第110話 ネトゲ廃人、計画性もなく僭王の戦士に挑む
女の子から目をそらすと、そこで見えたのは、松明の光が見える方からやってくる兵士だった。手には、ハルバードを持っている。
……気付かれた?
僕は遠くの松明の光で何とか見える、壁の石垣を眺めた。とにかく、そっちへ行かなければならない。
丘が崖崩れを起こしてできたところが道になってるみたいで、そこに木の枠を組んで、大きな石が積んである。確か、僕の背の倍はあったと思うけど、暗いところで見ているせいか、結構大きい気がした。
兵士が近づいてくる。松明は持っていないから、暗いところは見えないだろう。でも、壁の崩れたところに近づいたら気付かれてしまうかもしれない。
……どっちに逃げよう?
とにかく、子どもたちからは離れたほうがいい。最悪、見つかってしまっても僕が囮になれる。
僕は左右を見渡した。
……明るい方か? 暗い方か?
リューナを助け出すんなら、壁の向こうから光が漏れてきているほうだ。でも、子どもたちから離れて待っていれば、兵士は気付かないで、村の人たちが捕まっているほうへ戻っていくかもしれない。
兵士は、まっすぐにこっちへ歩いてくる。歩き方がなんか小刻みだ。
……トイレかなんか切羽詰まってるんだろうか?
草の茂みに近寄られたら、子どもたちが見つかってしまう。どっちみち、急がなくちゃいけないみたいだった。
……いざとなったら、壁の方へ注意を向ければいいんだし。
とりあえず、壁に駆け寄った。遠い松明の光でぼんやりとしか見えないが、これのためにどんな目に遭わされたか、思い出すだけでも腹が立つ。
カンカン照りの下で帽子もなしに山の中で重労働だ。手枷はめられて大きな石を荷車で運ばされて、大木切り出してはまた、荷車に載せて運んで、よく身体がもったなと思う。
その結果が、これだ。
吸血鬼を村から締め出すためのバリケード。コウモリや霧に姿を変えられる相手に、全く意味がない。何にも知らないくせに人を死ぬほどコキ使って、吸血鬼に襲われたリューナを監禁して、男どもなんか雨の中で……。
絶対に許せない。
……あの子たちの涙がなかったら。
あんな連中でも、親や兄弟なのだ。子どもたちは僕を信じて助けを求めてきた。答えなくちゃ、男じゃない!
さっき隠れていた木の辺りを振り向いてみたけど、草むらは動かないし、物音もしない。
……待ってろよ、絶対、助けてやるからな。
そのためには、まず、どっちに行くか決めなくちゃいけない。
まず、暗い方へ行けば安全だ。いったん、丘の方へ回り込んで、壁の向こうに行けばいいのだ。松明は見えないから、たぶん、兵士はいない。
……じゃあ、こっちだ。
でも、何がいるか分からない。RPGでHP少ない時のマップの上で行き先が分かんなくてうろうろしてると、いきなり強いモンスターとかが出てきて殺される、あれだ。
だいたい、暗いのは怖い。もういやだ。
そう思ったとき、せかせか歩く兵士は僕の目の前までやってきた。
息をしないようにして壁に貼り付きながら、ちらっと後ろを見てみる。
……気づかれた?
だったら、暗い方に逃げちゃいけない。そっちの草むらには子どもたちが隠れてる。他の兵士を呼ばれたら、間違いなく捕まる。
……どうする?
兵士は、僕に気が付かなかったみたいだった。暗い方へ行って、見えなくなる。そんなら、明るい方へ行けばいい。
そっちは間違いなく、兵士たちがいて、見つかっちゃう。でも、そっちへ行けば間違いなくリューナがいるのだ。
僕は足音を立てないように気をつけて歩きだした。
……でも。
このままでも子供たちは見つかっちゃうかもしれないのだ。見捨てては行けない。でも、戻って戦えば、結局、他の兵士もこっちへやってくる。
……どうするんだよ!
やっぱり、子どもたちが心配だった。僕は草むらのある、暗い方へと行くことにした。
もしかすると、子どもたちにも気が付かないかもしれない。それを確かめてから、明るい方へ行けばいいのだ。
……そうだ、それがいい!
足をそっちへ向けたときだった。どこからか声が聞こえて、僕は思わず立ち止まった。
「そこで待て」
言われた通りにはしなかった。僕は向きを変えて、壁の裂け目に向かって走り出していた。
……見つかった!
