第111話 守護天使、薄幸の美少女を組み敷く
シャント・コウは、スマホ画面の中で最初の一歩が踏み出せないでいた。俺はイライラと壁の周りを拡大したり縮小したりしながら、リューナ救出のための行動が起こされるのを待っていた。
……何やってんだよ山藤!
もっとも、山藤だから仕方ないといえばそうである。所詮は根性なしのネトゲ廃人だ。武器を持った兵士のど真ん中に斬り込んでいけというほうが無理である。
丘の上から回り込むという方法もないではなかった。それは、上空視点から広い範囲を画面に収めて気付いたことだ。
壁の向こうは、丘が低い地面を両手を広げて抱え込んだような地形になっている。村へと続く道は、その両手それぞれの指先にあたる斜面に挟まる形で、外の世界とつながっていた。
僭王の使者の天幕は、その道をふさぐ形で建てられていた。周りでは、護衛の兵士が長柄の武器を手に、規則正しい動作で行ったり来たりしている。丘の上から奇襲をかけられればいいのだが、1人でやれることではない。そこそこの人数が必要だった。
だいたい、足元がどうなっているかも分からないところで、このネトゲ廃人に山登りなどできるわけがなかった。転んで足なんぞ挫かれたら、目も当てられない。
だが、そこで俺は心配になった。
……腹でも壊したか?
何か決定的な不調があるのかもしれない。それでも、リューナのいる天幕までたどり着いてもらわなければならないのだ。
念のため、ステータスを確認する。
身体はクタクタ、身も心も疲れ切っている。無理もない。山の中を一日中歩いて、川の中でケルピー《川馬》と戦って、ここまで戻ってきたのだ。ネトゲ廃人にしては、よくやったほうだ。
だが、ここまでヘタっていては目的が達成できるかどうかもおぼつかない。確かに子どもたちの信頼を得たというのは、ささやかな成長ではある。とはいえ、それは今の問題解決には何の役にも立たないのだ。
……全く、山藤どのというヤツは。
もうどうにもならないと、俺が諦めかけてスマホを畳の上に置いたときだった。
《うおおおおおお!》
雄叫び、というには余りにも甲高い、どっちかというと悲鳴に近い声が聞こえた。何もかも投げ出して大の字に横たわろうとしていた俺は、慌てて部屋中を見渡した。
……何だあ?
山藤の声だと思い当たってスマホ画面を見ると、小柄な人影が長い竿を手にしてヤケクソ気味に走っている。
シャント・コウがようやく、壁の向こうへの一歩を踏み出したのだ。
僭王の兵士たちが、柄の長い斧を手にして駆け寄ってくる。狙い通りだった。大人数相手に、シャント・コウ…山藤が勝てるわけがない。捕まれば、必ず武器は取り上げられる。俺は、持ち主でないものを弾き飛ばす衝撃と閃光が発せられるのを待った。
だが、それはいつまで経ってもやってこなかった。
殺傷行為を禁じられている兵士たちは遠巻きにシャントを包囲すると、その場から動かなかった。シャントも囲まれたまま、輪の中心で棒立ちになる。自分からは斬りかかろうとしない。
……しまった!
お互い、睨み合いになっている。もっとも、シャント…山藤が相手に睨みを利かせられるかどうかは知らない。どっちにしても、それはグェイブを触る者がいないということだ。これでは、兵士たちを吹っ飛ばす計画がおジャンになる。
そこで俺は、はたと気付いた。そもそも、天幕の中にリューナがいるという保証はない。
沙羅のメッセージでは、「兵士たちがいやらしい目でリューナを見ないように、僭王の使いが監視している」ことになっている。
だが、その場所までは指定していない。僭王の使いは天幕の中にいて、リューナを目の前に置いていると俺が思い込んでいただけなのだ。
慌ててメッセージを送った。
〔リューナはどこだ?〕
そんなことを言っている間に、力の均衡が破れるかもしれない。そのとき、いくら兵士たちが吹っ飛ばされたとしても、リューナの居場所が分からなかったらシャント…山藤は捕まり損だ。
だが、返事はない。
俺は慌てて、マーカーを兵士たちの頭の上に片っ端から置いて回った。もちろん、この修羅場の当事者でない兵士などいない。
いや、1人だけいた。なぜかシャントの包囲に加わっていなかった兵士が、天幕の入り口にかかった布をはねのけたのである。
その行動の不自然さに、俺は沙羅が行動で質問に応じたのを悟った。すると、その心配は杞憂にすぎなかったことになる。どうも、慎重になりすぎたようだが、それもこれも山藤が腰抜けなせいである。
そこで、聞き慣れない声がした。
《リューナ、どこへ行く!》
天幕の陰から、飛び出してきた者があった。だが、リューナは金色の髪を振り乱して、兵士たちの背中を押し分ける。
呼び止めたのは、僭王の使いだろう。ただ、あの鎧姿は追ってこなかった。兵士たちが止めるものと思っているようだった。
だが、兵士たちは突然のことに、一瞬うろたえた。そこに隙が生まれる。おろおろする兵士のひとりが、俺のマーカーに掴まった。
そのとき、ようやくシャント…山藤が叫んだ。
《リューナ!》
俺はその間を遮るように、モブ兵士を前に出した。シャントに向かって歩かせる。だが、なかなかグェイブは振り下ろされない。山藤も踏ん切りがつかないのだろう。構わず、その眼の前に、斧の柄を持った兵士の腕をゆっくりと差し出す。
《どけ!》
山藤が喚くと、子どもたちの上着を括りつけたままのグェイブに、モブ兵士の斧は弾き飛ばされた。中途半端に支えていた手から離れて、取り囲む他の兵士の目の前に落ちる。
その刃を辛うじて逃れた者たちからは悲鳴が上がった。
《ひええええ! ハルバードが、ハルバードが!》
一方で、それを見た他の兵士たちは一斉に色めき立つ。ハルバードとかいう長柄の武器を手に手に構えて、シャントに向かって殺到した。
《このガキが!》
《殺っちまえ!》
こういうとき、人間の言葉というのは異世界でもやはり極端に貧しくなるものらしい。もっとも、シャント…山藤からすれば喚き声に過ぎないのだから、豊かな意味を持っていても同じことだ。
さすがに大人数に刃物を持って迫られると、山藤も腰が引けるものらしい。グェイブを構えることなく抱えたまま、その場に立ち尽くす。
〔何やってんのよ!〕
沙羅のメッセージが届いた。その手間はさっき、自分で省いたはずである。それを敢えてかけるくらいの苛立ちが、露わになっていた。
リューナはといえば、やはり恐ろしいのだろう、俺の操るモブ兵士からじりじりと後ずさっていく。
今度は俺が行動で応じた。メッセージを打っている暇などない。
シャント…山藤にスイッチを入れないとどうにもならないのだ。この臆病なネトゲ廃人に、ひとりの少女を救うためにその身をなげうつ覚悟を決めさせる方法は、1つしかなかった。
リューナを危険に晒すのである。
もっとも、モブの手を動かしてハルバードを掴ませるのは手間のかかる作業だった。俺はマーカーを置いた兵士をリューナに向かって歩かせた。
逃げればいいものを、松明の炎に揺れる金色の髪の陰から、輝く瞳がキッと睨みつけてくる。真一文字に結んだ唇は、恐怖に耐えているのか、微かに震えている。
……すまん、リューナ!
たかがCG画面上の相手にすぎない女の子に、心の中で謝る。
モブ兵士の足をタップして止めると、自然と両脚はもつれた。ハルバードを持っていれば杖にもなったのだろうが、そんなものがあっては困る。
俺はシャントを戦わせるために、とんでもないことをしようとしていた。リューナが逃げるまいとしているのは、毅然とした立ち姿でも分かる。俺のやっていることは、その姿への侮辱でしかなかった。
僭王の兵士が、村の少女をその場に組み敷いた。
瞬時に、沙羅のメッセージが抗議する。
〔最低!〕
スカートがまくれて胸元がはだけ、露わになった太腿や豊かな胸が目に入る。俺はそれを隠すかのように、画面を変えてメッセージを打った。
〔そんなもの見るためじゃない!〕
〔何見てんの信じらんない!〕
〔見てねえっつってんだろ!〕
一切の弁解が通じない状況だった。俺は諦めて画面の視界を広げる。
シャントを取り囲む兵士の輪が映し出されたが、自分たちの権威を汚す同輩の行為を止めようとする者はない。
むしろ叫んだのは、輪の中心にいる小柄で貧相な男だった。
《リューナ!》
俺はシャントの姿を拡大した。
……そうだ、山藤! それだ!
シャントは、グェイブを覆っていた子供たちの服を上着を放り出した。剥き出しになった刃の放つ光が、恐怖で歪む兵士たちの顔を浮かび上がらせる。
《抜いたぞ!》
《殺れ!》
取り囲む輪のあちこちで口々に叫んだ僭王の兵士たちが、一斉にシャントに襲いかかった。
だが、シャントはそんなことにはもう構わない。グェイブをめちゃくちゃに振り回しながら、狭まる輪の外で組み敷かれたリューナめがけてまっしぐらに走る。
その先にある人の壁は、意外に厚かった。やはり訓練されている兵士である。刃物を持った暴漢を前にして、とっさに密集したのだ。
普通に考えたら、いかに強力な武器を持っていようと、そんな兵士たちを前にしてはシャント…山藤などひとたまりもないはずだった。
だが、がむしゃらな突進が阻まれることはなかった。
投げ捨てられた子どもたちの服を一陣の突風が舞いあげたかと思うと、立ちはだかる兵士たちの顔にかぶせて目をふさいだのである。
シャントは慌てふためく兵士たちを押しのけて、心ならずも俺…じゃなくてモブ兵士が押し倒したリューナを助けに向かった。
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