第157話 リューナ、いろんな意味で再び

「はあ……はあ……」

 白いバラを手にしたまま身体を起こした僕は、足を必死で踏ん張って立ち上がった。膝がガクガク震えている。ちょっとでも気を抜いたら、また倒れてしまいそうだ。

 突然、天使の石像が飛んできたときはゴーレムか何かだと思った。地面に転がされて、もうおしまいだと覚悟したけど、のしかかってくるより他は何もしてこない。何でもないと分かって、その下から安心して抜け出せたけど、本当に恐ろしかったのはその後だ。

 天使像で僕を吹っ飛ばしたテヒブさんが、剣を振り下ろしてきたのだ。グェイブで何とか弾いたけど、いつまでもそんな連続攻撃に耐えられるわけがない。いつ真っ二つに斬られるかとびくびくしていた僕は、テヒブさんがいきなり落とした剣に気を取られた。

 そこで一本背負いを食らって、地面の上でマウントポジション取られたわけなんだけど、まさかの大逆転だった。

 僕の手の中にあったしおれかけの白いバラは、グェイブのぼんやりした光の中で、瑞々しい花を開いている。テヒブさんの振り上げた拳が命中しかかった顔面を守ろうとして、思わずかざした手に握られていたのが、これだ。

 ムダな抵抗だと思ったけど、拳が白い花びらをかすめただけで、テヒブさんは声にならない悲鳴を上げてのけぞったのだ。僕の身体に弾かれたみたいな姿勢でジャンプすると、空中でくるりと一回転して、闇の中へと溶けるように消えたのだった。

 ……助かった。

 思った通りだった。白いバラの花は、吸血鬼に対して一種のエナジードレインを食らわすことができるのだ。ちょうど、ファンタジー系RPGで吸血鬼の攻撃を受けると、レベルやパラメータが低下するのと同じだ。

 テヒブさんが逃げたのは、パワーを吸収されたからなのだ。ということは、今ならリューナに近づくことができる。この白いバラを持っている限り、僕に手出しできる者はいないはずだ。

 グェイブは吸血鬼にもダメージを与えられる魔法の武器エンチャンテッド・ウェポンだけど、この白バラは、触れば相手のパワーを奪う盾、というか、バリアーを張ってくれる魔法使いのワンドなのだ。

 ……待ってろ、リューナ! 絶対に僕が助ける!

 真剣にそう思って、僕はさっきリューナの姿を見た塔に向かって駆けだした。グェイブの光は弱くて、暗闇の向こうは見えなかったけど、それでも何となくそっちだっていう気はしていた。

 でも、この手のカンはどうかっていうと、僕の場合は当たったことがない。だから、簡単に後ろを取られてしまった。

 ……しまった! 

 さっきテヒブさんは逃げていったけど、吸血鬼ヴォクス男爵の下僕は他にいるかもしれないのだ。めちゃくちゃに強い中ボスクラスをいきなり相手にしていたもんだから、そういうことには全然気が付かなかったのだ。

 慌ててグェイブを構えて振り向くと、ぼんやりと白いものが暗闇の中に浮かんで見える。

 ぱっと見には、幽霊ゴーストだった。こんなの、魔法の武器なら一撃で消えるっていうのはRPGの常識だ。さっきのトローガーみたいな生身のモンスター

なんかと戦うより、よっぽどいい。

「うりゃあああ!」

 思いっきりグェイブを振り上げたけど、その手は止まった。

 ぼんやりした光の中に、金色の長い髪が揺れている。

 目の前にいたのは、ふわっとした白いネグリジェみたいな服をまとったリューナだったのだ。

「な……何で?」

 思わずぽかんとしたけど、安心した。探す前に、向こうから来てくれたのだ。僕はグェイブを下ろすと、両手を広げた。

「リューナ……」

 抱きしめたかったのだ。こんなときにそんなことしてる場合じゃないのかもしれないけど、何よりも、無事だったのが嬉しかったのだ。

 でも、向こうは僕の気持ちなんか気にもしていないみたいだった。

「リューナ?」

 名前を呼んでも、無視してるみたいに答えない。まるで、僕のほうが人違いをしてるみたいだった。それでも近寄っていくと、手の届かないところまで、服の裾をふわりと揺らして下がる。

