第164話 テヒブの真意は

 火は完全に城に燃え移っていて、中庭にはもう燃えるものなどなかった。あとは、シャント…山藤に俺のモブ兵士を突破させるだけだ。城の外ではまだ、ヴォクスと鎧たちがリズァークたちと戦っている。

 ちょっと画面を俯瞰視点にしてみると、兵士たちはかなり押され気味になっていた。中には、城を囲む森の中へ逃げ込んでいる者もいる。暗い所で黒い衣をまとっているヴォクスの姿は、画面上では小さいだけに見づらいが、松明の群れのなかをうろうろしている鎧たちは大きいので、兵士たちを追い回しているのが何となくわかる。

 松明の光が点になってあっちこっち動き回っている一方で、城を挟んだ反対側はガラ空きだった。たぶん、シャント…山藤が最初にやってきて城の周りを歩き回っていたときと全く変わらない暗さだろう。城から抜け出したら、誰が適当なモブ兵士を使って追い回してやれば、ここに誘導できる。あとは、ほとぼりが冷めるまで放っておけばいい。

 だが、そんな悠長なことも言っていられなかった。いつのまにか鎧が1体戻ってきていて、俺のモブ兵士の背後に回っていたのである。

「しまった!」

 遅かった。鎧は一撃でモブ兵士を中庭の端っこにまで吹っ飛ばすと、山藤に予定外の試練を与えるべく襲いかかったのである。

 画面を拡大してみたが、俺に何ができるわけでもない。さっきは俯瞰視点だったおかげで、モブ兵士の惨い最期を見ないで済んだ。もし、山藤が鎧の一撃をかわせなければ、俺はせっかく避けられたものをわざわざ目の当たりにすることになる。

 しかも、顔見知りの……。

「他のモブは……」

 いない。ただ、鎧の拳が振り上げられただけだ。次の一撃で、シャントは死ぬ。山藤や俺としてはゲームオーバーになるだけなので、気にしなれば済むと言えば済むのだが、つい叫ばないではいられなかった。

「逃げろ!」

 モブ兵士たちだったらこれで終わりなのだが、山藤は違った。

 といっても、あまりよくない意味で。

《ひゃあっ!》

 完全にすくみ上がって、地面をごろごろ転がった。ここまで臆病に逃げられると、かえって気持ちがいい。何にせよ、助かったのはよいことだ。

 だが、第二撃が来る。寝そべったままの身体に、真上から巨大な鉄拳が降り注ぐ。肋骨や背骨が折れ、内臓が破裂しても不思議はないくらいの勢いだった。

「山藤!」

《ううっ!》

 俺の声に応えるかのように、このネトゲ廃人は次の拳も凌いでみせた。さっきのモブ兵士が落としたハルバードを両手で持ち上げ、叩きつけられる拳の軌道を、わずかではあるが、何とかそらしたのだった。

