第129話 守護天使とネトゲ廃人の夜

 こっちもすっかり日が暮れて、神社の中は真っ暗になっていた。鳥居の外を、車のヘッドライトが何度も通り過ぎていく。

 シャント…山藤が村長を味方につけたのを自分のスマホで確かめた沙羅は、すっかり異世界の姫君としてのペースを取り戻していた。

「さっすが私の山藤君ね。もう、こっちへ帰らなくていいんじゃない?」

「そうは行くかよ」  

 俺は、スマホの中で村の男たちがばらばらと去り、ククルも父親と共に家路についたのを眺めながら言い返した。

 村長はといえば、すっかり低姿勢になって傍らでゴマをすり始めている。 

《シャントさんとおっしゃいましたな。これまでのご無礼、平にお許しを》

 見ていてこっちがいたたまれなくなるくらいの変節ぶりだった。暗がりの中で沙羅の溜息が聞こえたが、やっぱり呆れているようだ。

 リューナが不機嫌そうにシャント…山藤との間に割って入ったが、村長はそそくさと反対側に回り込んだ。

《よろしければこれからも拙宅でお世話を》

 もちろん、そんな複雑な異世界語が山藤に分かるわけがない。きょとんとしているところで、村長の妻に背中を叩かれた。

《ボサっとしてないでこっち来な、夕飯だよ》

《こら、失礼じゃないか》

 叱りつける村長は、妻から猛烈な勢いで反撃されることになった。

《居候なら用心棒くらい当たり前じゃないか! 何だい、こんな小倅こせがれにヘイコラしてさ、いい年こいて恥ずかしくないのかい!》

 そこで顎をしゃくった先には、リューナがいた。

 ……気の強い娘だからなあ。

 横柄な物言いに何か逆らって、ひと悶着起こすかもしれなかった。だが、それはそれで俺の望むところだ。そうすんなりと物事が運ばれては、山藤を甘やかすことになる。

 ところが、リューナはすんなりと村長の妻に従って家の中へと戻った。シャント…山藤はそれを呆然と見送っていたが、村長に促されて後に続いた。

「はい、一件落着。お疲れ様でした」

「落着してないし、疲れてもいない」 

 即座に切り返して、俺はベンチから立ち上がった。

「もう帰るからな」

「送って行ってくれないの?」

 それが当然であるかのような物言いと共に、沙羅が暗い中にも俺を見上げているのが分かる。ちょっとムカッときたが、頼みを断るだけの正当な理由はどこにもなかったし、正直言うと、そこまで嫌でもなかった。

「誰が送らないって言った?」

 極力、感情を表に出さないように告げたつもりだったが、少しばかり声が裏返った気がした。沙羅も、くすっと笑った。

 こういうのを、いい雰囲気というんだろうか。俺にはそんな経験がないから、よくは知らない。とにかく、こんなにふわふわした、くすぐったいような気持ちは初めてだった。

 だが、それも、不愉快な第三者の介入ですっかりかき消されてしまった。

「ちょっと時間と場所を選んだほうがいいんじゃないのかね」

 どこかで聞いたような声だとは思ったが、その主の顔も名前も思い出せない。その姿を探してみると、真後ろにいた。

 沙羅もそれに気付いたのか、立ち上がるなり折り目正しく一礼して言った。

「こんばんは、先生。お帰りはこちらでしょうか?」

 またしても、担任だった。気分を害された俺はつい、皮肉たっぷりにバカ丁寧な口の利き方で応じてしまった。

「その時間と場所がよく合いますね、驚きです。何万分の一の確率でしょうか」

「いや、学校にご注進の電話が入りましてね」

 担任は別にムキにもならず答えたので、俺は拍子抜けして二の句が継げなかった。

「不純異性交遊ですか?」

 明るく軽い声で代わりに口を開いたのは、沙羅だった。直球を投げられて担任はたじろいだようだったが、すぐに開き直って答えてみせた。

「まあ、そんなところですね。誰が見ているか分かりませんよ」

 俺は波風立てるのは嫌いだが、それは心の中でも例外ではなかった。納得できないことを放置しておくのは、どうにも居心地が悪い。

 日ごろは平穏だの平凡だの言いながら、俺はそれに反して担任に言葉を返した。

「やましいことは何一つありません」

 口答えというには押しに欠けていたが、それはやはり衝突を避けようという打算がどこかに働いていたからだ。俺としてはすっきりしないものが残ったが、担任としてはこっちのほうに説得力を感じたようだった。 

