて、視点を崖の上へと動かした。
怒号と悲鳴が聞こえてくる。俯瞰視点で城全体を眺めてみると、数で押しまくるリズァークの軍勢が、画面の一部分を占めている。ところが、それがある一点から、凄まじい勢いで食い荒らされていた。
圧倒的な速さと力で対するヴォクスの返り討ちに遭い、倒されたり逃げ出したりしているのだ。
……チャンス!
手駒を獲得するのは、今だ。俺はヴォクスに追われた兵士を、久々に動かす逆三角錐のマーカーで捕まえると、堀に沿って動かした。
主戦場はここだが、リズァークが山藤ほどバカでない限り、別の場所にも兵士を割いているはずだ。
なぜなら、普段はあり得ない好条件が、目の前にお膳立てされているからである。
シャント…山藤を迎え入れたときのまま、跳ね橋は下りていた。そこを渡ると、松明を持った兵士が数名、中庭をうろうろしている。俺はマーカーのついた兵士を動かして、中庭を突っ切らせた。
このままでは、リューナが危ない。あの美しい身体でしどけなく横たわる少女を前にしては、いかにリズァークが厳格に統制しているとしても、この兵士たちが冷静を保てる保証はない。
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