第85話 ネトゲ廃人とコミックカンフー
テントの中から兵士の手で引き出されたのは、あの貧相な村長だった。人質になってから一晩しか経っていないのに、もう何日も囚われているかのように、痩せた脚をふらつかせている。
それでも必死で叫んでいるのは、ミュートにした画面の中でも顔がくしゃくしゃに歪んでいることから分かる。
《お使いの話をよく聞け》
同じテントの中から現れたのは、いかにもという感じのする、金属製のいかつい鎧に身を固めた長身の男だった。この暑いのに(日は随分と高く昇っているからたぶんそうだろう)、兜の奥の顔は見せない。これが、兵士たちの言う「騎士」なのだろう。
僭王の騎士は、たかが一枚にきらびやかな装飾をほどこした巻紙をくるりと開いて読み上げた。
《国王陛下よりのお達しである。
それを聞いた村長は泣き喚く。目には涙、鼻からは鼻水、口からはヨダレまで垂らして、もう恥も外聞もない。
《テヒブは死んだ! 吸血鬼のヴォクス男爵にやられちまったんだよ!》
吸血鬼、という一言に騎士の身体がぴくりと動いたが、それっきりだった。がっくり崩れ折れて身動きもできない村長は放っておかれた。
騎士は代わりに、壁の上のカギ男に尋ねる。
《死体はあるか?》
《ない!》
証拠がない。
それを堂々と答えるということは、探す気など最初からないと言い切るのと同じだ。それだけに、騎士の決断は早かった。
《では、村に踏みこむまでのこと》
その一言に、カギ男のセリフとは別のウィンドウが開く。
《いないもんはいねえ》
村長だった。身体が動かなくなったところで、最後の力を振り絞ったのだろう。だが、騎士の短い返答は月並みの極みだった。
《逆らうなら男どもの命はない》
壁の上のカギ男からすれば、死刑を宣告されたことになる。だが、殺されることになっても、この男には慌てた様子もなかった。フキダシのウィンドウでは読み取れる言葉も、どうやら声としては届かないらしい。
だが、村長はというと、ミュートの状態でもスマホが震えるんじゃないかと思うくらい大騒ぎしていた。
《待て! 娘を差し出す! 日が暮れるまで待て!》
それはたぶん、壁の上に立った男に聞かせるためだ。実際、視界を動かしてみると、男はもういない。村長の叫びを聞くなり、壁の向こうに下りたのだろう。今ごろは、他の男たちと先を争うようにして、もと来た道を駆け戻っていることだろう。
俺はスマホの画像をズームアウトした。壁の向こうの村を見るためだ。だが、マーカーはまだ、壁の外の兵士にある。壁を挟んだ村の内外が見渡せるようになったところで、兵士が聞いている言葉だけがウィンドウに並ぶ。
《その間にテヒブを探すと申すか》
僭王の使者は、村長の申し出が意味することを量りかねているようだった。確かに、テヒブを出さなければ村の男を皆殺しにすると言っているのに、リューナを差し出すというのでは答えになっていない。
だが、村長には村長の思惑があったらしい。
《生きていればテヒブの方から来る!》
そういうことか。
リューナは、釣り針の先のエサなのだ。ただし、テヒブが生きていれば、の話だ。
それは騎士にも理解できていたのか、村長の言いたいことを反対解釈で察してみせる。
《来なければ死んでいるということか》
回りくどい話は結局ここに戻ってきたわけだが、無駄な時間を食った割には、村長の要求は単純だった。
《その時はもう帰ってくれ!》
村の平和のためならヨソ者の命なんぞどうなってもいいという、いじましいまでの悪あがきだった。これには騎士も呆れたのか、一言で念を押した。
《娘は返せんぞ》
この野郎、と思った。僭王の使いとしては「死んでるんなら仕方がない」では示しがつかないと
《好きにしていい》
最後の一言を見て、俺は思わず叫んだ。
「はあああああ?」
