第142話 守護天使に休暇はない
山藤が見たメッセージは、もちろん俺がモブを使って書いたものだった。それがいつかというと、装備の準備が全てムダになった次の朝のことだ。
俺が目を覚ましたのは、一晩中つけっぱなしだったスマホから聞こえる怒鳴り声のせいだった。
画面を見ると、村長がベッドの中のシャント…山藤に逆上している。
《何やったんだ! 窓!》
山藤にしては、思い切ったことをしたほうだ。ヴォクスが夜中に襲撃してくるかもしれないのだから、窓格子を壊してでも、杭を準備するのは早い方がいい。問題は、完成までこいつの根性と集中力がもたなかったことだ。
村長に一喝された山藤は挑発的なことに、さっさとベッドから下りて、窓格子の一部だった角材をナイフで削り始めた。
……何考えてんだ、コイツ。
せっかく味方になってくれた村長に喧嘩を売ったのはワケが分からなかったが、そこは山藤だ。多少のことはやらかしても不思議はない。
だが、村長が引き下がったのは意外だった。家の一部を破壊されても我慢しなくてはならないほど、シャント…山藤に任せた吸血鬼退治は重大な問題なのだろう。 それを担う方には、それだけの力があるかどうか。現実に連れ戻すにはそれなりの苦労をしてもらわなければならないが、ミッションが解決されなければたぶん、こいつは帰れない。
俺はちょっと心配ににって、朝食前にちらっと確かめてみた。
吸血鬼の弱点を突く方法は、ニンニクしかない。これではかなり心もとない。あまり窮地に追い込むと、山藤自身の命を危険に晒すことになる。
確かに、このアプリの中ではゲームがリセットされて別のキャラクターに転生することになるだけだが、それでも人間ひとり死なせてしまうのは耐え難いことだろうと思われた。
……今日一日は、邪魔するまい。
やる気は一旦、挫いたのだ。立ち直ったのなら同じ苦労をさせればいい。
俺はスマホをカバンにしまうと、朝食前に制服を着た。いつもは出かける直前に、慌てて着ているのだが。
授業は今日で終わり、週明けは終業式になる。12月に入ってすぐ、転校してきた沙羅に散々振り回されたが、冬休み前の一日くらいはは静かに終わらせたかったのである。
それでも、バスに乗ってしまうと異世界の様子が気になりはした。沙羅を気にすることはないとしても、山藤の運命を握る対戦相手として、無視はできない。
スマホの中の異世界では、もう村人たちが働き始めていた。
山藤はというと、庭でせっせと杭を削っている。その手つきは、俺が見ても不器用極まりない。それを見かねたのか、庭の反対側で豆を剥いていたリューナがやってきて言った。
《私がやるわ、その杭削るの》
シャント…山藤から受け取ったナイフを鮮やかに捌いて、リューナは杭の先を尖らせていく。
俺はもう何もするつもりはなかったが、ここで楽をさせるわけにはいかなかった。
村長の妻のそばにいた女をモブに使って、この光景を指差させる。これだけで、村長の妻は文句を言いに行った。
《口に入る豆よりも、土に食わせる杭かい》
穏やかな口調だった。さすがに、吸血鬼退治を頼んだシャントの手伝いを止めるには、言葉を選ばなくてはならなかったのだろう。
だが、皮肉たっぷりの物言いに、リューナはすぐさま言い返した。
《私の分、終わりました。荷車まだですね?》
流暢な言い方ではないが、単純な言葉だけで要点が的確に述べられた、鮮やかな表現だった。
そこへタイミングよく荷車が戻ってきて、リューナはまた仕事に掛からなければならなくなった。シャント…山藤は再び難儀して杭を削り始めることになったが、これも、別に俺が仕組んだことではない。やはり、七難八苦を与えなくてはならないほど楽ができる状況ではないようだった。
バスターミナルでバスを乗り継いでも、俺は何となく画面を眺めていた。学校に着くころになると、杭を削り終えた山藤は、木槌で車輪を叩いてから動き出した荷車を追って走っていった。働いた報酬に、木槌を貰おうというのだろう。
……それでいい。だが。
モブにはまだ、マーカーが残っていた。俺はそれを動かして、村長の家の戸に、指で引っ掻いたメッセージを残させた。
<これは、あなたのための闘いだ>