こうなったら、逃げても仕方がない。少しでも早く、リューナが捕まっているところまでたどりつくしかない。ちらっと後ろを見てみると、さっき通っていった兵士が戻ってくる。もう、明るい方向へ行くしかなかった。
それでも、いきなり壁の向こうに駆け込んだりはしない。少しずつ足の動きを遅くして、ゆっくりと歩きだす。
暗い所で揺れている松明の火の向こうに、それを持った兵士の横顔が見えた。足下には、村の人が2人、背中合わせに縛られて座っている。
村の人はがっくりうなだれて寝ているみたいだったけど、炎の向こうの兵士は横目で僕を見たような気がした。
でも、他の兵士を呼んだりはしない。顔はまっすぐ前を向いている。
……気のせいか。
松明を持ってる兵士はそんなにいないし、照らせるのも足元の人たちがうずくまっている辺りぐらいだ。炎の向こうからは、壁際にいる僕までは見えなかったのかもしれない。
……今のうちだ。
足音を立てないように気をつけながら、壁の崩れたところまで、歩いて近づいた。漏れてくる光は、眩しいっていうんじゃない。でも、壁の向こうはここより明るいみたいだった。
壁に沿って、カニみたいに横這いする。光が見える辺にそっと近寄ってみたら、壁の真ん中あたりが崩れていた。
……向こう、どうなってるんだろ。
リューナがどこにいて、どのくらいの兵士が守ってるのか気になった。ちょっと覗いてみようとして、やめた。誰かが明るい向こうからこっちを覗いたら、僕の顔は丸見えだ。僕の足は、そこで止まった。
……もたもたしないで、そろっと行かなくちゃ。
とにかく、素早く忍び込まなくちゃいけない。考えていたら、いつまで経ってもリューナを助けにはいけないのだ。後のことは、向こうで考えるしかなかった。
僕は大きく息を吸い込む。とにかく、一気に中へ突っ込むつもりだった。
……でも、できれば戦いたくない。
そう思っていると、壁の向こうからガヤガヤ話す声が聞こえた。何言ってるかは分からなかったけど、笑い声が聞こえたりして、わりと賑やかだった。
やっぱり、そこから動けない。
……人数多すぎるよ。
壁の向こうへ入り込んだとたんに、ボコボコにされるのは嫌だった。リューナを助けるどころか、僕に助けが欲しいくらいだ。
……いや、下手すると。
その先は考えたくなかった。実感はなかったけど、頭ではなんとなく分かってた。ネトゲで大人数相手とか、ソードバトル系の格ゲーでめちゃくちゃ強いのと戦ったりとかしたのと同じことになるのだ。
……意味ないじゃん。
こんなことやめちゃおうかと一瞬だけ思って、僕は首を横に振った。
やめたところで、じゃあどうすればいいのかっていうと、何もできない。だからって、ここから逃げ出そうとしても、これだけ兵士がいるんじゃ、やっぱりできやしない。
そのくらいのことは分かってた。
……だったら。
いちかばちかだ。
出ていっても出ていかなくても同じなら、後悔のないようにしたかった。僕は、壁の崩れたところから足を踏み出した。やってみなくちゃ、何も変わらない。
それなのに、僕の足は勝手に止まった。
……動けよ!
膝がガクガク震えていた。どれだけ頭の中で命令しても、自分の足がどうにもならなかった。
……早くしないと! 早くしないと!
捕まってしまう。そうなったら、おしまいだ。僕も、子どもたちも。
それから、リューナも。
僕は必死で思い出した。
眩しく光る金色の髪と、テヒブさんの家で見た寝顔。
抱きしめてくれた時の身体の柔らかさと、あの唇の感触。
そして、涙。
……あと一歩だけでも!
全身の力を振り絞って、壁の向こうへ足を押し込んだ。僕の身体が、前に進む。グェイブを杖にしたら、また一歩だけ先へ踏みこめた。
……今だ! 今しかない!
ここで止まったら、ここで逃げたら、もうチャンスはない。こんなに真剣に何かやったのは、生まれて初めてなのだ。
目の前が真っ白になる。忍び込むとか何とか、そんなことはもうどうでもよくなっていた。
「うおおおおおおお!」
ただ、怖いのと、それを何とかしようという気持ちで頭がいっぱいだった。僕は何も考えないで、ひたすらまっすぐ走りだした。
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