バスの乗客が、一斉に首を捻ったりシートから身を乗り出したりして、俺を見ていた。慌てて、背もたれよりも低く身体をすくめる。別にやましいことをしているわけでもないのに、こんなことで目立ってしまうといたたまれない。俺はすぐそばの乗客が目をそらすのを確かめてから、スマホの画面を拡大した。
リューナが危ない。村長は、村の安全と自分の面子を守るために、彼女を売ったのだ。
だが、俺は村長への怒りよりも、あのCG画面上の美少女を守りたいという気持ちが先に立っていた。
壁から離れていく人の群れが、小さく移っている。俺は、壁の向こうの兵士からマーカーを動かして、村長の家へと向かう男たちのひとりを捉まえた。
さらに画面を広げると、視界はマーカーを置いた男の背中を追う方向へ動いた。頭のてっぺんから降る夏の光の中、道の両側は陽炎でゆらゆら揺れている。真ん中が無事なのは、不思議なことでも何でもない。誰も歩いていないから、揺れるものもないのだ。
無人の道をいそいそと歩いて着いた村長の家の辺りには、暑さのせいか、それとも不安のせいか、誰もいなかった。
ただ、2階の窓だけが開いていた。
誰かが叫んだ。
《アレ何だ、上! あのガキ何やってんだ!》
見れば、そこで誰かが何やらゴソゴソやっている。「井」の字の形をした格子の向こうには、背中を向けて後ろ手に立っている姿があった。
シャント・コウ。
現実がイヤで異世界に転生した、ネトゲ廃人の山藤耕哉君だ。
……何やっとんじゃ、せっかく男ども誘導したのに
やたらぐるんぐるん身体を回して叩きつけているのは、背中でそろえた腕の先にあるものだった。
手枷だ。
……いらんことすんな!
すぐにでも止めに行きたかったが、モブはいちいち方向を指定してやらないと、歩くことさえままならない。
ただ、ありがたいことに、カギ男は他のモブたちに、ここを離れるよう指示した。
《俺はここにいる。お前らはテヒブを探しに行け。女たちには、家から出るなと言って回れ》
ここがテヒブ捜索本部になるというわけだが、カギ男にはシャント…山藤を逃がさないという意味もあっただろう。グェイブをもう一度、手にされた日には手が付けられまい。
だから、シャントを抑えに行くのもコイツ一人だ。俺の使うモブだけでも、それは妨害できるかもしれない。シャントをうまく部屋から脱出させられれば、グェイブを回収させられる。村長の家に向かって駆けだしたカギ男を追って、俺は必死でスマホ画面を撫でながらモブを動かした。
だが、シャントが手枷で窓格子を壊そうとしている現場にたどりついたのは、すでにカギが開けられた後だった。
……止めるか?
それはできなかった。ピンチは自分で解決させないと、安易に異世界転生を望んだツケの重さは身にしみない。大きなお節介かもしれないが、こんなところに逃げ込むのは間違っている。
俺は心を鬼にして、開いたドアの前で静観を決め込んだ。窓際へと動かされたベッドの上では、手枷で腕を後ろに回されたシャント…山藤が、ウサギ跳びでもするような姿勢でしゃがんでいる。
床に飛び降りようとしていたのだろうが、それ以前にカギ男がつかつかと歩み寄っていた。万事休すだ。
だが、シャント…山藤は反撃した。
くるりと回って振り回した手枷が、まるでコミックカンフーのようにカギ男の頭を張り飛ばす。仰向けに倒れたところで、床にカギが滑った。
さっきのドア用とはちょっと形が違う。
だが、同じ男に預けてあるということは、手枷のカギである可能性が高い。思わずモブを動かして拾いそうになったが、思いとどまった。
……自分で脱出しろ、山藤!
実を言うと、俺はさっきの一撃で、ちょっと山藤を見直していた。
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