第22話 守護天使のお仕事とは関係ない、セクハラに関する姫君の抗議

 そんなわけで、俺は4時間目が終わるまで悶々と過ごした。クラスの連中の魂を賭けて戦う相手だと踏ん切りをつければ済む話なのに、最後の余計な一言が気になって仕方がなかった。

 確かに、あれは俺が悪い。沙羅が今まで何をしてきたかなんてことは、この際どうだっていいことだ。誰にだって秘密はあるんだから、傷ついたとしても当然だ。

 あんな沙羅であっても。

 異世界転生だとか何とか言って、人を生きるか死ぬかの瀬戸際に放り込む女であっても。

 それを何とも思っていないフシのあるお姫様だとしても。

 考えているうちに、俺は腹の中で沙羅への悪態を並べ立てていた。昼休みを告げるチャイムが鳴ったところで、それにようやく気が付いた。

 いかん、これはいかん。自己弁護って奴だ。これはフェアじゃない。平凡で平穏な日常は、貸し借りがない者か、それを感じないヤツにしか訪れないのだ。

 そんな考え事をしながら弁当に箸をつけたが、味なんか分からないまま、その日の昼食は済んでしまった。弁当箱を鞄にしまうと、その底にあるスマホが見えた。

 山藤……シャント・コウはどうしただろうか。

 俺の住んでいるところは山奥の方だから、子どもの頃は、山で伐採された木が斜面に立ち上げられたロープウェイみたいな装置で吊り降ろされるのをよく見たものだ。それを人間の手だけでやるのは、並大抵の体力ではできない。

 ましてや、山藤では……。

 心配になって確かめようとも思ったが、やはり巡回の教員に目撃されて没収される恐れがあった。今夜、また吸血鬼の襲撃があったら、沙羅はここぞとばかりに山藤……シャント・コウを大活躍させるだろう。いかに彼女への借りがあろうと、それは放置しておけなかった。オタクをその気にさせてはいけない。

 この場の不安を解消するか、起こりうる危機を回避するか。

 鞄の中を眺めながら究極の選択に悩んでいると、柔らかく華奢な手が背中を叩いた。

「うまく行ってる?」 

 沙羅が声をかけてきたのだということは分かったが、ここで何だかほっとした自分が許せなかった。意地を張るあまり、思ってもいないことを格好つけて言ってしまった。

「手の内見せたら、カードゲームはつまんないだろ」

 しまった、と思ったときにはもう、沙羅は冷ややかな目つきで俺を見下ろしていた。万事休すだ。せっかくのチャンスを自分で棒に振ってしまって、次の言葉も出てこない。

 そこへ突然、目の前にスマホの画面が突きつけられた。

「ほれほれほれほれ」

 俺は椅子に座ったまま逃げ場もなく、つい身体をのけぞらせた。それでも、高い声でからかう沙羅に内心ほっとしたりもしている。ただし、それは表に出せない。

「いらねえよ」

 顔をそむけると、沙羅は屈んだ。机に頭を横たえた俺の目の高さで、窓の外にふぶく雪を背景にした少女が見つめている。

「山藤君困ってるんだけど」

 その表情は結構、真剣だった。そう言われると気にはなったが、その手に乗るかという気もした。

「なんとかすんだろ」

 つい素っ気なく突き放してしまったが、実は落としどころを探していたりもする。俺も山藤……シャント・コウを放っておくつもりはない。だが、俺のターンが放棄されたのは沙羅にしてみれば願ってもないことだった。

「じゃあ私が」

 ここぞとばかりに立ち上がった沙羅の手の中でスマホが裏返され、画面上でしなやかな指がついついと動く。どんな手を打っているのかは分からなかったが、それだけに俺は焦った。

「やめろって」

 スマホに手を伸ばす。

 沙羅のものを沙羅がどう扱おうが沙羅の勝手なのだが、俺はスマホを取り上げようと必死だった。このまま沙羅の思い通りにコトが進み、山藤……シャント・コウが異世界生活にはまり込んでいくのは見るにしのびなかった。

 だが、スマホを持つ片手を高々と差し上げた沙羅は、勝ち誇ったように俺を見下ろした。

「ごめんなさいは?」

「俺は別に……」

 そうきたか。確かに悪かったとは思っているが、こういう罠にハメられるのは面白くなかった。ここで俺を責めるなり、泣いてみせるなり、心の深いところに踏みこまれた辛さを切々と訴えられていたら、ちょっとは素直に頭を提げられたのだが。

 そんな具合に腹の内で自分につべこべ言い訳している俺をたしなめるように、沙羅は静かに言い切った。

「それ、ウソよね」

 格好つけても無駄だった。強がるのもこの辺にしないと、さすがにみっともない。

「ごめん」

 負けを認めて素直に謝ったが、沙羅はそう簡単には許してくれなかった。わざとらしく腰に手を当てて、椅子から見上げる俺に覆いかぶさるような姿勢で、更なる屈服を強いてくる。