夕方に帰ってきたら、グェイブの光でこれが見えることだろう。
リューナのために立ち上がった山藤にも、いずれは気付いてもらわなくてはならないのだった。
これが、現実世界に戻るための闘いだということに。
一仕事すんだところで、俺はバス停でスマホの電源を切って、2学期最後の授業を受けるために校門を通り抜けた。
昨日の担任と同じように、切りのいいところで終わろうとする授業は、時にせわしなく、時に間延びして、どちらの意味でも俺をどっと疲れさせた。異世界転生した他の連中は魂が抜けているから、そんな退屈も苦痛も感じることはないだろう。
沙羅はというと、涼しい顔で授業を受けては、休み時間のたびにやってくる男子生徒たちを上手にあしらっていた。
話題は主にクリスマスパーティーの誘いだったが、沙羅は言葉を右へ左へ翻して、なかなか答えを出そうとしなかった。
そのとばっちりを食ったのは、俺である。
昼休みに弁当を済ませて、沙羅の周りに集まった男子たちの口説き文句に耳を傾けていると、俺の席の周りに人の壁ができたのだ。
いつもは教室のそとでひそひそやっている、他クラスの女子たちだった。
「ちょっと、顔貸してくれない?」
感情を押し殺した低い声に、俺はただならぬものを感じた。ここで逆らえば、いつも通りの平穏な休み時間は台無しになる。唯々諾々と従うしかなかった。
こういうときの呼び出しは、人目につかない体育館裏と相場が決まっている。俺は、まだ雪が除けられていないコンクリートの周回路をスリッパで踏みしめながら、顔も名前もよく知らない他クラスの女生徒の強制連行を受けることとなった。
体育館裏のフェンスのは山の斜面になっているので、吹き下ろしてくる風は凍えるほど冷たい。ほとんど拷問であるが、もちろん、これは俺に要求を呑ませるためである。
どこぞのアイドルグループもかくやと思うような同じデザイン、同じ色の制服が、眼の前でビシッと着こまれている。それはこいつらが品行方正だからというわけではなく、ただ単に、そうしないと寒いからだろう。
その中の、険しい表情をした1人が、俺を低い声で責め立てた。
「あれ、何とかしてほしいんだけど」
いくら寒いからといっても、抽象的に言われて分かることを敢えて具体的に聞いて、怒りの炎を焚きつけることもない。
俺は一言で答えた。
「分かった」
目の前の女子は無言でうなずいたが、できもしないことは約束できない。この場は凌げても、後々、大きな災難を招いたら何にもならないのだ。
だから、俺は一言付け加えた。
「できるだけのことはする」
だが、その至極穏当な回答は、即座に却下の憂き目を見た。
「意味ないのそれじゃあ!」
「だって結局、綾見が決めることで」
俺がその場で言い返したのは、早く暖かい教室に戻りたかったからだ。沙羅への誘いを受けるも断るも沙羅次第だ。俺に何ができるというのだろうか。
だが、そんな疑問は女の思い込みひとつで一蹴された。
「つきあってんでしょ、あんたたち!」
「……はい?」
いつの間にそんなことになったのか。
俺はしばし戸惑ったが、その隙に女どもは集中砲火を浴びせてきた。
「男子追い返して一緒に帰ってるでしょ!」
「バスのくせに一緒に歩いてくるじゃない!」
「手えつないで逃げたし!」
そう言われてみれば、誤解されても仕方ないことを幾つもやっている。俺が言い返せないでいると、女どもはさらにムチャクチャなことを言ってくる。
「何あの女、あんたがいるのに何、男の子いっぱい集めて!」
そういうのを逆恨みという。
「ちゃんと管理しなさいよ!」
人を物のように、というか、沙羅は俺の所有物ではない……そう、俺のものでも何でもないのだった。
だから、ここを逃れる方法は、ひとつしかない。俺は叫んだ。
「関係ない! 俺と沙羅は……」
だが、女というのはどうも男の言葉尻には敏感なもののようだ。
「沙羅……?」
俺はすぐに言い直した。
「綾見だよ綾見、綾見とは何の関係もない、面白がってからかわれてるだけ、迷惑してんだ!」
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