第132話 守護天使、追い風のネトゲ廃人に足止めの罠を仕掛ける

 もちろん俺は、朝のドタバタを全部モニターしていた。

 シャント…山藤が寝入ったのを見届けてからたっぷりと寝かせてもらったおかげで、朝はすっきりと目覚めることができた。起き抜けにスマホをチェックしたら、画面は真っ暗で、まだ窓を閉めて寝ているんだろうと察しがついた。

 1本早いバスに乗り込んでから画面を確認してみると、村長が新しい服と金貨の袋を前に、平身低頭、シャント(山藤とは認めたくない)に吸血鬼退治を頼んでいたのである。

 山藤が吸血鬼退治をグェイブで表そうとしたところで村長が怯えて逃げ、誤解したリューナがそれを取り上げようとして村長に抑えられ、床に転んだところでその妻が怒鳴り込んできたのだった。

《何やってんだい、アンタ!》

 悋気は女の七つ道具というが、年の割に大したヒステリーだった。見るに堪えかねて、俺もしばらく画面を閉じることにした。

 窓の外を眺めると、凍り付いた山脈やまなみに朝日が差してくる。灰色の影が、だんだんと斜面を滑り落ちて行く。

 もう一度スマホに目を遣ると、台詞が吹き出しのウィンドウに浮かんでいる。

《シャント? ……シャント、シャント!》

 何があったのかは知らないが、リューナに言葉が戻っていた。俺も嬉しかったが、リューナがシャント(くどいようだが山藤とは認めない)と抱き合ったときにはもう、その先を見る気などなくなっていた。

 それでも画面から目を離さなかったのは、言葉の戻ったリューナが気になったからだ。

 テヒブの他には頼る者のない儚げな少女だが、吸血鬼に狙われても怯むことのない気丈さがある。状況次第では、村人全員を僭王の使者リズァークに売り渡せるほど頭が切れて冷酷にもなれる。それが失敗して周囲を敵に回しても、逃げも隠れもしない豪胆さがある。

 ……独りでやっていけるといいんだが。

 スマホの中にある異世界の住人だからといって、電源を切って知らん顔をすることができなくなっていた。

 ……しっかりしろ、山藤!

 だからって、一生面倒を見ろというわけではない。先の見通しを立てて、リューナのことはすっぱり諦めて帰って来ればいいのだ。

 だが、家に駆けこんできた村人たちの交わす言葉を聞く限り、リューナはどす黒い噂話のネタになっていた。

《あのじじいがリューナにちょっかい出したんだってよ!》

《リューナもいい災難だな!》

 自分がどういう目で見られているのか、リューナ自身にも分からないはずがない。

《シャント……》

《大丈夫だよ、リューナ》

 困り果てた様子で助けを求められたシャント…山藤は日本語できっぱりと答えたが、不安を払拭しようとリューナが無理に笑っているのが分かる。だいたい、何がどう大丈夫なのか、山藤ごときに説明できるはずがない。

 そのうち、悪態と共に女たちが階段を上がって来た。

《リューナは何やってんだい》

《あの裏切りリューナ》

 部屋のドアを開けたところで、罵声が飛んでくる。

《いい気になってサボってんじゃない! あいつらにあたしらを売っといてさ!》

 シャント…山藤がきつい日本語で止めたが、伝わるわけがない。

《あんたたち! それ!》

 言葉は完全に回復していないようだったが、リューナの言う通りだ。元はと言えば、村長や村人たちがリューナを人質同様の駆け引きに使ったのが原因である。因果応報というヤツだ。

 それでもリューナは、自発的に女たちと働きに出ていった。やっぱり、判断が早い。女たちの物言いから、労働を共にしていれば当面は身の安全が図れると判断したのだろう。

 リューナが気づいているかどうかは知らないが、グェイブを持ったシャント(山藤ではない、念のため)も、吸血鬼の下僕となったテヒブも、村人に手出しを控えさせるくらいの後ろ盾になっている。危害を加えれば、自分たちも無傷ではいられないことが分かっているのだ。

 ひとり残されて呆然としていた山藤は、やがて、一言つぶやいた。

「闇に潜んで、闇を狩る者」

 あまりの幼稚さに思わず吹き出した。

 ……まさにネトゲ廃人。

 さすがは山藤だ。

 つまり自己陶酔の真っただ中なわけだが、バスの中にいるのを忘れていた俺も、人のことは言えない。

 人目を気にして車内を見渡すと、乗っているのは病院の順番取りをする高齢者だけだった。俺のやることなどいちいち気にしてはいない。新聞見たり、居眠りしたり、それぞれの時間を有効に使っている。

 金貨の袋を手にしたシャントは新しい服に着替えると、いきなりグェイブを振り回した。

 ……危ないなあ。

 二重の意味で、それは言えた。刃物の使い方が荒いということもあるが、すっかり自分に酔っているのは見るに堪えない。

 何よりも、浮かれて見落とされると困るものがあったのだ。

 だが、意気揚々と階段を降りるシャント…山藤の足は止まった。そろそろと、正面にある下の階の壁に近づく。

 ……よし!

