第88話 ネトゲ廃人の決断とSLG的戦術

 階段を上がってきたのは、中年のオバサンだった。手に持ってるのは、僕が落とした手枷のカギだった。 

 ……この手枷、外してくれないかな。

 両手の自由を奪われて、床に転がされて、しかも足を掴まれてる。普通に考えたら、ひどい目に遭っているのは明らかに僕のほうだ。

 女は僕たちを見るなり唖然としたけど、それが当然だ。すぐに何か尋ねられたけど、きっと心配してくれたんだろう。

「……?」

 聞かれたことが分からないから、返事もできない。すると、足首を掴んでいる男が、勝手に割り込んできた。

「テヒブ……来る」

 僕はドキっとした。

 ……テヒブさんが来るって? 僕やリューナを助けに?

 期待で胸が熱くなったけど、ふと疑問が湧いた。

 ……でも、何でコイツに分かるんだ?

 そう思ったときだった。

 リューナの部屋のドアを背中で押さえていた男が、ものすごい勢いで開けられたドアに吹き飛ばされた。

 廊下の手すりに叩きつけられた男の後ろから、長い金髪をゆらめかせた女の子が出てくる。

 リューナだった。

 カギを持ってる女に歩み寄ると、無言で手を突き出す。それはもちろん、しゃべれないからなのだ。でも、見上げてみると結構、雰囲気的に怖かった。

 僕の足首を掴む男が怒鳴った。

「……!」

 たぶん、渡すなとかなんとか言ったんだろう。僕も負けずに叫んだ。

「ダメだ、リューナ!」

 すると、女に差し出した手が、急に僕を指差した。

 ……え?

 ……もう、カギいらないってこと?

 ……で、僕をどうしろって?

 何のつもりかさっぱり分からないところへ持ってきて、リューナの指は真横に向けられた。その先には、2階廊下の手すりにぶつかったまま、そこにだらんともたれかかってる男がいる。

 僕の足元で、男が言った。

《……、テヒブ、死ぬ……?》

 僕とテヒブさんが死ぬのとどういう関係があるのか、全然分からない。ただ、リューナは返事の代わりに、首を横に振った。

 それは確かにOKのサインだけど、僕の目にはリューナが唇をぎゅっと噛みしめているように見えた。

 何か、つらい決心をしたみたいだった。とにかく、止めたほうがいい。

「ダメだ、リューナ!」

 日本語で話したけど、このくらいは通じるはずだった。でも、それは僕を床に転がしてる男には知ったこっちゃないわけで、足から手を離すと、いきなり立ち上がった。

 ……やらせるか!

 何のつもりか知らないけど、勝手な真似はさせない。僕も立ち上がった。

 ……グェイブだ!

 廊下にいる女を押しのけて、まっしぐらに取りに行く。手枷がはまってても後ろ手ででも、とにかく手に入れればこっちのもんだ。

 だけど、リューナは僕を行かせてくれなかった。

「放せ! 放せ! リューナ!」

 細い腕が、僕をしっかりと抱きしめる。ダメだダメだというように首を縦に振りながら、胸の間に僕の顔を押し込める。それでも僕は暴れた。

 ……え?

 いきなり背中が楽になった。

 気が付くと、僕はリューナを抱きしめている。

 ……手枷が、外れた?

 何でそんなことになったのか分からなかったけど、リューナの身体の熱さに、頭の中は真っ白になる。もうグェイブなんかどうでもよくなっていた。

 それがいけなかったのかもしれない。

「ホラア、入れ!」

 男のかけ声一つで、僕はリューナから引き離されて、また部屋の中に放り込まれた。でも、カギはまだかかっていない。

 立ち上がって脱出しようとしたところで、男がリューナに何か目で合図したように見えた。

 ……何だよ、こいつ?

 馴れ馴れしさにムカっとしたけど、リューナはリューナで首を横に振った。

 ……そらみろ。

 でも、この世界では、これがOKのサインだった。

 ……何で? 

 聞くことも、聞くヒマもなかった。リューナは背中でドアを閉めた。

「リューナ! リューナ!」

 ドアを叩いて叫んだけど、開けられなかった。暑いのと悔しいのとで、汗と涙と鼻水が僕の口と喉をふさぐ。そのうち声も出なくなって、僕はドアにもたれて座り込んだ。

 その時だった。

 背中で押したドアが、急に開いた。

 ……やった!

 リューナが開けてくれたんだろう。顔がぐしゃぐしゃに濡れてるのなんか気にしないで、僕は廊下へ飛び出した。

 パチーン!