「信じましょう。だからもう、お帰りなさい」

 さらりと肩透かしを食らったが、それが何とも面白くなくて、俺は担任に挨拶もせずにその場を離れた。代わりに、沙羅がその場で頭を下げたらしい。

「ご心配かけて申し訳ありませんでした。八十島君も気が立ってるみたいなので、今日は許してあげてください」

 見事に俺ひとりを悪者にして、沙羅はさっさとその場を離れた。慌てて後を追う俺の後ろから、担任は意味のよく分からないことを告げる。

「豆ガラのおかげで豆はよく煮えたようですね」

 気にはなったが、独りでその場に残されないよう、沙羅に追いすがるのが先決だった。その上、担任がよけいな口を挟んだせいで、沙羅を家に送る気もどこかへ失せてしまったのである。

 橋の袂で、沙羅は愚図ったものである。

「話が違うんだけど」

「一人で帰れるだろ、すぐそこなんだから」

 バスターミナルに向かって歩きだそうとすると、沙羅がついてきた。

「何だよ」

「約束破った罰! ……誰か知ってる人は、と」

 橋の上に、部活帰りらしいジャージ姿の生徒が1人見えた。おーい、とそっちへ手を振る沙羅の手を引いて、俺はバスターミナルへ逃げ出した。

 そして、数分後。

「じゃあね」

 バスの窓から見下ろすと、手を振る沙羅がそう言うのが何とか聞き取れた。俺はこういうとき、こういう相手にどう応えていいのか分からない。曖昧に手を挙げて何となく振ってみせると、バスが動き出した。

 バスターミナルを出ると、その明かりが冬の街の闇にじんわりと溶け出しているのが遠ざかっていく。人影はないから、沙羅はたぶん、んターミナルのストーブで暖を取っているのだろう。寒い中を全力で走ったのだから、仕方がない。

 俺は、おそらく沙羅も眺めているであろうスマホの画面を確かめた。

 そこには、ロウソクの灯に照らされたテーブルに向かって、夕食を取る4人の姿があった。村長夫婦とリューナ、そしてシャント…山藤だ。

 山藤は、村長からやたらと豆のスープを勧められて、困り果てているようだった。

《もう少しいかがですか、まだありますよ》

《いや、その……もういいです》

 もちろん、日本語が通じるわけもなく、山藤は「NO」のサインとして頷き続けるしかない。それを見て取った妻が、顔をしかめてたしなめた。

《無理に食わせるこたあない、心配しなくても人数分しか作ってないんだから》

 だが、村長は聞いてもいない。誰の分だろうと見境なく、山藤が前にした皿に盛ろうとする。

 最初は言われるままにスープを口にしていた山藤だったが、とうとう自ら行動を起こさないではいられなくなったらしい。

《……寝る》

 たどたどしく異世界語で告げると、席を立った。村長が慌てて、後に続く。

《もうおやすみですか、では、ベッドを……早く、柔らかいのをすぐ!》

 最後の一言は妻とリューナに対するものだったが、2人とも動こうとしなかった。

 リューナが村長の妻をじっと見つめているのは、家の勝手を知らないためだろう。だが、その老婆は重い腰を上げようともしない。シャント…山藤を追って廊下に出てしまっている村長について、大声で言い放ったものである。

《自分で持ってきな、不精者!》

 だが、夕食が終わってもベッドメイキングは終わらなかった。結局、村長の妻とリューナが手伝いのために2階へ上がり、終わった時には荒い息をついて階段や2階の廊下にへたり込む羽目になったのである。

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