 ただし、ハルバードの柄はぼっきりと折れて、先端の刃や穂先はどこかへ飛んで行ってしまった。シャントの手に残ったのは短い棒っ切れだけだ。

 それでも、ないよりはマシかもしれない。シャントはそれを手放すことなく、ころりと転がって起き上がると、必死の形相で逃げ出した。

 山藤にしては、速い。

 拳の届かない位置までなんとか引き離したが、いかに鎧がウドの大木で動きがノロいとしても、歩幅が違う。しばらく経つと、追いつかれそうになる。

 大きな手が掴みかかる。だが、動きながらでは狙いが狂うのか、生き延びようと全力を尽くす山藤を捕まえるには及ばない。

 見ている方を何度かヒヤっとさせながら、シャントは動く鎧の伸ばす手をすり抜けてはかわし続けた。

 だが、やっぱり山藤は山藤だった。体力の限界は、常人よりも早く襲ってくる。息が切れてしゃがみ込んだ場所は、よりにもよって中庭の奥で燃え盛る館の入り口だった。

 前には鎧の巨体、後ろは炎の荒れ狂う館だ。扉を開けて逃げこめないこともないが、脱出の術は恐らく、ない。

 手の中の棒を突き出して牽制する気力が残っているのは賞賛に値するが、焼け石に棒……ではなく水とはこのことだ。

 鎧の大きな影が、両手を高々と組んで振りかぶる。それが脳天に降ってくると分かってはいたが、俺も山藤も、どうすることもできなかった。

 叩きつけられる、岩のような拳。

「あ、ああ……」

《うわああああ!》

 だが、それがシャントの頭を砕くことはなかった。

 打ち砕かれたのは、鎧のほうだったのである。

 兜が、胸当てが、肩当てが、籠手が、四方八方に飛び散る。

 残った太い腿当てと脛当てが、左右にバタンと倒れた。

「……何で?」

 呆然としているのは、シャント…山藤も同じことだった。

《お前は……!》

 そこには、マントを羽織った長身の男が立ち尽くしていた。刃渡りの長い、両手持ちの大剣を、斜めに振り抜いたままの姿勢で携えている。

 山藤だけでなく、俺もその姿には見覚えがあった。

「リズァーク?」

 俺と山藤が考えたことは、たぶん、全く同じだった。

 逃げる。

 だが、スマホの向こうにいる山藤にできることはない。そして、リズァークに胸ぐら掴まれたシャント・コウは、残念ながら山藤耕哉だ。何ができるはずもない。 はるかに背の高いリズァークは、捨て猫でもつまみ上げるかのように、シャント…山藤をその手にぶら下げた。

《見た顔だな》

 シャントの顔が横に振られた。

 いきなりこれだ。山藤がどう言われたと思ったか知らないが、この世界では、「確かにお会いいたしました」のサインだ。

 リズァークは、新しい悪さを思いついた子供のように口元を歪めて笑った。

《いい度胸だ》

 シャントが、顔を引きつらせながら愛想笑いをする。この状況では、逆効果だ。俺なら、挑発と取る。

《あの村だな》

 また、シャントは首を横に振る。これで、完全に喧嘩を売った形になる。

《こんなところまで、1人で仕返しに来るとはな》

 文脈からすると、そう取られても仕方がない。だが、異世界語でこんな複雑なことを喋られても、山藤に理解できるわけがなかった。

 当然、こいつはポカンとしているしかない。無言の間というものは恐ろしいもので、ときには鼻持ちならない無言の抗議になることもある。

《それなら、相手になってやろう》

 リズァークはシャントの身体を投げ落とすと、腰の短剣を放ってよこした。短いとは言っても、かなり刃が広い、刃渡りも30cmはあるだろう。現代日本でいったら明らかに銃刀法違反だ。

 シャント…山藤は一歩引いたものの、武器が欲しかったのか、短剣を拾い上げてしまった。これで、挑戦を受けたことになる。燃え盛る館を背にして追い詰められた形になったまま、ここを突破するのは山藤でなくても至難の技だろう。

《受けてみるがいい》

 予告つきとは涙もののハンデだが、異世界語では理解できまいし、できたところで山藤の反射神経では間に合わない。両手持ちの大剣が、大きく振りかぶられる。

 だが、リズァークの剣が唐竹割にシャントを叩き切ることはなかった。

 どこからか聞こえてくる、別の異世界語があったのだった。

《迷い込んだのだ》

 リズァークの剣が、はたと止まる。

《その声は……》

 テヒブだった。どこで話しているのかと俯瞰視点で探し回ると、さっき暗闇になっていた辺りに、白い服をまとった黒い影がある。

 おそらく、リューナを抱えているのだろう。やはり、助け出していたのだ。

 リズァークは、どこにいるかも見当をつけられないまま、悠々とした声でテヒブを脅しにかかった。

《つまらんウソをつくと、このガキを殺す》

《倒しに来たのだ、ヴォクスを》

 俺は一瞬、耳を疑った。

 いま、テヒブはヴォクスの下僕になっているはずだ。

 それなのに、自分の主人への刺客がいることを敵に教えるというのは、いったい……。

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