 いきなりの痛みに、僕は頬を押さえた。階段を降りようとしていたリューナが、ビンタをくれたのだ。

 こっちからキスしようとした時みたいに。

「リューナ……?」

 目に、涙が光っていた。僕の頭の中はまた真っ白になった。

 気が付いたときには、部屋の中だった。僕は閉まったドアにもたれて、ただ泣いていた。

 リューナが助けてくれたことは、僕にも分かった。でも、何で男たちについて行ったのかは全然だった。

 グェイブを使って、男たちを追っ払おうとすればできたと思う。

 それだけじゃない。テヒブさんがいなくても、リューナを守れるつもりでいた。

 でも、リューナは泣いて僕をひっぱたいた。

 キスを嫌がったときみたいに。

 じゃあ、僕はダメだってことだ。頼りにならないってことだ。自分のことは自分でするってことだ。

 ……でも、吸血鬼に、あのヴォクス男爵に襲われたらどうするんだろう?

 心配にはなったけど、嫌われたんだから、どうすることもできなかった。どうしたらいいのか分からなかった。何をする気にもなれなかった。

 ただでさえ暑いのに、じっとしてるとよけいに身体から水分が抜けていく気がする。

 気が遠くなりそうなのをぐっとこらえていたけど、もう限界だった。カギのかかっていないドアを背中で押す体力もない。床にずり落ちて仰向けになると、また天井を眺めた。そうするしかなかった。

 窓から天井に差し込んでくる光も、時間が経つにつれて変わってくる。それを見ているうちに、意識がぼんやりしてきた。

 ……もう、どうなってもいいや。

 リューナにも頼りにされず、テヒブさんも帰ってこない。現実世界にも帰れない。とりあえず、あの転校生…綾見沙羅を恨んで、このまま。

 その先を考える気力はなかった。

 でも、目を閉じるしかないと思った時、僕の頭の上でドアが開いた。

 ……リューナかな?

 違った。さっきのオバサンだった。カギを拾ってくれたけど、それからは何にもしないで黙って見てたっけ。

 ……もう放っといてよ。

 家でネトゲあんまりやるなとか言う親とモメて、こんな気持ちでひとりフテ寝することがよくあった。

 でも、ここに親はいない。親なら機嫌が直ることもあるけど、このオバサンはアカの他人だ。何にも期待できない。

 ……え?

 耳元に何か置かれたみたいだった。コップっぽい。だるい身体を起こしてよく見ると、木のコップに水が入っていた。

 とりあえず、飲む。

 ちょっと落ち着いた。頭がすっきりしてくる。熱中症になるところだったのかもしれないと思った。

 お礼くらい言おうと思ってドアを開けると、誰もいなかった。すぐそこには、グェイブが光っている。

 ……どうしよう?

 さっき、リューナは僕に拾わせなかった。

 何で使っちゃいけないのか分からない。でも、あの涙とビンタを思い出すと、やっぱりどうしてもダメだった。

 ……じゃあ、ここにいるしかないのか?

 迷っているうちに、下が騒がしくなった。手すりから眺めると、男たちが戻ってくるところだった。

 ……まずい!

 部屋の中に戻ろうと思ったけど、足が勝手に止まった。グェイブの前から動けない。もたもたしているうちに、男たちに見つけられてしまった。

「ガキ……逃げる!」

 さっきの男はリューナにテヒブのことを話していたから分からなかったけど、僕のことを言ってるときだけは、何となく分かるようになっていた。

 長い棒とか、その先に鎌がついたのとかを持った男たちが、階段を上がってくる。もう、迷っているヒマはなかった。

「来るな!」

 僕はその場にしゃがんで、グェイブを手に取った。身体の中に、不思議なパワーが流れ込んでくる気がする。2階まで上がってきた男たちは、その前の階段から動けなくなった。

 ……やった!

 よくSLGなんかにある、「桶狭間」の陣形だ。 

 自分より多い相手を狭いところにおびき寄せて、そこから出てくる少ない人数をボコボコにするやり方だ。

 僕はグェイブを突き出して、男たちの前に出た。一斉に上がってきたのが、いっぺんに引く。階段に足をかけたら、村長の家からみんな出ていった。

 ……ザマアミロ!

 グェイブをかついで堂々と階段を降りてやった。台所とか廊下の角とか、いろんなところからオバサンたちが怖そうに覗いている。

 こっちは余裕だ。少年マンガのヒーローっぽく聞いてみる。

「ねえ、リューナどこ?」 

 コクコク頷くだけだった。分からないらしい。仕方ないからフッと笑ってみせた。

「オバサンたちに用はないよ」

 そう言ってやったのに、みんなこそこそ逃げていく。

 ……悪かったね、怖がらせて。

 外へ出ると、眼の前が真っ白になるくらい眩しい。空は真っ青だけど、暑さで頭痛が来る。

 ……さて、リューナを探さなくちゃ。

 道まで出てみると、さっきの男たちが遠くをぞろぞろ歩いていくのが見えた。

 ……あっちか。

 僕は思いっきり男たちと間を空けて、後をつけることにした。

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