第124話 守護天使が自己弁護を図る

 朝礼がいかにさっさと終わろうと、1時間目なんぞはすぐに始まる。だが、女子たちが駆けだしたのは、男どもに取り残されたのが不安だったからだ。

 それは、廊下を遠ざかっていく声のうろたえっぷりからも見当がついた。

「あ、待ってよ!」

 我も我もと逃げ出しながら、吐き捨てるのを忘れないのも女だからというべきなのだろうか。

「あの女さあ」

「聞こえるって」

 止める者もいるにはいるが、女の嫉妬の前には無力なものだ。

「気にしないよ」

 毒づいた女の答えは、自分のことなのか沙羅のことなのかは分からなかった。たぶん、両方なのだろう。

 だが、そんな女どもにもそれなりの試練はあるようだった。

「クリスマス……」

 廊下から、その声が遠ざかることなく聞こえたのは、女子たちがそこで立ち止まったからだ。

「あ、あれは……」

「呼んだでしょ」

 沙羅の話になったようだった。よほどの緊急事態らしく、逃げ去ったはずの男子が戻ってくる。

「いや、俺は……」

「じゃあ、誰?」

 察するに、クリスマスパーティに誘った沙羅が来るかどうかで揉めているらしい。席や料理の予約だのキャンセルだのが絡んでいるのだろう。

 もともと下心があって沙羅を誘ったわけだから、困った男どもは責任のなすり合いを始めた。

「俺じゃないよ」

「でも、約束したんでしょ?」

 銭金がからむと女子の追求は、がぜん厳しくなる。とうとう、男子は哀れなスケープゴートに全てを押し付けた。

「聞いて来いよ」

「俺が?」

 情けない声を耳の端で聞きながら、俺は机に伏したまま動かない沙羅から目を離せないでいた。

 泣き腫らした目に気付いたのは、そのおかげだった。かすかに身じろぎした弾みに、はらりと揺れ動いた髪の間から、目の隈が見えたのだ。

 沙羅は俺の視線に気付いたのか、充血した目を慌てて隠した。何だか気まずくて、こっちも目をそらす。

 その先では男子が教室の出入り口をふさぐ壁となって、廊下から恐る恐る眺めていた。クラスの連中は静まり返っていたが、いたたまれない雰囲気は変わらない。

 俺は決断した。

 沙羅の席に歩み寄ると、だらりと下がったしなやかな腕を掴んで、男どもの視線など構わず教室から連れ出したのだ。

「八十島君?」

 押しのけるまでもなく、道は空けられた。何が起こったのか分からないというふうにきょとんとする男子を尻目に、俺は沙羅の手を強引に引いた。

「来いよ」

「でも、もうすぐ始まる」

 1時間目のチャイムまで、たぶんあと何分もない。だが、俺は言い切った。

「すぐ終わる」

 嬉しそうにからかう女子の声が、俺の背中を押した。

「ひゅ~!」

「ガンバレ~!」

 我に返った男子が、一生懸命に現実を打ち消しにかかる。

「おい、そんなんじゃないだろ」

 だが、女子のテンションは上がっていた。

「いいじゃんいいじゃん」

 それはそれでうるさかった。教室で授業を待ってる生徒が、引き戸を開けて顔を出したりもする。

 そいつらも含めて背後を睨みつけると、教室の野次馬は引っ込んだが女子たちは揃って悪態をつき始めた。

「何あれ」

 男子も黙っていない。俺への嫉妬を剥き出しにして喚く。

「あいつ殺す!」

 対象者は俺だろうが、そこに反応する女子もいた。

「あ、じゃあやっぱりあの女」

 パーティの面子から外してもらえば、俺の心配の種も減る。もっとも、心配する義理がないといえばそうなのだが。

 だが、男子連中は慌てたようで、おそるおそるごまかす者もいた。

「……冗談」

 それを聞くと、俺にも内心穏やかでないものがある。

 沙羅はというと、手を引かれるままに、いつもの調子で俺をからかった。

「あ~あ、男子も女子も敵に回した」

 見かけの割に明るい声だったが、背中に感じる視線は、廊下を遠く離れていく女子の憎悪と男子の嫉妬そのものが針となって突き刺さるようだった。その痛みは、開いていく距離とは関係ない。

 今日いっぱいは、針の筵に座らされるのを覚悟する必要がありそうだった。

 ……負けてたまるか!