「な・さ・い」

 そこまで言わせないと気が済まないかと思ったが、ここは折れることにした。

「……なさい」

 意地を張るくらいなら、最初から転生した同級生を救い出そうなどとと思わないほうがいい。もう起こる気力も失せた俺に、沙羅は子供のように勝ち誇った。

「よろしい」 

 沙羅が見せてくれた画面では、山藤……シャント・コウが炎天下の畑仕事にいそしんでいた。帽子もかぶせてもらえずに、汗だくになって草をむしったり、その長い根を掘ったりしている。その傍らでは、リューナが夏野菜の収穫に駆り出されている。

 そこで俺は思い出した。

「閉じ込められてなかったか?」

 だから、山藤はシャント・コウとして身の程を知らない大立ち回りに挑んだ挙句、ひどい目に遭わされたのだ。リューナはそこまで厳重に監視されていたのに、なぜ?

 俺の疑問に、沙羅は事もなげに答えた。

「夕べまではね」

 昨日と今日では事情が違うと言われてしまったら、それ以上は何も言えない。がだが、一晩でリューナの待遇がここまで変わるのは納得が行かなかった。

「吸血鬼に襲われたのに?」

 彼女を狙った襲撃がいつ起こるか分からない。他の者が巻き添えを食わないように、用心して監禁するのは、村人が無知なら、たとえ昼夜を問わず一日中でも不自然なことではない。

 軽い調子で答えが返ってきた。

「昼ならいいんじゃない?」

 俺たちの常識でいえば、たぶんそういうことなんだろう。だが、それはそれでつじつまの合わないことがある。

「昨日は一日中だったぞ」

 そう言いながら、あの見るからに暑そうな部屋の中を思い出した。

 山藤……シャントが監禁されていた部屋だ。リューナもさぞかし辛かったろうが、そこまでやるところを見ると、吸血鬼に襲われた者はそれほどまでに忌み嫌われているわけだ。昼だろうと夜だろうと、もはや関係なかったのだろう。

 そう思っての素朴な疑問だったが、沙羅はいささか慌て気味に、ムキになって食ってかかって来た。

「そういうことを突っ込まないの」

「え……」

 思わぬ剣幕にたじたじとなると、沙羅は一言で追い討ちをかけてきた。

「ヘンタイ」

 何を怒っているのかさっぱり分からない。俺が何かセクハラ発言したか? 第三者に誤解されるような物言いは、頼むからやめてほしい。

 ありがたいことに、このゴタゴタに耳を傾けている者はクラスには誰ひとりとしていない。どいつもこいつも異世界転生してくれているのはありがたい限りだ。だが、いつもなら一人二人が聞きとがめて、やがて教室は蜂の巣をつついたような大騒ぎになっていたはずだ。

 それでも、廊下で聞いていたものがいないかと気になって、一応はそっちを確かめてみた。行き来する生徒は少なくないが、立ち止まってまで教室の中を見ている者はいない。

 とりあえず、俺は声をひそめて抗議した。

「何で俺が」

「女はみんな忙しいの」

 沙羅も囁き返した。ただでさえ真顔で言っているのに、余計に凄みがあった。俺はいささかたじろぎながらも、何とか問い返した

「だから、何だって」

 一拍置いて息を抑えた沙羅は、目を伏せると少しばかり頬を赤らめて、ぼそっとつぶやいた。

「……トイレ」

「あ……」

 俺はそれ以上、考えるのをやめた。

 男子の前で女の子がそうそう口にする言葉とも思えなかった。

 代わりに聞いたことがある話で喩えると、違法薬物で捕まった取り調べ中の女性容疑者は、トイレの中にまで腰縄持った婦警がついてくるらしい。

 早い話、リューナを任された女たちは、暑い中でそこまで面倒を見るよりも畑仕事でコキ使った方がマシだと思ったのだろう。

 

 待てよ……問題はそっちじゃないだろ!

「確かに困ってるかもしれんけど、仕方ないだろ、これは」

 吸血鬼の襲撃や村人からのリンチに比べたら、それほど深刻でも緊急でもない。正直、俺としては放っておきたかった。

 山藤に強制労働? 自業自得だ。文化祭の時、何のかんのと不平不満やら屁理屈やらを並べ立てて全く力を貸さなかった報いだ。むしろ、異世界で苦労したほうが現実に帰りたいと思うようになるだろう。

 だが、沙羅はスマホの画面を撫でて山藤……シャント・コウの手元を拡大してみせた。

 呆れたような、それでいてどことなく憐みが感じられる声が、俺に行動を促した。

「これ見ても、それ言える? リンチもんだよ、これ」

 画面の中では、森林伐採をしていたはずの山藤が、いつの間にか畑仕事をさせられていた。

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