第134話 ネトゲ廃人の狭い常識とトラウマ

 さんざん歩いてようやくたどりついた市場には、人が誰もいなかった。

 正直言うと、転生したときに現れた場所がどこだったか、全然覚えていなかったのだ。始めて来た場所だったし、いろんな所から追い出されてあっちこっち逃げ回ったから、いちいち覚えているわけがない。

 だいたい、店そのものがなかったのだ。

 あの時は道端に、神社の縁日とか公園のフリマみたいな店がずらっと並んでいたのに、今日はひとつもない。屋根がある普通の店だって、何とか場所を覚えていた所は閉まっていた。

 これがネトゲだったら、武器屋とか道具屋とか酒場とかがあって、そこで剣とか鎧とか、薬草とか買って、あとは情報収集ができる。異世界なんだからそのくらいできるだろうと思っていたんだけど、全然、そんなんじゃない。

 ……どうしよう。

 村長がくれた金貨を見て思い出したのは、転生したときに僕が現れた賑やかな市場だった。装備を買うなら、そこだと思ったのだ。

 それなのに、異世界で市場がなくなるなんて信じられなかった。吸血鬼ヴォクス男爵を倒すには、グェイブだけじゃ足りない。

 ……どうやって装備買えばいいんだ?  

 畑の間を道が通っているだけで人通りはない。とりあえずその辺の家々を探して回ることにしたけど、開いてる店はなくて、どの家も静まり返っている。

 ……休みなのかな?

 試しに家のドアに近づいてみると、中から何か話している声が聞こえた。

 ……いるんじゃん!

 ドアに手をかけてみたら、簡単に開いた。カギは、かけてなかったみたいだった。テーブルと椅子と炊事場しかない部屋の中では、人が隅っこに固まっている。

「あの……」

 どう言っていいか分からなかったから、日本語で話しかけた。すると、しゃがんでいた中年の女の人が、ものすごくキイキイいう声を立てて飛び出してきた。

「……! ……!」

 家の外まで押し出されそうになったけど、何とか踏ん張った。女の人はわめき続ける。

「……! ……! 出ろ!」

 最後の一言は分かったけど、それが分かんなくたって、追い出そうとしていることぐらいは気が付いてた。でも、転生したときはここが店だったんだから、何か売ってもらわないと、アイテムなしで吸血鬼と決戦しなくちゃいけなくなる。

「待って! 待って! ストップ!」

 日本語が通じるわけないって分かってたけど、追い出されないように何とか頑張るしかなかった。

 それなのに、まずいことには、そこで赤ん坊が泣き始めたのだ。

「アアアアアア!」

 現実でも異世界でも、鳴き声は同じだ。女の人は黙ったけど、目が怖い。他の人も、じっと僕を見つめている。

 小学校でも、こういう目に遭ったことがある。席替えで隣になった女の子が、僕は何にもしていないのに、急に泣き出したのだ。そのとき、誰から歌いだした声は、完全オリジナルで耳の奥に残っている。

 ……「泣~かした~泣~かした」。

 あのクラス中の男子の大合唱と、全身に突き刺さる女子の視線を思い出しながら、僕はおとなしく家の外へ引き下がった。

 だけど、ここで諦めるわけにはいかない。僕は吸血鬼退治に使えるアイテムを売ってくれる店を探して、目についたドアを叩きまくった。

 でも、どの家でも、僕を見るとみんな震えて家の隅っこに固まってしまう。とうとう、僕はわけがわからなくなって、道の真ん中で固まってしまった。

 ちょっと経って落ち着いてから、やっと気が付いた。

 ……グェイブが怖かったんだ。

 試しに、ドアのそばに立てかけてみることにした。それからもう1回、ノックしてみたけど誰も出ない。こっちから開けてみようとしたら、中から引っ張られてるみたいだった。

 仕方がないから、ちょっと間を置いてみた。

 ……ひと~つ、ふた~つ。

 心の中で10まで数えて、今度はノックなしでドアを開けた。今度は中へ簡単に入れたけど、実を言うと、ちょっと怖かった。

 ……いきなり殴られたらどうしよう。

 足がガクガク震えた。現実世界で、中学の時、学校のヤンキーに呼び出されたときみたいだった。

 ……いや、大丈夫! 