「どうしたんだ?」

 リューナは答えなかった。ただ、僕をまっすぐに見つめている。口を堅く閉じているのに、その目は何か言いたそうに見えた。

 それなら、きっと何かわかり合えるはずだった。僕は思い切って、リューナに白いバラの花を差し出した。キザだとは思ったけど、リューナだって、きれいな花が嫌いなはずがなかった。

 それに、この花は僕たちにとって特別だった。あの畑仕事で暑い昼を一緒に過ごしたとき、ずっと目の前にあった花なのだ。

 でも、リューナは白バラを受け取ってはくれなかった。それどころか、目をそらすようにして、音もなく駆け出したのだ。

「待ってよ!」

 白い服を見失わないように、僕は全力で走った。それなのに、全然リューナに追いつけない。逃げていくその先には、さっきロウソクの光が見えた塔があった。

 その壁にあるドアが閉じられる前に、僕はまだ入り口をふさいでいるリューナを押しのけるくらいのつもりで、塔の中へと飛び込んだ。何のつもりか知らないけど、ヴォクスの城からは絶対に連れて帰るつもりだった。

「行こう、リューナ!」

 その先が、村でなくても構わなかった。この異世界がどんなところで、どんな町や国があるのかは知らない。でも、僕はグェイブ1本を頼りに、リューナを守って生きていく。

 後ろにあるドアをバタンと閉めたリューナが、グェイブの光の中で振り向いた。少し、笑った気がする。前にキスしてくれた唇がつやつやしていて、つい見とれてしまった。その間には、きれいな白い歯が見える。

 鋭く伸びた、犬歯が。

 それに気が付いたとき、白い腕が僕の喉元を掴んでいた。目が真っ赤に輝いている。

 寝ている時にキスしようとしたときと同じだ。ものすごい力で持ち上げられる。

「やめ……て、リュー……ナ」

 聞こえるはずがない。もしかすると、聞いていても無視されたのかもしれなかった。どっちだか分からないけど、どっちでも同じだった。肩とか背中とか腰とかが思いっきり壁か天井にに打ち付けられたかと思うと、僕の身体は階段を転げ落ちていった。地下へと投げ落とされたんだということは、痛い中でも分かった。

 カラーン、と軽い音がした。身体が転がるたびに、ぼんやり光るボールみたいなものが落ちていくのが見える。下へ下へとバウンドしながら、そのうち消えていった。

 グェイブだった。

 もうそれ以上は落ちなくなったところで、階段のいちばん下に来たんだって分かった。真っ先に探したのはグェイブだけど、あのぼんやりした光はどこにも見当たらなかった。

 そのくらい真っ暗闇な中に、カツンカツンという足音だけが聞こえる。聞き覚えのあるリズムだった。

 足枷をはめられた僕に、朝食を持ってきたとき。

 暑い畑であっちこっち行ったり来たりしていたとき。

 そして、さっき僕に近づいてきたときの真っ赤に光る眼を思い出したとき、それが僕を見下ろしているのが分かった。

 リューナが、僕の首根っこを掴んで持ち上げた。身体が、まるで猫みたいにぶら下げられる。このまま行けば、また投げられるか、もう一方の手でボコボコにされるか、それとも絞め殺されるか……。

 そのどれをくらわされても、助かる見込みはなかった。

 でも、僕は逃げようとは思わなかった。力ではどうせかなわないし、脱出できるとしても、それはそれでいやだった。

 ここで別れたら、次はこの城には入れなくなっているかもしれない。そうなれば、もうリューナには会えないかもしれないのだ。

 ……じゃあ、ここでおしまいかな。

 それでもいいかという気がしたとき、なにか温かくて柔らかいものが僕の身体に触った。

 ふわっとして、すべすべしてて、何かコツンと固いものがある、2つのふくらみが。

 リューナの胸が直に当たってるんだと分かるには、ちょっと時間がかかった。

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