第42話 不機嫌な彼女と能力全開なネトゲ廃人
夜が明けると俺は真っ先にスマホをチェックした。着メロをOFFにしてはいなかったが、夜中にメッセージでたたき起こされることはなかった。それでも、寝ているうちに沙羅からのメッセージが入っていないかということは気になったのだ。
……メッセージなし。
ほっとしたが、何だか寂しくもあった。そもそも、夕べ何を言いたかったのかは気になって仕方がなかった。
だが、その日曜日、沙羅がメッセージをよこすことはなかった。気にはなったが、俺からご機嫌伺いをすることもない。スマホの中の異世界をモニターしながら、悶々と一日を過ごすことになった。
シャント…山藤はというと、テヒブにコキ使われながら異世界の言葉を学び、リューナと甘い時間を過ごしていた。
たとえば、こんな感じだ。
《オンシ、水を汲んで来てくれんか》
庭で薪割りをしていたテヒブが、太い木をもたもた運んでいたシャント…山藤に頼んだ。リューナが昼飯を作り始めた頃のことだったから、炊事用の水が必要になったのだろう。
《水……?》
テヒブに頼まれたことの、最初の単語しか繰り返せないのは仕方がない。だが、それも聞き返された方の知ったことではないのである。
《汲む! 井戸!》
イライラと単語だけが繰り返されるが、今度は新しい言葉が混じっている。知らない言語の習得はただでさえ大変なのに、ましてや相手は山藤だ。次から次へと単語を繰り出して、覚えられるわけがない。
だが、このネトゲ廃人は意外にも必死で食らいついてきた。現実世界でこの根性を見せていれば、もうちょっと成績もよかったのではなかろうか。
《水……汲む……?》
きょろきょろするのは、何をしなくてはいけないか理解できたからだろう。テヒブは身振り手振りも交えて繰り返す。
《汲む……! 持って!》
また一つ、単語が増えた。
だが、山藤は思ったより早く察しをつけて、井戸へと走っていった。よく考えれば、昨日テヒブに服を剥かれて井戸水をぶっかけられていたのだから、理解が早くなっても不思議はない。むしろ、努力を認めてやるべきだろう。
家の裏へ回るのをモニターして追ってみると、井戸ではもうリューナが桶で水を汲んでいた。
体育の後片付けをする女子でも手伝うかのように、山藤は申し出た。
《……持つよ》
ただし、日本語で。
リューナはちょっと首をかしげたが、首を縦に振った。山藤は桶を掴んだが、引っ張り返された。
山藤は眉を寄せたが、今度はさっきのテヒブの言葉を真似て、異世界語で言い直した。
《……持つ》
リューナは再び首を大きく振ったが、桶は離さなかった。
そこで俺は、ようやくリューナが「NO」のサインをしたのに気付いた。現実世界と異世界では、可否の意志表示をするときの首の振り方が逆なのだ。
それなのに山藤が桶を思いっきり引っ張ったものだから、お互いの手元が狂って、なみなみと満たされた水は一気にひっくり返った。
《あ~あ……》
異世界語と日本語で、同じため息が漏れた。それに気付いたのか、リューナとシャント(山藤だとは認めたくなかった)は、顔を見合わせて笑った。
そこにやってきたテヒブが、ワルをどやしつける生徒指導部の教員みたいに一喝した。
《こら! お前ら何やっとるんだ!》
リューナは慌てて台所へ、山藤は井戸へと走る。
そんな様子を見ていると何だか面白くなかったが、沙羅からのメッセージを待っていると心も萎えて、モブを動かして邪魔する気力も出なかった。
異世界のモニターを除いては沙羅の転校前と何一つ変わらない休日は、こんなふうにして終った。
もっとも、俺は夜中もしばらく眠れなかった。吸血鬼ヴォクス男爵が襲ってくる心配があったからだ。だが、山藤がテヒブと同じ部屋で急ごしらえのベッドに沈んでからは、もう何も起こらなかった。
俺もいつの間にか眠ってしまい、オフクロに叩き起こされるまで目が覚めなかった。
「起きな、栄! 遅刻するよ!」
朝食もそこそこに、俺はバス停へと急ぐ羽目になったのだった。
慌てたところで、もともとそれほど本数があるわけでもないバスに乗れる時間帯などは知れているのだが。
まだ凍り付いている道で早くから待たされて、きっちり時間通りに来たバスに乗り込んだ。車がそれほど走っているわけでもないので、バスがもたつくことはない。バスターミナルで時間通りに下りると、向かいの屋根越しに見える山にはまだ残っている雪は、もう路面にはなかった。昨日あれだけ積もっていた雪の代わりに融雪剤が白く散らばっている。
「おはよ」
どこからか女子生徒の声が聞こえたが、俺に挨拶したわけではないと思って返事はしなかった。そもそも、そんな心当たりはない。
「八十島君ってば」
名前を呼ばれて初めて、俺は声の主をあちこち探した。昨日歩いた曲がり角のほうから、優雅に編んだ髪を肩に垂らした女子がやってくる。
「おい、昨日の……」
メッセージの意味が知りたかったのだが、沙羅は俺の話など聞いてはいなかった。
「一緒に行かない?」
そう言いながら駆け寄ってきた沙羅に、俺はさっき聞こうとしたこともすっかり忘れて、小声で文句を言った。
「誤解されるぞ」
歩いて学校へ向かう生徒も、道の向かいに何人か見かけた。それに気づいたのか、沙羅は自分から腕を組んできた。
「そのほうが楽かな」
「俺は……」
さっと腕を引いて逃げる。何でもない女子との間に、変な噂を立てられてはかなわない。その心配も察しがついたのか、沙羅は眉をひそめて言った。
「大丈夫、私が守ってあげるから」
今日の沙羅は何かおかしい。やたらと俺の気持ちを先回りして近づいてくる。
……敵同士じゃなかったのか?
ターミナルの壁に掛かった大きな時計を見ると、学校行きの発車時間だった。
「じゃあ学校で」
俺は沙羅を置いて、慌ててバスに乗った。
「ちょっと、八十島君!」
……叫ぶな、誰が聞いてるか分からんのに!
バスに乗った生徒は、俺しかいない。だが、窓の外にはこの辺から徒歩で通う生徒もいる。たいていは朝が遅くて、ぎりぎりに登校するクチだ。発車するバスの向こうで叫んでいるヤツの声をいちいち聞いているかどうか。
念のため、窓から見下ろしてみると、沙羅が俺を睨んでいた。
……知るかよ。
そう思いはしたが、昨日のメッセージのことはきちんと聞いておくべきだったと気が付いて後悔した。
……どっちみち、また来るよな。
学校に着いたら着いたで、俺の平穏な生活はまた何のかんのと邪魔されるだろうと思い直した。それでも何だか気が咎めて仕方がなかったので、気晴らしに山藤……シャント・コウの様子を確認することにした。
昨日やる気を出していたから心配はしていなかった。むしろ、あのネトゲ廃人がどこまで頑張っているか見てみたかったのだ。
久々にステータスを確認する。
……やっとこさMAXに達したってとこか。
それにしても、武器なんか手にしたところでこのシャント・コウ…山藤に扱えるとはとても思えなかった。昨日の刃物よりましだが、この肩ぐらいの高さの棍棒だって長さを持て余すに決まっている。
しかも見たところ、テヒブが稽古をつけてくれるようだった。背はシャントと同じくらいだが、棍棒の長さは昨日の武器に近い。
たぶんボコボコにされるだろうが、どこまで頑張れるかは見てやろうと思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます