第96話 呪われたヒーローのステータス値
……何考えてんだ!
もともと何も考える必要のない園児たちのしりとりは続く。
「バ……バット!」
「ト……トンボ!」
「ボ……ボール!」
そこで言葉のキャッチボールが止まったので、俺は急かされる前に答えた。
「ル……ルールブック」
「ク……」
解答の順番が終わったところで、こいつの判断が意外と合理的だったのに気付いた。流木のように伸ばした身体を仰向けにしたのだ。
……こうしたほうが生き残る確率が高いんだっけ、下手に泳ごうとするよりも。 学校でも夏休み前になると必ず、ホームルームなんかでその辺の指導がある。俺たちも川のあるところで育ったから、水難事故への注意は耳がタコになるほど聞かされたものだ。
……まあ、聞いてたかどうかは知らんがな。昼間は寝ているネトゲ廃人が。
そんな呑気なことを考えている場合ではなかった。
激流の中から現れたケルピーが再び水に潜ったかと思うと、波の間から長い尻尾で、シャント・コウこと山藤耕哉を頭から張り倒したのだ。
……息、持つのか? こいつは。
おそらく、山藤ならありえない。その心配をあざ笑うかのように、しりとりは続く。
「ク……クッキー!」
「キ……きつつき!」
子どものすることだから、後先など考えはしない。同じ字のつく言葉が出てこないで途方に暮れることになったのは、しばしの沈黙で察しがついた。俺は助け舟を出して、ゲームに巻き込まれるのを回避した。
「キーホルダー」
「ダ……」
園児は答えに詰まったが、困っているようではなかった。むしろ必死で考えているようで、すでに強制参加させられているらしいゲームから解放されるのは願ったり叶ったりだ。
さらにありがたいことには、スマホ画面の中で、ケルピーは潜ってばかりはいなかった。水面に姿を現しては、尻尾にしがみつくシャントを溺れさせようとでもするかのように激流の中へと沈む。
……山藤にしては頑張るな。
暴れる怪物にしがみつくだけの筋力があるとはとても思えない。火事場のクソ力というヤツだろうか。
しりとりはというと、たいした無理もしないで続いている。
「ダ……ダンプ」
「プ……プリン!」
「リ……リス」
「ス……」
園児の言葉はまたつっかえたが、こっちの謎は、すぐに解けた。激流から跳ね上がったケルピーに振り落とされたシャントの手に、見覚えのあるものがあったのだ。
……グェイブ?
さっき流されたのが、何かの弾みでにケルピーの尾に刺さったのだろう。さすがにこればかりは沙羅でも無理だろうから、天の助けと言う他はない。
だが、長柄の武器にしがみついたシャント…山藤は、縦回転しながら水中に転落した。
……もういい、グェイブを捨てろ!
身体を自由しないと、本当に溺れてしまう。
……そうなれば、結局はケルピーの餌食だ。
その心配は、思ったより早く的中した。グェイブを抱えたままのシャントを口にくわえたケルピーの馬体が、凄まじい勢いで流れる谷川を横切っていく。
どうしようか、どうにもならないと堂々巡りの考えを巡らせているうところへ、園児の声が横槍を入れてくる。
「ス……お兄ちゃん!」
スマホの中に予想される展開として、思い付きはしても心の中に押さえ込んできた単語が、つい俺の口を突いて出た。
「……スプラッタ」
幼稚園送迎のネコバスの中は、急に騒然となった。
「なにー、すぷらったって」
「しってるー、パパとママがこわいこわいって言いながらテレビ見てたー」
口々に勝手なことを喚きたてる園児たちを、お姉さん先生は穏やかな声でたしなめる。
「そんな時間まで起きてちゃだめでしょう?」
一方の俺は、気色悪いのが嫌で画面を閉じようかとも思った。それでも、スマホを操作する指は動かなかった。
……沙羅でも天の神様でもいい、山藤を助けてくれ!
激流を渡り切ったケルピーは、川岸の大きな岩の上にシャントの身体を放り出した。どうやら、これが食事のテーブルになるらしい。
……これは山藤耕哉じゃない、異世界のシャント・コウだ!
そう思えば画面を閉じるべきなのだが、やはり指が動かない。
……何やってる、沙羅!
どうにもできないからリューナの方に行ったのだが、それでも助けが欲しかった。
……そうだ、モブ!
画面を広域に拡大してみると、この山奥の道をぞろぞろ帰っていく男たちの姿が点々と見える。だが、既にはるか下流の辺りを歩いていた。
……間に合わない!
だが、シャントとケルピーの像が極端に小さくなった分、いちばん残酷な場面は見ないで済んだともいえる。
それでも、シャント(くどいようだが山藤とは別人だ)の生き死にだけは確かめなければいけない。俺はどうしようかと困り果てた。
そんな気持ちなど意にも介さず、園児たちのしりとりは続く。
「じゃあ、タ……タコ!」
「コ……コンブ!」
「ブ……お兄ちゃん!」
いきなり解答を促されるのにも慣れて、俺はすぐさま単語を返した。
「ブ……ブラックコーヒー」
「ヒ……人違い!」
妙にボキャブラリーの豊富な園児の一言で、ふと思いついた。
……これは、ゲームなんだ。
ゲームなのだから、死んだのは本人ではなくて、CG画面上のキャラクターに過ぎない。
俺はそう割り切って、久々にステータスを確認した。
……生きてる?
急いでシャント・コウがいる辺りを拡大すると、山藤はふらつきながらも、グェイブを杖に歩き出していた。
かなりくたびれてはいるが、なけなしの根性は守り切ったらしい。なんだか目の奥がジンとするのを感じたが、最後の1行を見た時、感動の涙は引っ込んだ。
……呪い?
ここが剣と魔法のファンタジー異世界だということは承知していたが、こんなホラーじみたものにまで山藤を立ち向かわせなければならないとは。
先の見えない不安に暗澹たる気分になったとき、ネコバスの運転手が俺に声をかけた。
「この辺のバス停でいいですか?」
我に返って窓越しに吹雪の中を眺めれば、そこはいつもバスに乗る停留所だ。
「降ります降ります降ります!」
ぷしゅうと開いたドアから、鞄を抱えてステップを駆け降りる。
「おつかれさま」
ねぎらいの声に振り向くと、エプロン姿のお姉さん先生が微笑んでいる。
「あ、ども……」
照れくさくて頭を掻くと、まるで冷やかすかのように園児たちが歓声を上げた。
「お兄ちゃん、ばいばーい!」
「また来てねー!」
俺は頬が引きつるのを感じながら、何となく手を振った。
……二度と乗ってたまるか。
腹の中の悪態など聞こえるはずもなく、園児たちの甲高い声と、手を振り返すお姉さん先生の笑顔は、閉まるドアの向こうに消えた。
吹雪の中に走り去るバスを見送るともなく見送ってから、俺は再びスマホを取り出して、異世界転生アプリのメッセージを沙羅に送った。
〔山藤が呪われたぞ〕
部外者が見たらネットいじめのデマにしか見えないだろうが、この異世界の記憶を持って生まれてきた沙羅なら分かるはずだ。
きっと、悪態混じりに何だかんだと細かい注文をつけたり、蘊蓄を傾けたりしてくることだろう。
俺としては、その方がありがたい。こっちから聞かなくても、必要なことは向こうから書いて寄こしてくれることになるからだ。
学校辺りより勢い良く降る雪の中、家に帰ろうとして歩き出すと、沙羅のメッセージは思ったより早く着いた。
着信音は、見逃しを避けるために割と耳障りにしてある。だが、それを吸い込んでしまうくらい雪は凄まじかった。空耳かとも思ったが、とりあえずスマホを取り出してみる。
姫君からのメッセージは短かった。
〔早く! 急がせてリューナが! グェイブがないと山藤君!〕
呪いがどうこうというリアクションではない。文もめちゃくちゃだった。
だが、それは事態が切迫していることを表している。
……そんなこと言われてもな。
スマホのメッセージを眺めながら、どうしたものかと思案に暮れていると、背中でいきなりクラクションが鳴らされた。
振り向いてみると、軽トラに乗ったオッサンが物凄い形相で俺を見下ろしている。歩きスマホをやっていたこっちが悪いのだから、文句の言いようがない。
俺が肩をすくめて頭を下げると、軽トラはチェーンを履いたタイヤで、のろのろと走り去っていった。
……とりあえず、落ち着こう。
どっちみち、シャント…山藤には今、何もしてやれない。リューナが村はずれの「壁」にいるのに自分で気づいて、自分で彼女を助けに行くしかないのだった。
……家までたかが15分かそこらだ。
こんな足下の悪い日に足を滑らせて、スマホを壊してしまってはどうにもならない。カバンの中にしまって、俺は自宅へと急いだ。
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