第171話 ネトゲ廃人、自分の使命を見出す

 暗くて、どこ走ってるのか分からない。ジェットコースターに乗ったみたいに、身体がものすごく揺れる。馬車にしがみついてるのがやっとだったけど、それでもなんとか道からは外れないで済んでるみたいだった。

 振り向く余裕なんかないけど、たぶんリズァークたちは、かなり後ろのほうになったんじゃないだろうか。追いかけてこられたら、僕にはもうどうすることもできない。確かハルバードが1本あったけど、たぶん使いこなせない。

 それなのに、やることはいっぱいあった。

 リズァークから逃げきる。

 ヴォクスを倒す。

 リューナを助け出す。

 それなのに、どうしたらいいか見当もつかない。できることといったら、馬車から振り落とされないようにすることだけだ。

 でも、馬の口から伸びてる紐をしっかり握って、揺れる馬車に身体を合わせているうちに、遠くにぽつんと明かりが見えてきた。

 ……まただ!

 本当のことを言うと、すごく怖かった。こういうのが見えたときは、いつもひどい目に遭うからだ。

 もしかすると、リズァークの手下が先回りしてるかもしれない。

 でも、引き返すことはできなかった。反対方向に行ったって、やっぱりリズァークたちがいるだけだ。このまま進むしかない。

 それで正解だったってことは、すぐに分かった。火の光は松明の明かりで、場所はあの、村外れにある壁だったのだ。

 立っているのも、兵士じゃない。村の人たちだった。走る馬車を止めようとしているのか3、4人が壁に開いた穴の前に立ちはだかる。

「どいてよおおおおおおお!」

 僕の声が聞こえたかどうかも分かんないし、聞こえてたとしても、意味が通じなかったら意味がない。

 でも、聞こえてても聞こえてなくても、この場合は関係なかった。

「うわああああああ!」

 僕の声にかぶせて、村人たちが悲鳴を上げる。もうちょっとで馬車がぶつかりそうになったところで、みんな松明を投げ出すと頭を抱えて地面に転がった。

 でも、それで終わったわけじゃない。

「ぶつかるうううううう!」

 忘れていた。この壁に穴は開いてたけど、人を通すためじゃない。

 だいたい、この壁自体、吸血鬼が霧やコウモリに変身して空飛べるってことを知らない村の人が、ヴォクス男爵が入って来られないように立てたみたいだし。

 それを、何だかテヒブさんを探しているらしいリズァークが連れてきた兵士たちが、こっち側から崩したのだ。 

 だから、壁はそんなに高くないし、穴も人がやっと通れるくらいの大きさだったはずだ。

 ということは。

「やめてえええええええ!」 

 叫んだって、馬に聞こえるわけがなかった。僕をその先っちょに乗っけた馬車を、猛スピードで引っ張っていく。このまま行ったら、絶対に壁に激突するしかない。

 もう、壁の穴のてっぺんがギャグアニメみたいに、目の前までやってきていた。

 ……来た!

 このままだと、穴の端に顔面を激突させられる。慌てて、さっきの村人みたいに頭を抱える。もちろん、こんなことぐらいで助かるわけがない。

 僕はこの異世界に来てから、もう何度目かになるかよく分からない名前を心の中で呼んだ。

 ……綾見沙羅! 

 あの女のせいだ。全部、あの女のせいだ。あんなSNSに誘わなかったら! あんな格好のアバター作ってゲームにログインさせなかったら! 何だよあの胸ばっかり強調したコスチュームは! 

 そりゃ、思わずやっちゃった僕がいけないんだけど。

 でも! こんな死に方イヤだ!

 ……と思っていたら。

 背中を何かがさっと通り抜けた。来ると思ってた痛みもショックもない。ちらっと眼を開けてみると、馬車は闇の中をまだ走っていた。

 僕はまだ、生きている。助かったのだ。身体を起こして後ろを見ると、荷台の向こうに遠ざかっていく松明の灯が見える。

 ここは、壁の向こうなのだ。

 でも、どうして穴を抜けられたのかを考えているヒマはなかった。馬車は走り続けていて、僕はそれを止める方法を知らない。まっすぐ続く道の向こうには、また松明がいくつも燃えている。

「どいてえええええええ!」

 日本語の意味は通じなくても言いたいことはだいたい分かったみたいで、みんなどいてくれた。

 それでも、足下に誰かいる。子どもみたいだった。女の子だ。

 ……ククル!

 村人たちがリズァークに捕まった夜、助けに行った僕の前でなぜか胸をさらしてみせた、あの子だ。

 ……いけない!