 あの時だってお金をありったけ取られただけで済んだ。今度だって、お金はある。

 ……ただ、なくなっちゃったらヴォクスと戦えなくなるけど。

 それだけを心に留めて、僕は家の中に足を踏み入れた。すぐ目の前に立っていた子供たちが部屋の隅っこに逃げ込んで、大人たちは男も女も、それをかばった。

「大丈夫!」

 異世界の言葉でどういっていいか分からなかったから、日本語で言った。伝わるわけがないから、みんな抱き合って縮こまっている。

「ものを買いに来たんです!」

 とりあえず日本語で言って、僕は家の隅っこに固まっていた人たちに、金貨の袋を差し出して振った。

 ちゃりんちゃりん、といい音がした。

 みんなお互いに顔を見合わせてたけど、そのうち大人の男が1人、怖そうに、足をちょっとずつ前にずるずる出しながら近寄ってきた。

 通じたみたいだった。やっぱり、こういうときは言葉よりもお金みたいだった。ネトゲにもこんなコマンドがあると、弱い時に戦闘から逃げられるから楽だ。

 男は警戒しながら、ゆっくり歩いてくる。なかなかやってこないので、その分、家の中を見渡してみる余裕ができた。

 店っぽくない。売ってるものもない。本当は、ここは店でも何でもないのかもしれなかった。

 でも、1つだけ、僕の目に止まったものがあった。

 ……いや、ある!

 僕は欲しいものを指差した。

 そこには、杭が1本あったんだけど、誰も分かってくれないみたいだった。互いに顔を見合わせているだけで、僕が欲しいと言ってるものを探しもしない。僕のそばにやってきた男も、財布と、家族らしい人たちを代わりばんこに見ているだけだった。

 仕方ないから、ジェスチャーで伝えることにした。床に突き立てて、てっぺんをハンマーでたたく真似をする。家の人たちは、それをこわごわとした感じで見ている。

 そこでもう一度、杭を指差してみた。しゃがみこんだ人たちの中から、子供が1人だけ立ち上がる。

 ……通じた!

 その子が杭を持ってやってくると、僕は財布から金貨を1枚出して、男に差し出した。でも、男は受け取らない。困ったように、服の中をごそごそやって何か探している。

 ……お釣りがないってことかな。

 僕は男の手を取って、強引に金貨を押し付けた。

「……!」

 何か言われたけども、どう答えていいか分からない。

「とっといて!」

 日本語で言って、外へ飛び出した。

 

 他の店でもこんな具合にして、僕は必要なものを手に入れることができた。

 まず、杭。

 それから、十字架。

 最後に、木槌。

 これで、吸血鬼と戦う最低限のアイテムは揃ったわけだ。

 杭を吸血鬼の心臓に突き刺せば、完全に倒すことができる。ヴォクス男爵が眠っているのを発見できれば、これ1本で勝てる。

 十字架は、もともとは壊れて庭の隅に捨ててあった、柵か何かの一部だった。ちょうどいい形だったので、もらってきた。金貨を渡したら、めちゃくちゃ嬉しそうに他の粗大ゴミも持ってきたけど、首を縦に振ってみせて、慌てて逃げてきた。

 木槌は、ないことに気が付いて、慌てて探した。これがないと、吸血鬼の心臓に杭を打ち込めない。どこの店にも、っていうか家にもあったけど、柄がぐらぐらだったり、めちゃくちゃ重かったりして、ちょうどいいのはなかなか見つからなかったのだ。

 そろそろ暑くなってきた。僕は、村長の家に戻ることにした。

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