 自ら招いた苦難を跳ね返すそうと意気込むしかなかったが、そう思うとよけいに、俺はいちばん近くにいる相手に突っかかってしまった。

「うるさい」

 だが、沙羅は怒るでも落ち込むでもなく、いつもの調子で軽く受け流してくれた。

「無理しちゃって」

 無理があるとすれば、それは時間のほうだった。自分で連れ出しといて何だが、1時間目が始まるまで、あと1分か2分しかない。それなのに、教室の前はまだ、あの男女がたむろしているのだ。たぶん、授業が始まる時間ギリギリまで動かないだろう。

 仮に、授業が始まってこいつらがいなくなるのを待つとしても、問題は残っている。

 いかに教室の中は他人に興味を示さない魂の抜け殻ばかりだといっても、入ってくる教師にはリキまできっちり入っている。沙羅と2人そろって遅れてくれば、そこは男と女だから、あらぬ邪推を招きかねない。

 方法は一つしかなかった。

 ……チャイムが鳴る直前を狙って戻る!

 頭の中で結論が出るのと同時に、どこかでスピーカーの唸りが聞こえた。教室の前を塞いでいた連中がぞろぞろと動きだすのが、ぼやき声や悪態で分かった。

「何だったんだ、今の」

「死ねばいいのにリア充」

 くちぐちに徒労と怨嗟の声が上がる中、俺の耳元をいたずらっぽくくすぐる声があった。

「あたしとクリスマスパーティしない? 2人で」

 俺は敢えて無視した。いちいち冗談に構ってる余裕はない。 

 ……チャイムダッシュ!

 廊下を駆け出したところで追いすがってきた沙羅の顔が、乱れる髪の向こうに見える。泣き腫らした感じの真っ赤な眼は、周りもより毒々しくただれて、ちょっとホラーっぽい。

 目を背けてやると、その意味を察したのか、沙羅が「ごめんね」とつぶやいた。謝るほどのことではない。俺も急いでいたから放っておいただけのことだ。

「どうせまたちょっかい出してくる」

 皮肉ではない。さっき、男同士の間には牽制の雰囲気が漂っていた。お互いの顔色をうかがっていたようにも思われたが、これは誰かが抜け駆けするに決まっているという警戒によるものだ。

 だが、沙羅は男どもの暑苦しい恋心や見苦しい劣情など、意に介する様子もない。短い言葉で、さらりと告げた。

「八十島君が誘ってくれたら行かない」

 そんなことを前にも言っていた気がする。

 ……蒸し返すか、それ!

 だが、俺も慌てているので返答を考えている暇がない。胸までもドキドキするのは、走っているせいだけだろうか。

 とりあえず、一言だけ口にすることができた。

「無理だ」

 明らかな門限破りなのだ。俺んちの場合は季節を問わず午後7時だが、これを超えると、即座に外出禁止や小遣いなしがといった罰が待っている。

 まさに、虎の尾を踏む行為といえた。だが、当の沙羅にとって、やはりそんなことはどうでもいいらしい。

「女の子をクリスマスに独りで放っておく気?」

 言いたいことだけを矢継ぎ早に言い捨てると、沙羅は俺を置き去りにしていった。

 ……知ったことか!

 その後を追うようにして教室に滑り込んだ瞬間、チャイムが鳴った。俺は何事もなかったかのように席に着く。

 ……沙羅は?

 端正な姿勢で自分の席についていたが、ちらっとこっちを見た顔は、意味深な笑みを浮かべていた。

 やはり、NOならNOの返事をしなくてはいけなかったのかもしれない。その不安をごまかそうと、俺は何度も自分自身に言い聞かせた。

  ……断ったよな、一応。

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