 俺の仕掛けは上手くいったようだった。前の晩、村長の妻が階段にへたりこんで己を失っていたのを利用したのだ。

 マーカーを置いてみたら設定できたので、移動させてメッセージを残したのだ。

〈だめだ、利用されているだけだ〉

 村長が心からシャント…山藤を信用するはずがない。金貨だの服だのの大盤振る舞いには、後で必ずツケが回ってくる。

 痛い目を見せて現実世界に帰ろうと思わせるだけなら、それでもいい。だが、それを待つよりも、先に吸血鬼退治の苦労をさせるほうが確実なのだ。

 だが、山藤はやる気満々で庭へ飛び出すと、まっすぐにリューナのもとへ駆け寄って、日本語でのたまわったものだ。

《僕、勝つから、絶対》

 その声は勢い込んでいたが、俺は微かに首を横に振った。

 ……絶対、伝わってない。

 実際、リューナの返答は素っ気ないものだった。

《話しかけないでくれませんか、気が散ります》

 そう拒むからには、女たちからの目がそれほど厳しいのだと見るべきだろう。もちろん、それが山藤に伝わるわけはない。

《僕……行く》

 今度は、たどたどしい異世界語が聞こえた。異世界転生アプリは、そのまどろっこしさを文字へ忠実に翻訳する。

 行ってきます、程度の意味なんだろうが、そんなことはいちいち言うことでもない。また豆をむき始めたリューナも、首を横に振った。

 ……そらみろ。

 俺は腹の中で笑ったが、はたと気付いた。

 これは、「YES」のサインだ。

 何が伝わったのかと画面を見ると、リューナは微かな声でこう囁いていた。

《シャントは目立つから黙って行って》

 注目を集めたくないのだろう。気持ちは分かる。リューナも、平凡に、そして平穏に暮らしたいだけなのだ。

 行くならさっさと行け、と周囲への警戒心たっぷりに告げたリューナの気持ちはたぶん、山藤には伝わっていない。グェイブを担いで庭を出ていったところでリューナにもう一度手を振ってみせたが、もう相手にはされなかった。

 むしろ、村長と仲直りしたその妻が、駆け寄ってきて愛想を振りまいた。

《どうぞ、行ってらっしゃいませ》

 さっき抱き合ったばかりのリューナには冷たくされたが、村人が味方についた以上、吸血鬼退治の障害はなくなったわけである。

 そのうえ、勝って帰ればシャント…山藤は村の英雄だ。これでリューナとの恋が実れば、もうネトゲ廃人しかやることのない現実世界には戻ってこないだろう。

 ……さて、どう痛めつけるか。

 二度と異世界なんかに来るまいと思わせるくらい過酷な環境を、俺はあれこれと考える。肉体的、あるいは精神的につらいことをやらせればいいのだ。

 そこで、もう一度ステータスを確かめてみた。

 Hit Point生命力…10

 Mental Power精神力…8

 Phisycal身体… 6

 Smart賢さ…8

 Tough頑丈さ…5

 Nimble身軽さ…7

 Attractive格好よさ…4

 Patient辛抱強さ…3

 Class階級Vampire Hunter 吸血鬼を狩る者

 Items所持品 グェイブ 狩人の衣服 

Cash所持金 76G

 

 服が狩人仕様だというのは、見ても分からなかった。たぶん、戦いやすいように村長が気を遣ったのだろう。76枚という半端な枚数の金貨がどの程度の価値かは分からないが、これも、家の中にあったものをかき集めてきたものと思われた。

 攻めるとすれば、心も身体も見るからにもろいところだろう。要は、ストレスをかけてヘトヘトに疲れさせればいいのだ。

 ……どうやって?

 パラメータを見ながらしばらく考えたが、そうこうするうちにバスは街中のターミナルに着いた。

 ……ちょっと保留。

 俺は学校へのバスに乗り換えるために降りる。学校までの乗車時間は短いが、山藤に課すハードミッションの計画ぐらいは練れる。

 だが、バスターミナルに入る前に、そろそろお馴染みになってきた声が俺を出迎えた。 

「早かったじゃない」

 目の前に、綾見沙羅が眩しい笑顔で立っていた。

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