 どうしたらいいかわからなくて、とにかく馬の口から出ている紐を思いっきり引っ張った。

 何かが空気を切る音がしたかと思うと、馬がククルの目の前で走る向きを曲げた。そっちに見えるのは、村人たちの持った松明の灯だ。その明かりで、建物が見える。 

 僕は、そこを知っていた。村長の家だ。馬車はその正面に向かって突っ込んでいく。

 ぶつからないように、また紐を引いてみた。でも、馬は止まらない。

 ……もうダメだ!

 たとえ生きていたとしても、村長の家を壊して、また袋叩きだ。今まではグェイブがあるから誰も近寄ってこなかったけど、使ったことのないハルバードじゃ、そのうち重さで参っちゃうだろう。そうなったら、もう身を守る方法がない。

 そこでまた、何かが空気を切る音がした。

 今度は分かった。誰かが石を投げたのだ。横から目の前に飛んでくるのが見える。

「うわっ!」

 思わず身体を反らしてよけると、紐をどんなふうに引っ張ったのか、馬は別の建物に突っ込んでいく。僕は目を閉じて、ぶつかる瞬間を待った。

 ものすごい音がして、目の前が真っ暗になった。松明の光も見えなくなるくらいだ。身体が吹っ飛ばされて、何かごろごろした感じの柔らかいものに当たる。2、3回バウンドして、僕は固い地面に落ちた。

「痛てててて……!」

 辺りを見回してみると、建物の中だった。近くにあるものを触ってみると、詰んである布の袋みたいだった。

「何だろ……?」

 小さくて丸いものが、ぱんぱんに詰まっている。触るとぎっちり固い感触に、ちょっと考えて今朝のことを思い出した。

 豆だった。リューナたちが向いていた豆が袋に詰められて、納屋に積んであったんだろう。

 とりあえず、助かった。でも、それだけじゃいけない。できることをしなくちゃならない。

「リズァーク!」

 僕は叫んだ。そこから逃げてきたのだ。この村に、またリズァークが軍勢を率いてやってきた。ヴォクスの城を襲ってひどい目に遭わされてたけど、もしかするとまた、村を襲うかもしれない。

 でも、誰も聞いてないみたいだった。村の人にはいちばん怖い相手なのに、騒ぐ人がいない。

 いや、騒いではいた。いたけど、リズァークの名前は繰り返されない。

 悲鳴が聞こえる。馬がひいんと鳴いていた。揺れる影で、松明の灯が行ったり来たりしているのは分かる。それでも、何が起こったのかは分からない。

 あちこち痛い身体をさすりながら、納屋の壁に開いた穴から外を覗いてみた。

「わっ!」

 驚いたのは、とんでもないものが見えたからじゃない。目の前に、いきなり何人も現れたからだった。

「グェイブ……」

 女の子の声がした。もちろん、その武器はもう持ってない。すると、僕をこう呼ぶのは1人しかいない。

「ククル?」

 女の子は首を横に振った。違うっていうんだろうか? 反応できないでいると、今度は首を縦に振った。

 それで、やっと思い出した。この世界ではこっちが「いいえ」だ。すると、さっきのは「はい」ってことになる。

 ククルは、最初に「はい」と答えてもリアクションがなかったから、僕に合わせて現実世界のルールで答えたんだろう。

 すると、周りの小さい人の影は他の子どもたちだ。大人たちがリズァークの名前に反応しないんなら、ピンチを伝える相手はこの子たちしかない。

「リズァーク……来る!」

 ククルたちは、ぽかんとして僕を見ている。何のことか分かんないんだろうけど、大人たちに伝えてもらわなくちゃ困る。僕はもう一度繰り返した。

「来る……リズァーク……来る!」

 そこでやっとククルが繰り返した。

「リズァーク?」

 僕はその後に続ける。

「来る!」

 ククルは更に繰り返す。

「リズァーク!」

 僕は音楽の時間にリズムを取るみたいに、手を叩く。

「来る!」

 ククルの声が返ってくる。

「リズァーク、来る」

「そうだ、リズァーク、来る!」

 手拍子と共にククルとだけ同じ言葉で同じリズムをやっていると、あの男の子がいつも通りに割り込んできてマネした。

「リズァーク、来る……」

「そう、みんなに伝えてくれ、リズァーク、来る!」

 男の子が繰り返すと、他の子どもたちもマネをした。

 もしかすると、大人たちはこれで気づいてくれるかもしれない。僕は立ち上がって壁の穴から出ると、大声で叫んだ。

「来るぞ! リズァークがまた来るぞ!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る