第99話 守護天使視点のリューナ救出計画
俺が家に帰ったとき、オフクロはもう昼飯の準備をしていた。台所のテーブルには、モヤシだのチャーシューだのをたっぷり乗せた具だくさんのラーメンが湯気を立てている。
ただし、オフクロの分が一杯だけ。
それを見た瞬間、強烈に腹が減ってきて、つい聞いてしまった。
「俺のは?」
今にも至福のランチタイムを楽しもうとしていたオフクロは、邪魔に入った俺を訝しげに睨みつけた。
「何よアンタ学校どうしたの、まさかサボリ?」
息子の学ぶ意欲を全否定するかのような一言に、俺は心折れることもなく、我ながら気丈に反論した。
「雪降ったから臨時休校だよ」
「また?」
面倒臭そうにラーメンをすすり始めたおふくろは、もう俺を見もしない。昼飯を邪魔されたのがよほど面白くないらしい。あまりの冷淡さに、俺も毒づいた。
「またって、前いつだよ」
俺の覚えている限り、ここまで降って学校が休みになったのは小学生の時くらいだ。それを覚えているかどうかは分からなかったが、オフクロはスープを一口すすると不機嫌に詰問した。
「電話は?」
これは言い訳のしようがない。さっさと帰ろうとしない沙羅の横槍と、それにこだわった担任の要らぬ応酬に巻き込まれて、そこまで気が回らなかったのだ。
「忘れた」
ごまかす理由もないので俺は正直に答えたが、空腹に喘ぐ息子におふくろの課したペナルティには、肉親の情もへったくれもなかった。
「カップ麺でもすすってて」
かくして俺は豪快に麺をすする母親を横目に見ながら、俺は戸棚の中からなるべく量の多そうなのを取り出して、魔法瓶の湯を注いだ。
……魔法、ねえ。
魔法やらモンスターやらに振り回されるシャント…山藤も気になったので、俺は湯をこぼさないように、2階の部屋への階段を上った。
増量カップの蓋を開けるまでの5分間でも、できることはある。俺はスマホのアプリを眺めて、水もたっぷり
だが、俺が真っ先に見る羽目になったのは沙羅のメッセージだった。
〔山藤君は?〕
真っ先にその名前を見るのは、何だか面白くなかった。俺は、雪の中を幼稚園児のしりとりに付き合いながら1時間近くかけて帰ってきたのだ。その疲れを癒してくれるはずの昼飯をカップ麺に変えてくれた女から、ねぎらいの言葉のひとつもあっていいはずだ。
俺は素っ気なくも返事を3文字だけで返した。
〔山の中〕
だが、沙羅は怒った様子もない。むしろ、何やら慌てていた。
〔今たいへんなことになってる!〕
誰のことかは察しがついた。シャント…山藤でなければ、もう一方の人物だ。〔リューナがどうした?〕
シャントを村長の家で監禁させないのと引き換えに、今朝、僭王の使いが待つ村外れの壁に向かったはずだ。
育ての親のテヒブが生きているのを願いながらも、僭王の兵士に村を捜索させないよう、死んだことを身内として告げなければならない。
それだけなら危険があるとは思えなかったが、沙羅が告げた事態は到底、納得しかねるものだった。
〔捕まった、
〔何で〕
人質の交代にしても、村人たちにとって、リューナはどっちかというといないほうがいい存在だ。その点を答えるのに、沙羅は漢字というメディアを上手く使った。
〔テヒブの死体を確かめるまで帰さないって〕
つまり、リューナの自由の問題だということだ。これが「返す」だったら村人の問題になる。テヒブが生きている限り、僭王の使いはリューナは人質に取っておびき出すつもりのようだった。
すると、村の男たちにはもう、テヒブをわざわざ探す理由がない。俺は連中が帰っていくのは見たが、一応は確かめてみた。
〔ってことは、男たち〕
〔帰ってきた〕
即答だったが、こいつらは事情を知らないはずだ。いくら村長が嫌いでも、人の命がかかっているにしてはやることが安直すぎる。
〔早過ぎだろ〕
〔見切りつけたんじゃない? 暑いから〕
だったら、薄情極まりない。だが、続く言葉に俺は首を傾げた。
〔どうせ死んだってリューナが使いに言うから〕
リューナは喋れないが、「テヒブは生きているか」とYes・Noクエスチョンで聞けば、首を横に振るか縦に振るかで判断はつく。だが、それを僭王の使いが信じない理由が分からなかった。
〔じゃあ、何で〕
〔何で死んだか言わないの〕
〔当然だろ〕
考えてみれば、「身内が死んだと言ってます」では、疑心暗鬼に駆られる王位の簒奪者を納得させられるわけもない。だが、問題は別のところにあった。
〔どうやって〕
リューナは口が利けない。ややこしい事情は身振り手振りでは伝えられないだろう。
〔関係ないことはお互い、地面に書いてた〕
筆談できるということは、リューナは字が書けるということだ。それを普段はしないということは、村長も含めて、読み書きできる者がいないのだろう。
異世界の王女たる沙羅はどうなのか。
〔読めるのか?〕
〔難しい言葉じゃなかったら〕
