第100話 守護天使のカップラーメンから閃いたアイデア

 俺はスマホ画面を人差し指と親指で弾いて、カバー範囲を広げた。村はずれの辺りを拡大して、壁に沿ってひしめき合っている村の人たちの様子を確かめた。

 村人全員をかき集めたのだろう、人数が結構いる。中には、老人や子供の姿もちらほらと見られた。

 もちろん、山奥へ向かわせるモブは大人の男でなくてはならない。体力的にも、身の安全の上でも、そこは最優先で考えるポイントだった。

 探すまでもなく、男たちはひとつところに、手に手に長い棒や斧や長柄の鎌を持ってたむろしている。

 壁に沿って小隊別に展開しているかと思ったが、そこまで組織立って行動したことがないらしい。まるで、小学生の遠足だ。

 それでも意気は高いのか、なかなかマーカーがセットできない。誰もが「当事者」になっているのだ。

 ……何だ、こいつら。

 吸血鬼に襲われたリューナは、こいつらに監禁された。

 昼間にこき使われても気持ちよく働くリューナは、通り雨の中で男たちに襲われかかった。

 その男たちを一旦は非難した女たちも、最後までリューナを信じないで、売女ばいた呼ばわりする始末だ。

 挙句の果てには、僭王の使いに「育ての親が死んだ」と、帰還を信じるリューナに自ら告げさせた。

 自分の代わりに捕まったリューナを助けようともしない村長むらおさも含めて最低最悪のクズどもだが、なぜかこの壁のためにだけは団結している。

 だが、集団の中で何もしないヤツは「2:8の法則」とまではいかなくても、どこにでもいる。

 ……山藤も含めて。

 その山藤は異世界のシャント・コウとして山奥にいるが、似たようなのはここにも1人いた。やっとのことで、所在なく立っている男をマーカーで捕まえる。あとは、このモブに何とかしてロープなり何なりを持たせて、山奥の洞穴まで連れて行けばいい。

 ……どうやるかは、これから考えよう。

 モブの指先を画面のタップで操作して、山藤へのメッセージを漢字で書かせることさえできたのだ。できないこともないだろう。

 ……まず、ここを離れることだ。

 幸い、村の連中は壁際の警備に余念がない。俺はスマホ画面の上に置いた指をドラッグして、モブを動かした。

 だが、それを阻む言葉が吹き出しとなって現れる。

《どこへ行く》

《お前だけ逃げる気か》

 男どもが壁から離れて、わらわらと集まってくる。

 ……まずい!

 俺は動かす度に止まるモブを必死でドラッグしたが、画面上の地図を広げてどれだけ遠くへ動かしたとしても、その分だけ早く走れるわけではない。モブの身体能力に合わせた限界というものがある。

 大して逃げないうちに、手に手に武器を持った男たちに包囲されてしまった。目先のことに捉われるのにも、限度というものがある。 

 ……山藤なしで戦えんのかよ。

 そんなことができる連中なら、とっくにリューナを守って吸血鬼ヴォクス男爵と戦っているはずだった。

 だが、こんな物分かりの悪い連中と小競り合いするのは時間の無駄というものだった。

 ……この際、仕方がない。

 女子供や老人を引っ張り出すのは酷だとは思ったが、事は一刻を争う。僭王の使いに対してグェイブを操ることができれば、いかに山藤が不健康な根性なしのネトゲ廃人だとはいっても、充分な脅しになるだろう。

 幸い、手に手に慣れない棒や鋤鍬を持っている女たちは、男どもと違って荒事には関心がないのか、何やらうろうろそわそわと落ち着きがない。壁の辺りにいくつか小集団で固まっているばかりである。

 そのどれにも混じることなく、あっちを見たりこっちを眺めたりと、何をするでもなく手持無沙汰な感じの女が1人いた。この頭上に、さっきのモブから離したマーカーを設置する。

