第41話 姫君からの謎のメッセージ
家の近くのバス停に着いた頃には、スマホの中の異世界で起こった山藤…シャント・コウをめぐるトラブルにはケリがついていた。
なんたって、山藤だから仕方がない。普通、異世界で生き抜こうと思ったらカタコトでも喋れるようになろうとするもんじゃないだろうか。
転生しなかった俺はそのへん、どうこう言える立場じゃない。
……あれ? なんか理屈が変だ。
そう、それじゃ転生しなかったのが悪いってことになる。いや、いいとか悪いとかそういう問題じゃなくて、異世界に転生する人なんかそうそう……というか絶対に存在しないのが当たり前だ。
とにかく、山藤がシャント・コウとしてちょっとでも言葉を覚える気になれば、いままでみたいに意思疎通をめぐるトラブルはだんだんと回避できるようになるだろう。
そう思いながら、暖房の利いたバスから冬の寒い夕闇の中へとステップを降りる。もうすっかり暗くなっていたが、それでもとっくに山々の向こうに沈んでしまった日の光は、あるかないか分からないくらいだが微かに残っている。積もったままの雪は、その山肌でも、踏み固められた足下でも、その中にぼんやりと白く浮かびあがっていた。
道は通る車もなく、冷たく静まり返っている。そこを家に向かって歩いていくと、例の異世界転生アプリが短い着メロでメッセージの到着を高らかに告げた。
〔やるじゃない〕
……どういたしまして。
姫様のお褒めにあずかることができたということは、仕掛けられた何らかの干渉をかわしたということなんだろう。
綾見沙羅がクラス全員を異世界に転生させた狙いは、自分が反乱で追われて帰れなくなった王国を支える人材にするためだ。
山藤…シャント・コウもその一人だというんだから、どれだけ使えん奴が多いのか知らんが。
それはともかく、転生させた連中が努力しなくても異世界で無双できるように、沙羅はこのアプリを使ってご都合主義のお膳立てをしているわけだ。楽していい思いができるんなら、面白くもない現実世界に敢えて帰ろうなんて奴はいなくなるというわけだ。
だが、テヒブの家で山藤…シャント・コウは散々にこき使われ、恥をかかされこそすれ、活躍といえることは何一つしていない。
それはつまり、失敗したということだ。だから、姫君から答えは返ってこないかもしれない。それでも俺が敢えて聞いたのは、沙羅をあっさり出し抜けたのが、逆に不安で仕方なかったからだ。
〔何かしたか、お前?〕
これは4通りの意味に取れる。
(1)シャント・コウこと山藤耕哉に何かあって、沙羅が干渉した疑いがある。
(2)シャント・コウこと山藤耕哉に何事もなく、沙羅が干渉したかは不明。
(3)シャント・コウこと山藤耕哉に何かあったが、沙羅が干渉したかは不明。
(4)シャント・コウこと山藤に沙羅が干渉したが、全く問題にならなかった。
……センター入試の選択問題かよ。
それはおいといて、沙羅のメッセージは素っ気ないものだった。
〔さあ〕
〔さあ、って何だよ〕
沙羅なら何か言い返してくるかと思っていたが、夕食と風呂をいつもどおり済ませて、暗くなってから帰ってきた俺に対するオフクロのイヤミを背中で聞きながら自分の部屋に引っ込んでも、それっきりメッセージは届かなかった。
ひょっとして何か怒っているのかと気になって、その日あったことをつらつら思い出してみる。
……ありすぎだった。
休日だっていうのに、朝寝を楽しんでいるところを沙羅にアプリのメッセージで叩き起こされ、〔出かける〕とか言うのが気になって町中まで出ていった。
沙羅の家は見つかったが、寒い所で立ち話をさせられた挙句、夕方になってやっと帰ってきたのだ。
その間、リューナといい雰囲気になっていた山藤…シャント・コウは、豪雨の中で村の男たちに襲われかかった彼女を守ろうとして袋叩きにされ、テヒブとかいう初老のオッサンに助けられた。
この面倒見のいいオッサンと俺のフォローのおかげで、山藤…シャントはようやく自分で言葉を覚える気になったわけだが。
沙羅を怒らせるような心当たりがない。どっちかというと、つま先を凍えさせているクラスメートには、お愛想でも「上がっていかない?」くらいの心遣いはあってもいいんじゃないか。
……だいたい、何で俺が沙羅のご機嫌をうかがわなくちゃならないんだ。
そう思って不貞腐れていると、オフクロがオヤジと喋っているのが下の階から聞こえてきた。
「あなたからも一言ぐらい叱ってもらわないと」
「いいだろ、休みなんだから寝かせてやれ」
……あ。
沙羅の悪態が耳元で囁くかのように蘇った。
ごくどーもん。
ちょっとスマホで検索サイトを開けてみると、土佐弁で「怠け者」。
大きなお世話だと思ったが、こればっかりは言い訳できない。沙羅は寒い所でひとりで雪かきをしていたのだから、それをやらなかった俺に邪魔されたのに腹を立てても不思議はなかった。
遅ればせながら、それは謝っておく必要があった。
……何て書こうか?
気位の高いお姫様のことだ。下手なことを書いたら、現実でも異世界でもどんな仕返しをされるか分からない。されなくても、借りができる。その辺、沙羅はきっちりと控えておくことだろう。
詫び状の例文を検索したりしてあれこれ考えた末、遅れれば遅れるほど不利だという結論に達した。だが、卑屈な態度を取ってはバカにされるだけだ。それはそれで得策じゃない。
俺は最短の文字数でメッセージを送った。
〔今日は邪魔して済まなかった〕
シンプル・イズ・ベストだ。だが、返信はなかった。
……いい加減にしろよ。
今日の件は、確かに俺が悪い。沙羅が呼んだわけではなく、〔出かける〕の一言を俺が邪推しただけのことだ。だが、謝っても知らんぷりというのはあり得ない。
……これでチャラだ。
面白くなかったが、気は楽になった。俺は寝間着に着替えて、布団に潜り込んだ。
一日の疲れでどっと眠気が襲ってきて、どのくらい経っただろうか。静かな暗闇の中で、あの着メロが俺の眠りを覚ました。
……こっちも貸し「1」だからな。
図書館でスマホ見てるのを目撃されたときのことを考えると、これもチャラだ。これで言いたいことが言える。
メッセージを確認すると、たった一言だけだった。
〔私〕
……これだけのために起こしやがったのか!
ムカっと来て、俺も一言だけ返してやった。
〔何だ〕
再び布団をかぶると、またメッセージが俺を呼び出す。
〔知ってる〕
わけが分からん。感情むきだしで書いて送る。
〔だから何だよ〕
今度は、即座に返ってきた。
〔あの人、知ってる〕
……誰だ?
そう書き送って、何があっても起きるまいと布団にくるまったが、メッセージはそれきり途絶えた。
次第に濃くなってくる眠気の中で、俺は考えた。
……山藤じゃない。リューナでもない。すると、テヒブか、モブの中の誰かだ。
明日、確かめてみることにした。何を気後れすることもない。貸し借りなんだから。
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