僭王の反乱を逃れて転生する前に習ったことが限界だということだ。
〔リューナは?〕
〔だいぶ書けるみたい〕
たぶん、教えたのはテヒブだ。宮廷の衛士をしていたのならあり得る。
確かに、俺が見ていた限りでは筆談をしていなかった。だが、普通の暮らしにそんなものはまどろっこしい。それに、あの二人なら必要なかっただろう。
……心は通い合っていただろうから。
それを思えば、身内が死んだと言えとリューナに迫るのは無茶な話だった。俺にしたって、いかに薄情なオフクロであっても、行方が分からないだけで死んだことにはできない。
〔だって生きてるかもしれないだろ〕
それが肉親の情というものだ。しかし、沙羅は告げた。
〔そしたら、村長殺すっていうんで〕
〔身代わりになったと〕
改めて、リューナの健気さに胸がジンと痛んだ。俺は断じて二次元に魂を奪われる性質の人間ではないが、その手の連中が「嫁」という表現をつかうのは分かる気がした。
そこで、沙羅の話もまた、その手の人間に戻ってきた。
〔山藤君は?〕
〔なんか焚火してる〕
こいつのやることはマヌケすぎて、あまり思い出したくない。だが、沙羅は突っ込んで聞いてきた。
〔何で?〕
〔山で川にはまった。服乾かしてる〕
字を打つのもイヤなので、なるべく短い表現にした。だが、沙羅が心配していたのは山藤のことでもシャントのことでもなかった。
〔連れてきてよ〕
シャント…山藤にリューナを助けさせろというのだ。それができるくらいならとっくにやっている。俺は短く返した。
〔モブいない〕
沙羅はよほど焦っているのか、それとも怒っているのか、メッセージは再び前衛的なまでに日本語文法を外れていた。
〔みんな、壁! 女も〕
そのアバンギャルドさに、詩的なものは感じられない。気になるのは、リューナの身の安全のほうだった。
いい加減、スマホ上のキーボードを操作するのもまどろっこしくなってきた。俺は無駄な労力をなるべく省いて問い返した。
〔何で?〕
俺の苛立ちが伝わったのだろう、しばらくメッセージは返ってこなかった。その隙にシャント…山藤の様子を確かめると、もう乾いたのか、服を着ていた。
何やら洞穴に入ったり、また出たりしている。
……わけわからん、こいつは。
埒の明かないことを繰り返すネトゲ廃人にうんざりしていると、沙羅もようやく落ち着いたのか、主語と述語がはっきりしたメッセージをよこしてきた。
〔日が暮れるまでにテヒブ来なかったら、僭王の兵隊が壁壊して探しに行くって〕
そこで、村人が女まで駆り出された理由に見当がついた。
〔壁の防衛?〕
〔
あの貧相なジジイにしては上出来だ。一応はリーダーらしいこともやるらしい。動機はどうだか知らないが。
もっとも、心配するのはこっちのほうだ。
〔リューナは?〕
〔僭王の使いが監視してる〕
奪い返そうとすれば、いわゆるラスボスを倒さなければならないわけだ。異世界でシャントやってる山藤には、荷が重すぎる。
そもそも、崖下のこいつが間に合う状況かどうか。
〔何もされてないか?〕
当然の質問を、沙羅は即座に非難した。
〔なに想像してんのよヘンタイ〕
それはこっちのセリフだった。
……お姫様のくせに。
俺は正直な気持ちを文字に変換した。
〔心配してるだけだろ〕
沙羅も下司の勘繰りを反省したのか、僭王の使いによる監視の状況を伝えてきた。
〔兵隊がイヤらしい目で見ないように〕
つまり、そういう視線に晒されていたということだ。ついムカッときて、俺は感情をそのまま書き送ってしまった。
〔生かしておかない〕
だが、この非常時に隠れ二次元フェチやってるだとか何とか罵られてもつまらないので、すぐに追伸する。
〔テヒブなら〕
〔絶対来る〕
幼時の記憶を刺激されたからか、沙羅はすぐに返事をした。だが、俺は逆のことを考えていた。
……たぶん、来ない。
来られるなら、リューナをここまで放っておかないはずだ。
仮に生きていて、リューナを助けにきたとしても、相手は武装した兵団だ。村の男たちを投げ飛ばすのとはわけが違う。
……勝ち目も、ない。
テヒブがアテにできない以上、リューナを救う方法は1つだけだ。山にモブを連れ戻して、シャント…山藤を連れ戻すしかない。
そう考えると、リューナが囚われている現場は沙羅に任せることになる。共同戦線を張るには、お互いの意思統一が必要だった。
俺は、見解を正直に告げた。
〔でも、来ても勝てない〕
〔勝てる〕
無茶な回答が返ってきたのは、沙羅がまだ冷静さを欠いている証拠だ。説得は時間の無駄だろう。俺は一方的に主張するしかなかった。
〔その前に山藤を〕
〔でもリューナが〕
その点は同意見のようだった。
……話が早い。
俺は結論だけ、短く告げた。
〔俺がやる〕
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