 たいした手間もかけずにマーカーに捕まったモブ女を、俺は少しずつ壁から離して動かした。

 ……悪いが、山藤を迎えに行ってもらうぞ。

 だが、脱落者への厳しい視線は、やはり侮れなかった。誰からともなく1人、また1人とモブ女を追うように動き出す。

 やがて、シャント…山藤を救うべき駒は、女たちに取り囲まれていた。

 男たちと違うのは、それほど興奮していないことである。逃げる仲間を責めたりはしない。

《あたしたちが守るしかないんだよ》

 一瞬、リューナのことかと思った。男たちに襲われているのを止めた時もそうだったが、仲間意識は中途半端に強い。 

 だが、そんな同性への共感が働くほど、女たちは悠長に構えているわけではないようだった。

《壊されてたまるもんかね、せっかく作ったのに》

 女たちの関心は、人質になっている娘よりも、壁の建設にかかった手間にあるらしい。

 ……そっちかい。

 腹の中でぼやいていると、沙羅がメッセージでツッコんできた。

〔どうするの?〕

〔諦めろ〕

〔そんな〕

 即答する俺に、沙羅は抗議の言葉もないようだった。だが、俺だって手詰まりなのだ。

 こういうとき、やることは限られている。

 飯食ったり風呂入ったり、もっとどうにもならない時は寝てしまったりすることだ。

 亭主関白の三語族の如く、俺は言い放った。

〔俺はラーメン食う〕

〔最低〕

 それっきり、沙羅の悪態は止まった。俺はようやくのことで、わびしい昼食に向かうことができた。

 もっとも、3分で済む用事ではなかったので、覚悟はしていた。

 増量されたカップ麺はさらに嵩を増し、完全にのびきっていた。

 ……どうにもなんねえだろ。

 それは、壁を挟んだ異世界の膠着状態のことだけではない。必要以上に水分が加わったノンフライ麺は、箸で掴んだだけでドロっと落ちる。それをまた掴もうとすると、さっきとは別方向に落ちるのだった。

 面倒くさいが、それでも食わねば腹が減る。カップに直接、口をつけてすすり込んだが、そこで閃いた。

 ……この手で行ってみるか。

 味気ない麺と温いスープで一気に空腹を満たした俺は、沙羅にメッセージを送った。

〔そっちどうだ?〕

〔知らない〕

 完全にむくれている。女の子がいったん臍を曲げると面倒臭いものだが、ここは正直に事情を述べるしかなかった。

〔壁の向こうがどうなってるか分からないと動かしようがないだろ〕

 文字数が多くてまどろっこしかったが、丁寧なほうが、書くこっちも読む向こうも気持ちが落ち着く。

 その読みが当たったのか、少し待つだけで沙羅が答えてきた。 

〔リューナに食事が振る舞われたわね。結構紳士的。僭王の使いは〕

 身の安全が保証されているなら、こっちも動きやすい。俺は指揮レベルだけでなく、現場レベルの状況も尋ねた。

〔兵隊は?〕

〔暑さでへばってる、休んでるのは〕

 立ってる連中も相当、参っているということだ。多少の騒ぎがあっても、全員で動き出すには手間がかかるはずだ。

 俺は再び、女たちの中からボーっとしているのを探してマーカーで動かした。当然、見とがめる者はある。やがて、男たちが集団で動き出した。

 その瞬間を、俺は見逃さなかった。傍観者というか、最後に重い腰を上げる、当事者意識のないヤツはどこにでもいる。そいつを捕まえて動かすのだ。

 1人、出遅れたのがいた。そいつを動かすと、さっきのを追っていた村人たちは目ざとく見つけて抑えにかかる。すると、やはり最後にもたもた動き出すのがいるのだ。そいつにまたマーカーを据えて手駒にする。

 それを繰り返していると、やがて壁の辺りはガラ空きになって、村人たちの大移動が始まった。

〔おい、逃げるな!〕

 叫んだのは村長むらおさだ。さすがに年齢のせいか、それとも自分で動くつもりが最初からないのか、声を張り上げているだけである。

〔逃がすな!〕

 男たちも叫んだ。だが、誰を追っていいのか、もう分からなくなっているに違いない。

〔逃げるんじゃないよ!〕

 そう叫びながら、女たちも相手が誰なのかは分かってはいないだろう。というより、とにかく村人たちにとって大事なのは、脱落者を捕らえることではない。追いかけることなのだ。

 そうしなければ、自分が脱落者になるのだから。

 だが、沙羅には何が起こったのか分からなかったらしい。 

〔どうしたの?〕

〔山藤迎えに行くんだよ〕

 結局のところ、大人数が山藤を探しに行くことになる。これだけの人数がいれば、別にどこかでロープを調達しなくても、シャント…山藤を見つければ助け上げるくらいのことはするだろう。

 だが、沙羅の反応はネガティブだった。

〔それまずい〕

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